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不夜城(36)

时间: 2018-05-31    进入日语论坛
核心提示:36 中野公会堂近くの路上にBMWを停め、そこからは歩いた。駅からブロードウェイへと続くサンモール商店街は帰宅途中のサラリ
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 中野公会堂近くの路上にBMWを停め、そこからは歩いた。駅からブロードウェイへと続くサンモール商店街は帰宅途中のサラリーマンと遅めの夕食の買い出しをしている主婦、それに若いカップルで混雑していた。
 夏美の肩を抱きよせ、さりげなく周囲に目を配った。中国人らしいやつらが何人か目に止まったが知った顔はなかった。怪しい雰囲気もなかった。ここいらは池袋と同じで福建野郎どもの縄張りだ。よっぽどの事情がない限り、元成貴も崔虎も中野に手下を張らせるようなことはしないだろう。
 腕時計は六時を回ろうとしていた。約束の時間までまだ二十分ほどあった。ブロードウェイの入口をはいってすぐにあるエスカレータに乗りながら、おれは夏美の耳に口をよせた。
「おれの�弱点�は台湾人だ。顔は二枚目だが、背が低くて少し太りぎみ。年は三十をちょいと超えたぐらいだが、二十代後半にしか見えない。髪の毛は長くはないが、短いってわけでもない」
「張國榮《チャングォロン》みたいな感じ?」
 夏美は香港の映画スターの名前を口にした。たしかに似ていなくもない。
「そんな感じだ」
 おれたちは三階のフロアを突っ切り、一番奥にある階段をおり始めた。ブロードウェイのエスカレータは三階直通なのだ。それでこんなめんどくさいルートをたどる羽目になる。
 おれは階段の踊り場で足をとめた。
「このすぐ下にある喫茶店が待ち合わせ場所だ。おまえはそこでおれの�弱点�を待って、これからおれがいう場所に連れてくるんだ。わかったか?」
「もし健一の�弱点�がだれだかわからなかったら?」
「そんなことにはならないように祈るんだな」
「わかった。で、どこへ連れていけばいいの?」
「中野通りを新井薬師《あらいやくし》の方へ四、五分歩くと右かたにバイユーって名のバーがある。そこに連れてくるんだ」
「そんなこといわれても、わたし、わからないわよ」
「いいんだ。�弱点�なら道はわかる」
 夏美は口を尖らせて宙を睨んだ。それから、おれにはすっぱな笑みを投げかけた。
「じゃ、行ってくるけど、その前に相手の名前を教えて。まさか、あなたが劉健一さんの�弱点�さんですかって聞くわけにはいかないでしょう?」
「周天文だ」
「周天文ね。どんな字を書くの?」
「天文学だ。それより、絶対やつの前で北京語ができると悟られるな」
「どうして?」
「おれが他人を信じないからだ」
 夏美は何かいいたそうに口を開けたが、おれの顔を見て言葉をのみこんだ。
「それから、そのバーに来るまでは……」
「わかってるって」
 夏美はおれの言葉を遮って得意げに胸を突きだした。
「変なやつがいないか確かめるんでしょう?」
 おれは苦笑いを浮かべた。夏美はのみこみが早い。少なくともそれだけは誉《ほ》めてやれる。
「もしそういうやつに気づいたら、天文と一緒に新宿へ行け。後で連絡を入れる」
「じゃ、行ってくるね」
 夏美はくるりと身体を回転させ、軽快な足取りで階段を下っていった。夏美の背中が視界から消えるのを待って、階段をのばった。また三階のフロアを横切って、反対側の階段をおりなきゃならない。おれは急に疲れに襲われた足を引きずりながら、〈バイユー〉へ向かった。
 
〈バイユー〉のバーテンはおれのことを覚えていた。中野が福建野郎どもの縄張りになるまでは、何度か仕事の打ち合わせに利用させてもらっていたのだ。何名様ですか? と無意味な愛想笑いを浮かべる女の子を無視してカウンターへ座ると、無言で灰皿が置かれ、「ウォッカですか?」ときかれた。
