だけど、ここでちょっと気が付かないか。「自然を守ろう」というこの考え方自体が、既に矛盾を含んでいる。つまり、自然と人間とを最初から別々のものとして見ているということだ。人間と、その外側でこれを取り巻く自然環境というように見ているんだ。人間と自然とを、そんなふうに最初から対立するものとして見ている限り、「自然保護」という考え方も、実は「自然破壊」の裏返しにすぎないのじゃないだろうか。やっぱり①人間の傲慢(注2)、人間の身勝手なんじゃないだろうか。
そもそも、人間と自然とは別のものなのだろうか。人間は自然じゃないのだろうか。生物の一種としての人間は、②その意味で自然物だ。だけどその自然物としての人間は、それを取り巻く環境としての自然を、不自然にも破壊したりするわけだ。人間が、人間自身をどう考えるかによって、「自然」のとらえ(注3)方は全く違ったものになる。対策としての環境保護より先に、人間はまず、このことを考えるべきなんだ。
(注1)厄介もの:他人に迷惑をかける人
(注2)傲慢:自分が他の人やものより偉いと思っている
(注3)とらえる:認識する
「問い」ここでの①「人間の傲慢、人間の身勝手」とはどういうことか。
1 人間と自然は別々のものだと考え、人間が自然を守ることができると考えること
2 今まで自然を破壊してきたにもかかわらず、「自然を守ろう」と言うようになったこと
3 「自然を守ろう」と言いながら、自然が破壊され続ける現状を食い止めようとしないこと
4 自然を破壊することは自然を保護することと同じてあることに疑問を持たないこと
「問い」➁「その意味」は何を指しているか
1 自然を取り巻くものであるという意味
2 生物に属するものであるという意味
3 生物を保護することができるという意味
4 自然の影響を受けやすいという意味
「問い」筆者は人間の自然とのかかわり方についてどのように考えているか
1 身近なことでできることから自然を保護しようとする姿勢を持つのがよい
2 人間は自然を保護する裏で破壊もしていることを理解して自然をとらえるべきだ
3 人間は身勝手であることを認識したうえで、対立する自然と向き合わなければならない
4 環境保護の前に、人間が自然に含まれるかどうかを考える必要がある
「自然を守ろう」と、最近は誰もが言うようになっている。洗剤を海に流すのはやめよう、自然を節約して森林を守ろう、身近なところから自然環境を保護してゆこうとね。このこと自体は、たぶんとても大事なことだ。今や地球上の厄介もの(注1)の人間が、そういう姿に変わらない限り、自然の荒廃は食い止められないからだ。