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日语能力考试一级阅读精选问题集(38)

时间: 2012-12-12    作者: jpstudy    进入日语论坛
核心提示:人間らしさとは何か、人間らしく生きるにはどうすればよいかといった問題は、おそらく人類の歴史を通じて常に人々の心を悩ませてきたに違いない。しかし、この科学技術の発達
(单词翻译:双击或拖选)

 人間らしさとは何か、人間らしく生きるにはどうすればよいかといった問題は、おそらく人類の歴史を通じて常に人々の心を悩ませてきたに違いない。しかし、この科学技術の発達した現代に至っても、その問いに対する答え方にはほとんど進歩がみられないように思われる。いやむしろ、最先端の科学技術の成果を目の前にして、われわれの心はますます①混迷を深めていると言えるのかもしれない。

かつて「鉄腕アトム」が登場した頃、われわれはあのような「人間らしい」ロボットというものに対して何ら疑問を抱くことはなかった。当時はまだ、機械が自分で考えてしゃべるなどということはほとんど夢に等しかったように思う。現実に存在しないものを創造し、いろいろな夢を託すことは楽しい。たとて十万馬力でも足からジェットを吹き出しても、アトムはたしかに人間らしくふるまい、人間らしい心をわれわれにみせて感動を与えてくれたのである。現実の生活から離れた自由な想像の世界の中では、「人間らしさ」は生き生きとはばたくようにさえみる。

(②)、いまやコンピュ-タ-の進歩のおかげで、みずから考えるロボットが現実のものとなりつつある。ロポットに限らず、さまさまな「考える機械」が出現して日常生活とかかわりをもつ時代を迎えようとしている。そのような機械が、人間に幸福をもたらすものでなければならないことは当然であろう。人間らしい生き方をさまたげるようなものであってはならない。そこで、あらためて「人間らしさ」とは何なのかという問い直しが必要とされるようになった。ただし、科学技術が相手である。答えは明確でなければならない。

われわれは、しばしば現実の問題に直面したときに、「人間しらさ」がいかにつかみどころのないものであるかを知らされる。病気になやむ人、障害のある人、寝たきりの老人などを目の前にして、人間らしい生き方を論ずることは非常にむずがしい。遠くからは生き生きと見えていたはずなのに、近づいて手に取ろうとするとまるで逃げ水のように③去ってしまう。科学技術の進歩を目の前にした今、われわれは人間の心にかかわる基本的な問いに対して、明確な答えが見いだせないことをあらためて知らされたのである。

認知科学は、④このような「人間らしさ」の問いに「人間の知」という側面から答えようと試みる。いうまでもなく、人間らしさは「知」のみにあるわけではない。「知情意」といわれるように、感情や意志も無視するわけにはいかないのは当然である。しかし、⑤それらは「知」と密接に結び付いているはずであり、「知」を知ることによりおのずから明らかになって来るものと期待される。⑥このような試みが成功するか否かは今後の発展を見なければわからないが、少なくとも現代科学の新しい挑戦であるということはできよう。

1.「混迷を深めている」とあるが、何が混迷を深めているのか。
(1)人間らしさとは何かという問いに対する答え
(2)どう人間らしい機械を作るかの問いに対する答え
(3)とう答えるロポットを作るのかの問いに対する答え
(4)どうやって人間に幸福をもたらすかの問いに対する答え

2.(②)の中にはどんな言葉を入れたらよいか。
(1)そのうえ (2)したがって (3)ところが (4)すなわち

3.「去ってしまう」のはだれか、または何か。
(1)病気に悩む人たち (2)人間らしさの答え
(3)科学技術 (4)現実の問題

4.「このような『人間らしさ』とあるが、それが指す内容として最も適当なものはどれか。」
(1)幸福をもたらすような人間らしさ (2)生き生きとしている人間らしさ
(3)感動を与えてくれる人間らしさ (4)実体が把握しにくい人間らしさ

5.「それら」とあるが、それが指す内容として最も適当なものはどれか。
(1)認知科学 (2)感情や意志
(3)人間の知 (4)人間らしさ

6.「このような試み」とは何か。
(1)自分で答えるロポットを作る試み
(2)幸福をもたらすロポットを作る試み
(3)人間らしい生き方を論ずる試み
(4)人間らしさを「知」の側面から考える試み

7.筆者は人間らしさを知識で説明できると考えているか。
(1)知の側面を考えることで説明できるかもしれないと考えている。
(2)知の側面だけを考えても説明できないと考えている。
(3)知の側面を考えても説明できないかもしれないと考えている。
(4)知の側面を考えることで説明できると考えている。

答案:1 3 2 4  2 4 1

 

全文翻译:

像人类的样子是什么样子,像人类一样生存是怎么生存?这个问题大概在人类历史中常常困扰人心。但即使是在这个科学技术发达的现代,也没见对这个问题的答案有所进步。不是,应该可以说是当最先进的科技成果摆在眼前,我们的内心或许更加混乱了。 

曾经“铁臂阿童木”登场的时候,我们并没有对那个“像人类”的机器人抱有任何疑问。而且那个时候认为,机器自己思考说话这样的事情就等同于梦一样。创造现实中没有的东西、寄托各种各样的梦是快乐的。虽然从脚上发射大概十万马力的喷气,不过阿童木举止确实就像人类一样,也让我们看到他像人类的心并给我们感动。在远离现实生活的自由想象的世界中,“像人类”就如同振翅一般栩栩如生。

不过,如今由于计算机的进步,可以自己思考的机器人慢慢成为现实。我们正迎接着不只是机器人,而且是与日常生活相关的各种各样“可以思考的机器”出现的时代。这样的机械当然可以给人类带来幸福。绝不是妨碍像人类那样的生存方式的东西。因此有重新修正“像人类那样”到底是什么样这个问题的必要。但是,科学技术是对手。答案必须要明确。

每次我们直面现实的问题时,就觉得怎么样都无法把握“像人类那样”是什么样吧。在疾病中折磨的人,有残疾的人,卧床不起的人,像这样的人出现在眼前时就很难讨论像人类的生存方式这样的问题。从远处明明能栩栩如生的看到,但到近处想要弄明白时却像海市蜃楼一样消失。在科技进步的今天,我们重新认识到那些无法看出明确答案的,与人心相关的基本问题。

认知科学对于这种“像人类那样”的问题,试图从“人类的知”的侧面回答。不用说,像人类那样并不只是“知”。就如“知情意”那样,当然不能无视感情和意志。但是,这些应和“知”紧密结合才对,比起知道“知”,那些自然而然发生的东西更让人期待。这种尝试成功与否还必须要看今后的发展,即使只有一点儿也可以说成是现代科学的新挑战。

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