「悪いけど、烏竜茶に氷を浮かべてくれるかい。くたくたなんだが、まだ仕事の途中なんだ」
 眉と額の生え際の区別が判然としないほど毛の濃いバーテンは一瞬、たじろいだように目を剥《む》いたが、唇の端で微笑むと静かにおれの前を離れた。油っけのない豊かな髪の毛はそよとも動かなかった。もう五十に近い年のはずだが頭だけを見ると、十代にしか見えない。
 煙草に火をつけ、二、三度煙を吐きだしていると烏竜茶の入ったグラスが目の前に置かれた。バーテンの気配をおれはこれっぽっちも感じなかった。薄暗い照明の中で、烏竜茶は気の抜けたウィスキィのような色を湛えていた。よっぽど目ざといやつじゃない限り、おれは薄い水割りを舐めているくたびれた男にしか見えないはずだ。
 ときおりグラスに口をつけながら、煙草をふかし、カウンターの奥に立てかけられたボトルのラベルを読み取る作業に没頭した。天文は意外と時間にルーズだ。夏美と天文が現れるまで、もう二、三十分はかかるだろう。目を細めてラベルを睨みながら、おれの頭はゆっくりと、だが確実に回っていた。
 ラフロイグのラベルを眺めているとき、バーテンがカウンターを指で弾いておれの注意を促した。ストゥールに腰かけたまま頭をねじると、天文と夏美が店に入ってくるところだった。
「なんだってこんな回りくどいことをしなきゃならないんだ? おれが兄さんをはめようとしてるとでも思ってるのかい?」
 おれを見つけるなり、天文は早口の北京語でまくしたてた。奥の席でいちゃついていた若いカップルが驚いたように視線をあげ、無知でがさつで乱暴な中国人にムードをぶち壊されたとでもいうようにお互いの目を見てうなずきあった。
 おれはわざとらしく眉をしかめ、天文を手招きした。
「小さな声でも聞こえるぞ、小文。ここは静かなバーなんだ」
 おれが日本語でいうと、傷つけられたとでもいうように口を歪めて、天文は隣のストゥールに腰を下ろした。その後ろで夏美がおれを見ながら肩をすくめていた。おれはやれやれという感じで首を振り、天文とは反対側のおれの隣のストゥールを引いてやった。
「小文はよせっていってるだろう。いつになったらわかるんだよ」
 天文が今度は日本語でいった。それでも声の大きさと早さは変わらなかった。
「おれだってのんびりしてる時間はないんだ。それなのに……」
「なにを飲む?」
 おれは天文を遮ってきいた。
「ビール」
「わたしはなにかカクテルを飲みたいな」
 天文の声に夏美の声が重なった。天文はそこに夏美がいるのに初めて気づいたというようにおれを睨むのをやめ、小声ですいませんと謝った。
「わたしのことは気にしないで。あなたと健一の仲はうかがってますから」
 夏美はしゃあしゃあとそういってのけ、おれの肩に甘えるように腕をかけた。おれは内心うんざりしながらバーテンを呼び寄せた。
「こいつにはビール。こっちの女性にはなにかカクテルを頼む」
「かしこまりました」
 パーテンは慇懃《いんぎん》に礼をした。やっぱり髪の毛はふわりとも動かなかった。
「兄さん、やっと身を固める気になったのかい?」
 バーテンが酒を作りだすのを待って、天文は北京語でおれにきいてきた。夏美を気遣ったのか、声は落としていた。
「なんだって?」
「だから、そっちの女だよ。おれに会わせたんだから、そういうことなんだろう? 違うのかい?」
 おれの肩に載せられた夏美の腕が嬉しそうにくねった。ちらりと睨んでやったが、夏美はすました顔でバーテンの作業を見守る振りをしていた。
「そういうことじゃないんだ。ちょっとわけがあってな」
「ふーん。そういうことにしておいてやるよ。兄さんが女と仕事するなんておれは信じないけどね」
「おまえがどう思うかなんて、おれの知ったことじゃない」
 バーテンが影のように動いて天文の前にビールの入ったグラスを置いた。天文はひったくるようにしてグラスを口にはこび、一息で半分ほどを飲み干した。バーテンは淀みなく動きつづけ、夏美の前で立ち止まってリズミカルにシェーカーを振った。夏美はおれにしなだれかかりながら楽しそうに微笑んでバーテンの動作を見守っていた。だが、おれと天文の会話にじっと耳を傾けているのがみえていた。
