「われわれはこの不幸な事件を調査しているんだよ、バニスター」と彼の主人は言った。
「さようでございますか、旦那様」
「君は鍵をドアに差しこんだままだったんだね」ホームズが言った。
「はあ、さようでございます」
「試験用紙が部屋にあるって日にこんなことをしたなんて、とてもおかしいことじゃない
か」
「まったく運が悪かったのでございます。ですがほかのときにも、ときにはやったことも
あるのでございます、はい」
「いつ部屋に入ったんだね?」
「四時半頃でございます、ソームズ様のお茶の時間でございますから」
「どのくらい部屋にいたのかね」
「ソームズ様がいらっしゃらないのがわかると、すぐひきさがりましたのです」
「この紙がテーブルの上にあったかね」
「いいえ、まったく存じませんでした」
「どうしてまた鍵を入れっぱなしにしておいたのだろうね?」
「片手にお盆を持っておりましたので、あとで取りに来るつもりでいたのですが、忘れて
しまったのです」
「外側のドアは、ばね錠になっているのかね」
「いいえ、そうではございません」
「じゃ、ずっと開いていたわけだね」
「はい。さようでございます」
「じゃ、誰かが部屋にいたとすれば、いつでも出られたね」
「ええ」
「ソームズさんが帰って来て君を呼んだとき、ひどくうろたえたってね」
「ええ、そりゃもう。私がここにおりました永年の間、こんなことは起こったことがな
かったのでございますから。私は気絶しかけてしまいました」
「そうか。わかった、わかった。気分が悪くなったとき、どこにいたかね」
「私がですか? ああ、ここにおりました。このドアの近くにおりました」
「そいつはおかしいな。君はあの隅のあたりにある椅子に坐ってたんじゃなかったのか
ね。移動するにしても、どうしてもっと手近にある椅子に腰をおろさなかったんだね」
「さあわかりません、旦那様。どこに坐るかなんてことは私にとっては問題ではなかった
んです」
「ホームズさん、それについてはこの男も実際わからなかったでしょう。この男はまった
く気分悪げでした。真蒼 まっさお だったのですよ」
「君はご主人がいなくなってからも、ここにいたのかね」
「わずか一分かそこらでした。それで鍵をかけまして引きとりましたのです」
「君は誰が臭いと思うね」
「ああ、そんなことはとても申し上げられません。あんなことで利益をはかるような方が
この大学におられるなどとは信じられません。いいえ、決して信じはしません」
「どうもありがとう。もうそれで結構。……ああ、もうひとこと聞きたいんだが、君が世
話をしている三人の学生に、なくなったものがあるなんて言いはしなかったろうね、誰に
も」
「もちろん申しませんとも。ひとことも申しませんでした」
「誰とも会わなかったのだね」
「はあ、お会いしませんでした」
「それはよかった。さて、ソームズさん、よろしかったら中庭へ出てみましょう」
次第に濃くなるくらがりの中で、われわれの頭上には三つの窓に黄色の光が輝いてい
た。
「三羽の鳥はみな巣に入っていますね」とホームズは見上げながら言ったが、「おや!
どうしたんだろう。あの一人はひどくそわそわしているが」
それはインド人であった。彼の黒い影が突然、鎧戸 よろいど に現われた。彼は部屋じゅう足早
にあちこちと歩きまわっていたのである。
「ひと部屋ひと部屋をちょっとのぞいてみたいですね。できましょうか?」
「おやすいことです。この棟は学寮でもいちばん古いものなんです。ですから訪問者がよ
く参観にみえます。おいで下さい。私がご案内いたしましょう」
「どうか名前は明かさないで下さい」ホームズはギルクリストのドアをノックするとき
言った。
背が高くすらりとした、亜麻色 あまいろ の髪の青年がドアをあけ、われわれの用事がわかる
と、気持よく招じ入れた。部屋には実際、中世の住宅建築物としておもしろい箇所があっ
た。ホームズはある箇所に非常に心をひかれたので、手帳に写すと言いだしたが、鉛筆を
折ってしまってギルクリストから一本借りる始末であった。それが最後にはナイフまで借
りて芯をとがらしたのである。奇妙なことに、彼は同じことをインド人学生の部屋でも
やってしまったのである。
インド人は小柄でもの静かな男で、かぎ鼻だったが、われわれを横目で眺め、ホームズ
の建築学的研究が終わったときには心から嬉しそうな顔をした。このふた部屋のいずれか
で、求めている手がかりをホームズが手に入れたのかどうか私にはわからなかった。三番
目の部屋だけは訪問しそこなってしまった。ノックしても外側のドアは開かず、向こう側
からぽんぽん卑俗な言葉が聞こえてくるだけだった。
「誰だか知らんが地獄にでも落ちろ! 明日は試験なんだ。誰が来たってひっぱりだされ
るもんか」
「まったく失礼な奴だ」われわれの案内者は階段を降りながら、怒りに紅潮した顔で言っ
た。「もちろんノックしたのが私だということは知らなかったんですが、それにしても、
あの振舞いはまったく無作法です。それにこんなときですから、むしろ疑わしいですね」
ホームズの答えがまた奇妙だった。
「彼の正確な背丈がおわかりですか」
「ホームズさん、実のところ詳しくわかりませんね。インド人よりも大きく、ギルクリ
ストほどはないでしょう。まあだいたい五フィート六インチというところですか」
「そこのところが大切なんですよ」とホームズは答え、「さて、それではソームズさん、
おいとましましょう」
わが案内者は驚きと狼狽 ろうばい に声をあげて叫んだ。
「ホームズさん、それは困ります! まさかこんな不意に私をほったらかすつもりじゃな
いでしょうね! あなたは事態をよくご承知になっていらっしゃらないようです。試験は
明日なんですよ。私は今晩なにか明確な処置をとらなければならないんです。試験用紙の
一枚がいじりまわされているとしたら、そのまま試験するわけにはいかないんです。まっ
たく火急な事態なんですよ」
「今のままにしておかなくちゃいけませんよ、私は明朝早くやって来てお話ししますが
ね、そのときには処置の方針をお教えできるでしょう。その間、何も変えてはいけません
よ、絶対にいけません」
「よくわかりましたよ、ホームズさん」
「本当に安心していらっしゃい。間違いなく苦境を打開して差し上げますよ。黒粘土 くろねんど
と鉛筆の削り屑は持って行きますよ。さようなら」
われわれが真暗な中庭に出たとき、ふたたび学生たちのいる窓をふり仰いだ。インド人
はまだゆっくりと同じ歩調で部屋を歩きまわっていたが、他の二人は見えなかった。