父は、(注1)寺子屋式マンツーマンで私を教育してくれました。自由人で「何もかも一律にそろいすぎる学校教育はきらいだ」という考えでしたから、わたしは小学校までで、中学校は行っていません。
「夕焼けはなぜ赤い」。小学校三年の時、理科の試験でそんな問題が出たことがあります。父にきいていた通り「空が恥ずかしがっているから」と書いたら、ペンペンッと乱暴にバツがついて返ってきました。「どうしてうそを教えたの」と言うと、①父はとたんに不機嫌になって「②どちらもうそじゃない。考えて出す答えはいくつあってもいい。君、○×で片づくのが人生じゃないんですゾ」
戦時中、学校に出す絵日記で「(注2)銃後を守る、うれしい汗」と書きました。父曰く「何だ、このうそっぱちの日記は」。「学校では都合が悪いンだもん」というと「負けたね、君、それは(注3)処世術だね。じゃあ、二冊日記をつけなさい」。一冊は正直に書く。一冊は提出用。「後で読み比べてごらん、人間ってどれくらいうそをつけるかわかる」。で、「二重帳簿」をつけるはめになりました。
父と学んでいて楽しかったのは国語でしたね。源氏物語をヤマカンで口語訳したり、旅行に行って父のあぐらの上に座って、床の間のかけ軸をあてずっぽうに読んだり。理数科がダメで「なんで(注4)九九がわからんか」とさすがの父もさじを投げた。でも「ダメなところばかりを考えると、悲劇のヒロインになる。悲劇は君には似合いませんゾ。好きなものを一生懸命やればいい。好きなものは信じられないくらいやれる。掛け算が苦手だって、( ③ )」と言ったのを覚えています。
そんな寺子屋も、十七、八歳で終わりが来ます。父は皮肉をこめて言いました。「どうも、近ごろ、君にはほかの教師がいるらしいな。音楽は、新津善行とかいう青年が現れてから、彼一辺倒だ。寺子屋は卒業して、社会の風になじみなさい」。やれやれ、でした。でも、後々孫にまでちょっかいを出して「幼稚園、休んじまえ」と連れ出して車で東京中の煙突を見せに回ってました。
父に教わっていちばん大切だったのは、夕焼けの問題の時の「答えはひとつじゃない、それが人生」の発想だったかもしれません。今日はダメだったけど、あすはちょっと違うシナリオ書いてみるかな、という余裕が持てました。それがなかったら、役者と、妻や母との両立も挫折したと思います。
(注1)寺子屋:江戸時代、庶民の子どもに読み書きを教えたころ
(注2)銃後(じゅうご):戦争中、戦闘にくわない国民
(注3)処世術(しょせいじゅつ):うまく生活をしていく方法
(注4)九九:1から9までのかけ算の暗記法
「問い」 なぜ「①父はとたんに不機嫌になって」たのか
1 筆者が、テストで「空が恥ずかしがっているから」と書いたから
2 筆者がテストで悪い点を取ってきたから
3 先生が筆者のテストにペンペンッと乱暴にバツをつけたから
4 筆者が「どうしてうそを教えたの」と父親に言ったから
「問い」 下線②「どちらもうそじゃない」の「どちらも」とは何と何か
1 夕焼けがなぜ赤いかについての先生の解答と、筆者が書いた答え
2 空が恥ずかしがっているという答えと、筆者が書いた答え
3 夕焼けが赤い理由と、空が恥ずかしがっているという間違った考え
4 夕焼けが赤いことについての一般的な答えと、先生の解答
「問い」 (③)に入る最も適当なものはどれか
1 割り算ができないよりはずっとましだ
2 足し算ができればすぐに掛け算もできるようになる
3 足し算をいくつもいくつも重ねれば答えが出る
4 一生懸命練習すれば必死できるようになる
「問い」 筆者が父親から教わったいちばん大切なものは何か
1 人生において答えはひとつではないという考え方
2 今日はダメだったけど、あすは大丈夫という考え方
3 人生をうまくいきるには社会の風になじむことが大切という考え方
4 ○×で片づける生き方が時には大切だとう考え方