「話は変わるけどさ、呉富春の件は結局どうなってるんだい?」
 天文は唇にこびりついたビールの泡を撒きちらしながらいった。今度は日本語だった。
「あの馬鹿はなにをトチ狂ったか歌舞伎町に戻ってきた。おれは元成貴に脅されて探してる。それだけだ」
 天文は疑わしそうにおれの顔を睨めつけた。
「ふざけるなよ。〈紅蓮〉を襲ったのはあいつなんだろう? なんで呉富春がそんなことをしなきゃならないんだよ。おかしいよ」
「あいつの考えてることなんかだれにもわからんさ」
「いま話してるのがほかの人間だったら信じるけどね、兄さんじゃだめだ。ほんとのことを話してくれ。歌舞伎町で何が起こってるんだ?」
 天文はいいわけの下手な生徒を前にした教師のようにおれの目を見たまま首を振った。いくばくかの愛情と、おまえにはもう騙《だま》されないぞという意思のこもった茶色の目が、暗い照明の中でも浮き上がってみえた。
 さり気なくその視線をはずし、グラスの中の烏竜茶をすすった。どこまで話すかはもう決めてあった。ただの時間稼ぎだ。
「おまえはどこまで知ってるんだ?」
「なにも知らないよ。二、三日前から元成貴の手下が目の色を変えて呉富春を探してるってことと、昨日、その呉富春が〈紅蓮〉を襲って人を殺したってことだけさ」
 おれはうなずいた。天文は顔色を変えずに嘘《うそ》をつけるような男じゃない。年をとって世間の荒波をかぶり多少は性格が狷介《けんかい》になっているとしても、少なくともおれには嘘はいわないはずだ。
「楊偉民から何か聞いたか?」
 天文は唇をかたく結んで首を振った。楊偉民の名前を口にするなとでもいってるような素振りだった。
「いつか聞こうと思ってたんだが、おまえと楊偉民の間になにがあったんだ?」
「別に……ただ、偉民爺さんは堅気の振りをしてるけど、実際には流氓と変わらないってことに気づいただけさ」
「気づくのが遅すぎたな」
「しかたないだろう。おれは子供だったんだ」
「楊偉民が流氓と付き合ってることなんかガキだって知ってるぞ。それに、おれだって流氓と付き合ってる」
「兄さんは別だ。兄さんはおれのことを気遣ってくれる。見返りは要求しない。でも、偉民爺さんがおれによくしてくれたのは、おれを利用したかったからだ……この話はもういいよ。ごまかさないで呉富春の話をしてくれ」
「おまえもとんだ甘ちゃんだな。ちっとも変わっちゃいない」
 煙草に火をつけた。煙草の先端がかすかに震えていた。天文は極め付きの馬鹿野郎だった。
「おれは元成貴に脅されてる。富春を連れてこないと殺すってな」
「そんな……偉民爺さんがそんなこと許さないよ。自分が面倒をみた人間を余所者《よそもの》のいいなりにさせるなんて」
 おれは煙草の煙を派手に吐き出し、ストゥールをまわしてカウンターのまん前に身体を向けた。そして、充分に間を置いてからいった。
「楊偉民がおれを売ったのさ」
 天文は驚かなかった。予想していた最悪の事態が起こってしまったことを嘆いている学者のように蒼《あお》ざめた顔でカウンターの一点を見つめていた。おれの最初の爆弾は見事にターゲットにぶち当たったのだ。
「まさか、兄さんを売るなんて……なにを考えてるんだよ、あの爺さん」
「楊偉民もここ二、三年は大変なんだよ。台湾の人間は減る一方なのに、上海や北京の人間はねずみ[#「ねずみ」に傍点]みたいに増えてるからな」
「それにしたって……」
「いいんだ。おれだって楊偉民に文句をいえた義理じゃないしな。それに、富春みたいな馬鹿とつるんでたおれも悪い。とにかくあいつを見つけなきゃならない。まあ、借金を返さなきゃならないようなもんだ」
「呉富春が見つかれば、すべては丸くおさまるんだな?」
「そうだ。歌舞伎町も静かになるし、おれも助かる。小文、手伝ってくれるか? 楊偉民はあてにならない。おまえだけが頼りなんだ」
