夜が明けていた。どんよりと垂れこめた雲が太陽の光を遮って、くたばりかけた老人の表面は湿っているくせに中はからからに乾いている肌のように生気のない空気が夜明けの靖国通りを覆っていた。
大ガードをくぐり、交差点を左折した。空車のタクシーがつかえていて、道はなかなか動かなかった。始発を掴まえようと駅へ急ぐ堅気の連中が、恨めしげに空を見上げていた。おれは自分の頭の中に浮かぶ夏美の目を、なにかに取りつかれたように凝視していた。
驚愕に見開かれた目の奥に潜んでいた怯えと憎悪。それはおれにはお馴染《なじ》みの感情だった。物心ついてから歌舞伎町の住人になるまでの間、おれはおふくろの癇癪《かんしゃく》がいつ爆発するだろうかとたえず怯えていた。月経を境にした数日間のおふくろは繊細すぎるガラスの容れ物みたいなものだった。おれの行動が、その容れ物の中に容量以上の水を注ぎこんでいくのだ。容れ物はすぐに壊れた。そうなるとおふくろは夜叉《やしゃ》のような顔になって、ベルトでおれを殴った。一度、逆上しすぎたお袋に金具のついた方で殴られ、背中の肉がべろりと抉《えぐ》れたことがある。おふくろは、自分の感情をコントロールすることができなかった。相手が、台湾にいられなくなって逃げてきた流氓《リウマン》だとわかっていても、惚れればすぐに結婚したし、相手の感情が自分から離れていったと知れば、とことん憎んだ。そいつの血が流れている子供にだって容赦はしなかった。おれはおふくろに怯え、憎み、そして感情をコントロールする術を学んだ。
歌舞伎町にやってきてからは、その対象が楊偉民に変わった。おれは常に楊偉民の顔色をうかがい、飼い馴らされた犬っころみたいに、楊偉民が声をかけてくれれば尻尾を振って駆けつけた。そして、そうまでして仕えていたおれを容赦なく切り捨てた楊偉民を、おれは心の底から憎んだ。とはいっても、すでに感情をコントロールする方法を身につけていたから、それを表に出すことはなかったが。
楊偉民から見捨てられた後でも、おれは歌舞伎町を出ようとは思わなかった。正直な話、どこに行けばいいのかわからなかったのだ。歌舞伎町の中国人社会の中に、おれの働き口はなかった。みんな、呂方《リューファン》を殺したのはおれだということを知っていた。おれは高田馬場《たかだのばば》までいって日雇《ひやと》いをやり、夜はゲームセンターやポルノ映画館で過ごした。ある晩、昼間の仕事に疲れ果て、映画館の座席で眠りこけているおれのモノを狙ったおカマが隣に座ってきた。そのおカマはおれのモノをしゃぶることはできなかったが、おれはゴールデン街のしけたゲイバーに働き口を見つけた。小遣いと寝る場所を提供してくれたらやらせてやる、と思わせただけだ。簡単なものだった。
そうこうしているうちに、台湾から流氓の群れが歌舞伎町に流れこんでくるようになった。流氓たちは、楊偉民に一応の敬意は払ったが、あくまでも自分たちの流儀を押し通した。やっと、おれの出番が回ってきたということだ。おれは、右も左もわからない流氓たちの道案内を買って出た。日本語と北京語を流暢《りゅうちょう》に操り、歌舞伎町の動向に詳しいおれを流氓たちが放っておくはずはなかったのだ。数年後にはそれが大陸から来た流氓に変わった。台湾から来ていようが大陸からであろうが、流氓の本質は変わらない。おれの利用価置も変わらなかった。
それでも、おれは心を安らかにして眠るということができなかった。おれはやつらの身内じゃない。いつ、やつは気に食わない、と思われるかわかったものじゃないのだ。おれは流氓たちの目の色をうかがい、怯え、憎みながら歌舞伎町に根を張っていった。
結局、対象が何回か変わっただけで、おれの人生には常に怯えと憎悪がつきまとっていた。あんまり長いことつきまとわれているので、自分がなにかに怯え、それを憎みながら生きているのだということを忘れがちになるほどだ。だが、どれほど振り払おうとしてみても、怯えと憎悪がおれの魂の根っこに、鋭い牙《きば》を立てて食らいついているということに変わりはない。そして、ときどき鋭い痛みをおれに与えて、おれが自分たちの奴隷であることを思いださせようとするのだ。
おれはもう一度夏美の目を思いだした。
夏美は何かに怯え、何かを憎んでいた。それはあの瞬間だけのことなのか。それとも、たえず夏美につきまとっているのか。
クラクションが鳴らされた。おれの車の前に大きなスペースができていた。車が流れだしたのだ。
おれはアクセルを踏み、くだらない考えにおさらばした。