ある年のことであった。言葉数はかならずしも十分とは言えなかったが、それでも自分の思っていることはしっかりと表現できるといった感じの、腰の据わった男が地方から上京して試験を受けた。大体においてこういう男は買いである。比較的和やかな雰囲気のうちに面接が進み、何気なく「お父さんと就職のことなどでいろいろ相談したりしますか。よく話し合ったりしますか」という質問を面接官の誰かがした。
①彼はしばらく考えた後で、「いいえ、話し合いません」ときっぱりとした感じで答えた。どうしてなのか、一瞬、面接する側の何人かが注意を集中する空気になるのがわかる。
親子の間で断絶があるのか、そういう人間関係をつくってしまう要素が彼の側にあるのか、こういうときに我々が発動させる想像力というのは大体そういったものだ。
彼は、どういう言葉で自分の思いをあらわすべきか、考えあぐねるというような様子でずいぶん間をとった後、ほとんどぽつんとという感じで「なぜかというと、父はとても無口なんです」と答えた。かすかな笑い声とともに、②ほっとした空気がその場を支配した。
「面接学」という小さいが一つの研究ジャンルがあり、さまざまな研究成果が発表されている。たとえば、「採用しよう」とか「やめよう」という一人の面接官の内部での心象が固まるのが、面接をはじめてからほぼ3分以内であるという測定的な事実が発見されている。
また、その心象を決める決定的な要因は、どうも「話されている言語的内容」ではなく、顔形や服装、態度、ものごし、口のきき方、言葉の使い方、目つき、表情といったような「非言語的な情報」の方にあるらしいということもわかってきている。
多分、人が面接という場面で( ③ )露出しているものは、驚くほど深くまた広いのである。
画家が持てる感性のすべてを一副の絵画に凝縮させるように、我々は④自分が経験してきた時間のすべてのエキスのようなものを、わずかな時間の間に期せずして表現しているのだ。男の顔は履歴書であるという本当の意味はそのあたりにある。
面接のノウハウというはだから意味をなさないのである。
「問い」下線①「彼」はどんな男か。
1 言葉数が少なく、無口ではっきりしない男
2 父親と似ているが、自分の考えをはっきり言うため、父親と仲が悪い男
3 おしゃべりではないが自分の考えははっきり伝えられる、落ち着いた男
4 穏やかでしっかりしているのに、人間関係を壊しやすい性格を持った男
「問い」下線②「ほっとした空気がその場を支配した」のはなぜか。
1 面接官の質問が失礼な言動ではなかったことがわかったから
2 彼の家族関係や性格に問題があるのではないかという疑いが晴れたから
3 よさそうな青年だが、実は性格に問題があるということがわかったから
4 彼がよく考えてから、面接官が安心するような正しい答えを言ったから
「問い」( ③ )に入ることばはどれか。
1 自分の意思に関係なく
2 自分の意思どおりに
3 発動される想像力を
4 面接の研究成果として
「問い」下線④「自分が経験してきた時間のすべてのエキスのようなもの」とは何か。
1 学校や本で学んだ学問的知識
2 語ったことの主旨
3 生活環境や生き方
4 身につけた面接のノウハウ