「手伝うに決まってるじゃないか。おれをなんだと思ってるんだよ、兄さん? 進む道は違ってるけど、初めて歌舞伎町に来たときから、おれは兄さんの弟なんだぜ。気兼ねなんかするなよ」
 おれの爆弾は予想以上の効果を上げていた。天文は楊偉民への敵愾心《てきがいしん》とおれへの憐憫《れんびん》でものが見えなくなっていた。もともと、おれに関しては天文は盲《めしい》も同然だったが。
「富春が紅蓮を襲ったもんだから、元成貴はかっかきてる。なるべく早く見つけ出したい」
「なんだって呉富春はそんなことをしたんだ? 〈紅蓮〉にいる黄秀紅が元成貴の女だってことは知ってたんだろう?」
「あいつは勘違いをしてるのさ」
「勘違い?」
 白々しくバーテンの作ったチェリー・ブランディ・ベースの赤いカクテルを飲んでいる夏美の腕をとってこっちに引き寄せた。
「こいつは富春の女だ。あいつは、この女が元成貴にとっ捕まってると思い込んでるんだ」
 夏美は訝《いぶか》るように眉をひそめて、視線をおれと天文の顔に忙しく行き来させた。それから、天文に舌をぺろりと出してみせた。
「どうも。夏美です」
 天文はそれには応《こた》えず、まじまじと夏美の顔を見つめているだけだった。
 おれが煙草を灰皿に押しつけると、天文はやっと夏美から目をそらした。その顔には理解に苦しむといった様子がありありだった。
「なにを考えてるんだ、兄さん?」
「決まってるだろう。富春に元成貴を殺させたいのさ」
 何気なく第二の爆弾を放り投げた。もちろん、北京語で。夏美が下手な反応を見せないことを願いながら。
「兄さん……」
 天文は絶句して、おれの背後にうかがうような視線を飛ばした。別に夏美がなにかをしたってわけじゃない。夏美はここまではおれのアドリブにきちんとついてきている。天文は、夏美が富春の女だと聞いて気が気じゃないだけのことだ。
「元成貴が死んだ後に、孫淳《スンチュン》あたりが富春を殺してくれれば万々歳だな」
「本気なのかよ……呉富春は友達だったんだろう?」
「おれに友達なんかいない。そのことはおまえがよく知ってるはずだ」
 天文はたじろいだ。
「……でも、元成貴を殺すなんてむちゃくちゃだ」
 おれは天文の方へ身を乗りだし、小声で囁いた。それも、天文なみの早口の北京語で。
「やらなきゃならないんだ。今度のことで元成貴はおれの尻尾をつかんだつもりになってる。おとなしく富春を引き渡したところで、おれのコネを体よく利用されて用ずみになったところで放りだされるのが落ちだ。おれはそんなのはごめんなんだよ。元成貴は死ななきゃならない」
「兄さん……」
「おまえにはわからないかもしれないが、それがこの世界の掟《おきて》だ。呂方のときと同じことなんだよ、小文。富春も元成貴も疫病神だ。おれのいる場所に立てば、元成貴は殺されなきゃならないんだ。富春の手でな」
 天文の喉仏《のどぼとけ》が何度か上下した。天文は残ったビールを飲み干し、怒ったような顔つきで空のグラスをバーテンへ突きだした。バーテンは何事もなかったかのようにグラスを受け取り、新しいビールを注いで天文の前に置いた。そのあいだ、天文はぴくりとも動かなかった。
「どうしてもか?」
 ビールの泡をじっと見つめながら、天文はぼそりといった。
「どうしても、だ」
 おれはいって、新しい煙草に火をつけた。煙が喉を刺すだけでうまくもなんともなかった。
「酷いな……」
 天文はヤケになったようにビールに口をつけた。いつもの早口はどこかに消えうせ、どこかくたびれた間延びした声が続いた。
「おれになにをいってるのかわかってるのかい?」
「もちろん。おれが窮地から脱するのを助けてくれって、兄想いの弟に頼んでるのさ」
 天文は救いを求めるような目でおれを見た。おれは黙って煙草をふかしつづけた。天文は簡単に折れた。
「……それで、兄さんはおれになにをやらせたいんだ?」
「元成貴に圧力をかけてくれ」
「圧力? どうやって?」
「簡単さ。揉《も》めごとを早く解決しろ。それから、おれになにかをしようとしてるなら考えがある。そんなことをいってくれればいい。それで元成貴の気持ちが変わるとはおもえないが、やつも一応は焦るだろう」
