見ず知らずのおじさんが、通りすぎてから、わざわざ戻ってきて「よう似た親子やなあ」と言ったこともあった。父は、その話を何度も何度もした。その度に心が沈んだ。
そっくりなので、できれば授業参観などに来てほしくなったが、ある時学校の廊下で母の横に満面の笑みでこちらに手をふる父を見つけた。手を振り返したかどうかは記憶にないが、「パパも来たんだ」と顔がこわばったことを覚えている。
先日、実家に帰り、父と2人でお昼ごはんを食べに出かけた。父と向かい合って座るなんて、久しぶりだ。父が一生懸命、政治について語っている間、父の顔をまじまじと見た。髪の毛の生え際は後退し、どこからおでこなのか正確には分からないが、でっぱている広いおでこは今でもそっくりだ。眼鏡の奥の目似ている。自分でもそう思うのだから、他人がそう思うのも無理もない。そもそも何故似ていることが嫌だったのだろうか。父に似ていたって良いじゃないか。
昼食から家へ戻ると父が母に二人で出かけたことを話していた。そしてこう話すのが聞こえた。
「若い子連れて、何やろなって周りに思われたやろな」
え?いやいやどう見ても親子でしょ。そうでなければ、こんなおでこは2つ揃うわけがない。
心の中でつっこまずには、いられなかったが、廊下で喜べなかった子供の頃を思い出し、今は違うと思った。
もし、街で偶然父を見つけたら、間違いなく駆け寄るだろう。前髪が風でなびいて、おでこが全開になったとしても。