夢を見ていた。いつもの夢。ナイフがきらめき、肉が裂け、血が飛び散った。
携帯電話が鳴った。隣で、女が寝返りをうった。名前を思いだそうとしたが、途中で諦《あきら》めた。おれは床に脱ぎ捨てたままだった上着を拾い上げ、内ポケットから電話を取りだした。
受話器から飛びこんできたのは乾いた女の声。日本語だった。
「劉《りゅう》さん……ですか?」
電話を切った。
間を置かず、また電話が鳴った。舌打ちして、電話を手に取った。
「王《おう》さんから紹介してもらったんです。劉さんなら力になってくれるかもしれないって」
女は早口でまくしたてた。微かな訛りがあったが、どこのものかはわからなかった。
煙草に火をつけ、王《ワン》という名前の人間の顔を思いつくだけ頭に浮かべた。
「もしもし?」
「どこの王だ?」
「元《げん》さんのところの……」
歌舞伎町には王という名の中国人は腐るほどいる。元だってそうだ。だが、歌舞伎町にはひとりだけ特別な元がいる。元成貴《ユェンチョンクィ》という男だ。そいつの機嫌を損ねたら、歌舞伎町はとんでもなく暮らしにくい街になる。女のいっている元が元成貴かどうかはわからないが、とりあえず話を聞くことにした。
「それで?」
「買っていただきたいものがあるんです」
また舌打ち。歌舞伎町の中国人社会の人間からしかかかってこないはずの携帯電話から日本人の声が流れてくる。おれは不安を覚えていた。おれはこの携帯電話を仕事には使わない。探偵や強請《ゆす》り屋、それに頭のイカれた盗聴おタクどもがありとあらゆる電波を拾おうと夢中になっているってのに、携帯電話で重要な話をするのはカモってくれと大声で宣伝しているようなものだ。
「ブツは?」
「直接、見せたいんだけど」
煙草を吸い、間を取った。嫌な感じがぷんぷん匂った。だが、このままうっちゃっておくには足元が涼しすぎる。
「明日、昼の三時。だいじょうぶか?」
おれはいった。最悪の場合、女を尾行して身元を確認するつもりだった。
「え、ええ」
「風林会館の前にいろ」
「わかりますか? わたし、髪は……」
「こっちで見つける。もし、劉と名乗る男が現れなかったら、手違いがあったと思って諦めてくれ」
「でも……」
「あんたの名前は?」
女がごちゃごちゃいいだす前に口を開いた。
「……夏美です」
「じゃぁ、明日な。夏美ちゃん」
電話を切った。