「わかった。今夜、元成貴と話してみる。他には?」
「緊急事態が起こったら、この女を匿ってもらいたい。頼みたいのはそれだけだ」
 天文の薄い眉がなにかを疑ってるかのようにすっとよった。その表情に動かされた振りをして言葉をつぎたした。
「それから……もしおれが死ぬようなことになったら、楊偉民を殺して仇《かたき》を討ってくれないか」
「兄さん!」
「やってくれるだろう?」
「……兄さんはどんなことがあったって死なないさ」
「おまえが直接手を下さなくたってかまわないんだ。やってくれるな?」
 天文も伊達《だて》に長い間楊偉民の元で働いていたわけじゃない。金で殺しを請け負う人間の一人や二人は知っているはずだった。
「……わかったよ」
「いい子だ、小文」
 天文はいい返さなかった。長生きしすぎた老人のように背を丸め、うつろな目でビールの入ったグラスを見つめていた。
「夏美」
 日本語に切り替えて、夏美に声をかけた。
「なに?」
「こいつはおれの義弟の周天文だ。よく顔を覚えておけ。おれに何かあったら、天文を頼るんだ。いいな?」
 夏美はおれの背中にぴたっと身体をよせ、肩越しに顔を突きだした。
「わかった。よろしくお願いします、天文さん」
「彼女の名前は佐藤夏美だ。頼むぜ、小文」
「ああ、なにかあったらここに電話をくれ。すぐに連絡がつくようにしておくから」
 天文は財布から名刺を抜き取り、夏美に渡した。表には天文の店、裏には組合の事務所の住所と電話番号が印刷されている。
「だいたい店にいる。つかまらないときは裏の組合の方へ電話してくれ」
 夏美は名刺の裏表を何度か眺め、大きくうなずいて名刺をブラウスの胸ポケットにしまい込んだ。
「呉富春を見つける手だてはあるのかい?」
 ストゥールから腰をあげながら、天文が北京語でいった。
「ああ、なんとかなるさ。いまのところうまく立ち回ってるみたいだが、そのうちにっちもさっちもいかなくなる。東京であいつが頼れるのは、結局おれしかいないんだ。遅かれ早かれあいつから連絡してくるはずだ」
「東京どころか、世界中のどこを探したって呉富春が頼れるのは兄さんしかいないさ。兄さんはそんなやつをはめようとしてるんだぞ」
「だからなんだっていうんだ? あいつのおしめを取り替えてやるか?」
「……兄さんは昔はこんなじゃなかった」
「昔からこうだった。おまえはなにも見てなかったんだ」
「そうかもしれないな。おれは本当に子供だったんだ……でも、おれは兄さんを尊敬してたんだぜ」
 天文は力なくおれに背を向けた。その背中に、最後の爆弾を投げつけた。
「いや、それは違うな。おまえはおれを憐れんでたんだ。飼い主に捨てられた犬っころを可愛がるみたいにおれを憐れんで手なずけようとしてたんだ。ただそれだけさ。おれがなかなか懐かないんで、おまえは必死になっておれの気を引こうとしてた。自尊心が許さなかったんだ。そうだろう、小文?」
 天文の肩が大きく震えた。天文はおれに背を向けたまま絞り出すような声でいった。
「よく……よくそんなことがいえたな」
「おまえはおれに借りを返すんだ。それだけのことなんだよ、小文。あまり気にするな」
 いつのまにか夏美がおれの手をきつく握り締めていた。
 天文はしばらく動かなかった。感じのいい薄い黄色のブルゾンに包まれた肩が強張っていた。もしかすると、天文はほっとしているのかもしれなかった。
「約束は守る。だが、あんたとの仲はこれまでだ。二度と顔も見たくない」
 おれに背を向けたまま、天文はいった。天文にしては陳腐な捨て台詞だった。死んでしまった両親は、息子に作家か学者になってもらいたくて天文という名をつけたのに。
 天文は振り返らなかった。おれの手を握る夏美のぬくもりに意識を集中させようとしながら、おれは天文が出ていったドアを見つめていた。
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