「あなたは真面目に信じていらっしゃりはしないでしょうね」
「僕が? ええ、たぶん信じちゃいますまいね。だがたしかにそいつは、ホレス・ハー
カー氏や中央同盟通信紙の読者の興味はひきますね。さあ、ワトスン君、われわれは今
日、手間のかかるややこしい仕事をしなくちゃならないだろうぜ。レストレイドさん、今
夜六時にベイカー街にいらしていただけたら、たいへん結構なんですがね。そのときまで
死人のポケットから出てきた写真はお借りしたいと思います。もし僕の推理の鎖が正しい
ことがわかったら、たぶん今晩はちょっと遠出をしなくちゃならないんですが、あなたに
同行してもらって手をかして頂かなくちゃならないかも知れませんよ。じゃ! それま
で。さよなら、ご幸運を祈りますよ」
シャーロック・ホームズと私は、一緒にハイ・ストリートまで歩き、そこで彼はハー
ディング兄弟商会に足を停めた。問題の胸像はここで買われたのである。年若い店員が、
ハーディング氏は、午後まで戻らないとわれわれに告げ、彼自身も新しく来たばかりなの
で、何もお話しできないと言った。
ホームズの顔には失望と困惑の表情が浮かんだ。しかし最後には、「いいんだ、いいん
だ、ワトスン君。われわれの都合どおりに万事うまくいくなんて考えられないさ」と言っ
た。「ハーディング氏が戻っていなくても午後にはまた来なくちゃならないよ。間違いな
く君も察してはいるだろうが、胸像をその源までつきとめようとしているんだよ。それが
なぜあんな異様な運命をたどるようになったのかを説明するような、特別なものがありは
しないか知ろうと思ってね。さあ、ケンジントン通りのモース・ハドスン氏のところへ
行って見ようじゃないか。そしてこの問題に光明を投げかけてくれるかどうかためしてみ
よう」
一時間ほど馬車を走らすと、われわれは絵画商の家に着いた。彼は小柄でがっしりした
男であったが、赤ら顔で気は短かそうであった。
「ええ、そうですとも。まさしくこのカウンターの上でね」と彼は言った。「まったく、
どんな悪漢にでも入って来られて、人の品物をたたっこわすことができるんだときた日に
は、何のために税金おさめてるんだかわかりませんよ。はあ? ええ、そうです、バーニ
コット博士に胸像を二つ売ったのはこのあたしですよ。まったく恥ずべきことですよ、こ
んなことは! あたしゃ、これは無政府主義者の陰謀だと思いますね。胸像をぶっこわし
て歩くなんて無政府主義者でなくて誰がやるもんですか。わたしゃ、連中のことを赤色共
和主義者とよんでるんです。
あたしが誰から胸像を買ったかですって? それが事件と、どんな関係があるかわかり
ませんがね。でもあなた方が本当に知りたいんでしたら、しゃべりますがね、ゲルダー商
会から買ったんですよ。ステップニーのチャーチ街にあるやつ。この商売じゃよく知られ
た店でしてね。ここ二十年もずっとやってますよ。いくつ買ったかって? 三つですよ。
……二に一たせば三つさ。バーニコット博士に売った二つと、まっぴるまにこのカウン
ターでぶっこわされた一つと。その写真の男、知っているかって? いや、知りません
ね。いやいや、知ってるかもしれないぞ。……なんだ、ベッポじゃないか。ベッポです
よ。この男はイタリア人です。手間賃人夫みたいなもんでしたが、この店ではなかなか役
に立ちましたよ。少しは彫刻もできたし、額縁の金塗りもできたし、ちょっとした仕事は
やってのけました。先週、暇をとってゆきましたがね。それからは何の消息もありませ
ん。いいや、どこから来てどこへ行ったのか、私にはわかりません。ここにいる間、別に
非難するようなこともなかったのですが、胸像がぶちこわされる前に暇をとって出て行き
ましたよ」
「さてと、われわれがモース・ハドスン氏から得られそうなものは、まあ、あれで全部だ
ろうね」
店を出るとホームズは言った。「このベッポという男は、ケニントンとケンジントン双
方に共通した要素であるわけだ。こいつは馬車を十マイル走らせただけの価値があるよ。
さあ、ワトスン君、今度はステップニーのゲルダー商会に行ってみようじゃないか。胸像
の源だからね。そこへ行けば、必ず何か手がかりがあるよ」
われわれはロンドンの流行街からホテル街、劇場街、商業街をすばやく通りぬけ、最後
に海運街をぬけて、人口一万の川辺の町並みに到着した。
そこでは、ヨーロッパじゅうの浮浪者が寄り合い世帯の家々でうだりかえり、悪臭をぷ
んぷんとたてていた。ここの広い大通りの、かつて富裕な商人の住居であった所に、われ
われのさがしていた彫刻工場があった。外側には記念碑の石造物がぎっしりと立ち並んで
いる相当な置き場があった。内側には大きな部屋があり、五十人ほどの人間が彫刻をした
り土をこねて型を作ったりしていた。
支配人は大柄な金髪のドイツ人であったが、われわれを丁寧にむかえ、ホームズの質問
にははっきりと返答した。帳簿を調べた結果、ドビーヌの大理石のナポレオンからは、何
百となく複製が作られたことがわかった。だが、一年ほど前にモース・ハドスンの店に送
られた三つは、六個同時に作ったものの半分で、残りの半分はハーディング兄弟商会に納
められていた。この六つが他の胸像と異なっている理由など何もなかった。支配人も、そ
の六つだけをこわしたがる男がいるのかなどという理由など、およそ考えつかなかった
し、そんな考えを大声で笑った。卸 おろし 値段は六シリングだったが、小売商人は十三シリン
グ、あるいはそれ以上とるのであろう。この石膏は、顔半分ずつになった型をふたつ合わ
せて、完全な胸像を作るのである。その仕事はわれわれの入った部屋で、イタリア人たち
がいつもやっているのであった。それが終わると、胸像は廊下のテーブルの上で乾燥さ
せ、その後で金庫にしまいこまれる。
彼の話は全部でこれだけだった。だが写真を見せると、その効果はてき面だった。彼の
顔は怒りで真赤になり、青いチュートン的なその目の上でぎゅっと眉をしかめた。
「ああ、この悪漢が!」と彼は叫んだ。「いや、まったくのところ私はそいつをよく知っ
ています、ここはずっと相当な工場でしてね。警官を入れたことといったら、こいつのこ
とでいっぺんあっただけなんですよ。今からもう一年以上前になります。こいつが街頭で
ほかのイタリア人にナイフで切りつけ、警官におわれて、ここに駈けこんで来て、つか
まってしまいました。ベッポって言いましたが、姓はわかりません。こんな顔の男を雇っ
たんですから当然の報いなんですが、それでもこの男はなかなかの働き手でしてね。いち
ばん働く一人だったんですよ」
「その男、どうなりましたか?」
「死刑にはなりませんでね。一年ほどくらいこみました。たしか今は出て来ていると思い
ますよ。しかしここへ顔を出す勇気はないんですね。その従弟 いとこ がここで働いていますか
ら、どこにいるかお話しできるでしょう」
「いやいや」とホームズが叫んだ。「従弟には何も言って下さらないように。これは非常
に重大なことなんです、調べれば調べるほど重大になってくるんです。あなたが台帳で彫
像の売り上げを調べていたとき、日付が去年の六月三日になっているのを見たんですが、
ベッポがつかまった日がおわかりでしょうか」