調べてみると、どうやら犯人は注意深く、場なれした奴だとわかりました。小道には全
然足跡が見つからないのです。それでもたしかに小道に沿った草を歩いた形跡があり、そ
れは足跡をくらますためにほかなりません。はっきり踏みつけられているのは見つかりま
せんでしたが、草は踏みしだかれており、疑いもなく誰か通ったのです。その日の朝は庭
男も誰も通っておらず、雨は前夜から降っているのですから犯人以外にありません」
「ちょっと待った」ホームズがさえぎった。「その小道というのはどこに通じているのだ
ね?」
「街道ですよ」
「どのくらい距離がある?」
「百ヤードくらいのものでしょうね」
「小道が門をくぐっているあたりには、足跡は見つからなかった?」
「残念ながら、その辺はタイルが張ってありましてねえ」
「ふむ、では街道には?」
「いえ、なにしろ街道は足跡がいっぱいで」
「チェッ! それじゃその草の上の跡は、来たのか出たのか、どっちに向っているの?」
「それもわかりません。輪郭がはっきりしていませんのでね」
「大きいの、小さいの?」
「こいつも見当がつきません」
ホームズはじれて舌うちをした。「それ以来ずっと雨が降って暴風なんだからな。こ
りゃ羊皮紙を読むより面倒だぞ。まあまあいいさ。ホプキンズ君、確実なものは何もない
とわかってからどうしたんだい?」
「ホームズさん、僕はいろいろと確かめたつもりですよ。誰かが外から家に侵入したのは
確実です。それで次に廊下を調べました。廊下は椰子表 やしおもて の上敷がしいてあり、足跡は
まったく残りません。この廊下から書斎に行きました。この部屋は家具のすくない部屋
で、箪笥 たんす つきの大きなデスクが主な家具です。この箪笥はまんなかに小さな戸棚をはさ
んで両側に抽出 ひきだ しがあります。抽出しはあいていましたが、戸棚は鍵がかけてありまし
た。抽出しのほうはいつもあいているようで、重要なものはしまってないようです。戸棚
には重要書類が多少入っていますが、これはいじった形跡がありません。教授は何もなく
なっていないと言っています。結局、泥棒を働いてはいないようです。
次に青年の死体を調べました。死体は箪笥の近くの左にあり、この図の通りです。傷は
首の右側でうしろから前に刺されています。ですから自分で刺すのは不可能なわけです
ね」
「ナイフの上に倒れたんでなければね」ホームズは言った。
「そうです。僕もそのことは考えました。でもナイフは死体から数フィート離れて落ちて
いましたから、自分で刺したとは思えません。それに死ぬとき言った言葉もあることだ
し。それから最後にですが、死体が右手に握っていた重要な証拠品があります」
スタンリー・ホプキンズはポケットから小さな紙包みを取り出した。それを拡げると、
二本の黒い絹の紐がついた金縁の鼻眼鏡が出てきた。
「ウィロビー・スミスは目の良い男なんです」ホプキンスはつけ加えた。「これはたしか
に犯人の顔からもぎとったんですよ」
シャーロック・ホームズは眼鏡を手にとって、非常に注意深く、かつ興味ありげに調べ
た。彼は自分の鼻にその眼鏡をかけ、何か読もうとしたり、窓のところへ行って街を眺め
ようとした。そして今度はランプの光でとっくりと調べ、最後に薄笑いを浮かべて机に向
かい、紙に数行なにか書いてスタンリー・ホプキンズに渡した。
「これが最善の援助だね。きっと何か役に立つよ」彼は言った。驚いた探偵は声を出して
それを読んだ。それは次のようなものである。
尋ね人。応対上手な貴夫人ふうな女。鼻がひどく厚く両眼は鼻に接近している。額に皺 し
わ あり凝視の癖がある。おそらく猫背。ここ数か月のうちに少なくとも二回、眼鏡屋に行っ
た形跡あり。彼女の眼鏡は非常に度が強く、かつ眼鏡屋の数はそれほど多くないゆえ、彼
女をつきとめるのはさして困難ではないはず。
ホームズはホプキンズの驚いた顔を見て笑った。私の顔にもホプキンズの驚きがうつっ
ていたにちがいない。
「なに、僕の推理はごく簡単だよ」彼は言った。「眼鏡ほど推理に都合のいい物はまず無
いのじゃないかねえ。ことにこの眼鏡は特徴があるからよい。これが女用だということ
は、華奢 きゃしゃ なこととスミスの最後の言葉で推定できる。彼女が上品で良いものを着ている
のは、ほら、メッキじゃなくて本物の金縁が見事にはめられているのでもわかる。こんな
上等な眼鏡をしている女はほかの点でも貧相なはずはないよ。君の鼻には広すぎるだろ
う。ということはこのご婦人の鼻柱がとても厚い証拠だよ。こういう鼻は通例、低くて下
品なもんだが、例外もずいぶんあるから、この際それまで断定したり主張するのは止めよ
う。僕の顔は細いほうだが、それにしてもこの眼鏡をかけると、僕の目はレンズの中心に
合わない。これは婦人の目がひどく鼻のほうへ寄っているということだ。ワトスン君、見
てごらん。これは近視用で、しかもひどい度の強さだ。長く近視でいるという女には肉体
的な特徴ができるものだ。それは額や眼ぶたや肩にあらわれる」
「うん、君の言うことはわかったよ。しかし彼女が二度、眼鏡屋に行ったというのはわか
らんね」私は言った。
ホームズは眼鏡を取り上げた。
「見てごらん。止め金に鼻の圧迫を柔らげるために薄いコルクがついている。そのひとつ
は変色して幾分すり切れている。一方はまだ新しい。明らかに片方がとれたのでつけかえ
たのだ。しかし古いほうもまだ数か月もたっていないよ。このふたつは品が同じだし、そ
こで僕はこのご婦人は同じ店に二度行っていると判断するわけだ」
「なるほど、たいしたもんだ!」ホプキンズが感嘆して叫んだ。「僕はみんな証拠を持ち
ながら、それに気づかなかった。もっとも僕もロンドンじゅうの眼鏡屋を調べてはみるつ
もりでしたが」
「もちろん、やってみることだね。ところで事件についてまだ何か話すことがあります
か」
「もうありません。ホームズさん。あなたは僕の知っていることはみな、いやそれ以上に
ご存じのようです。あの界隈 かいわい の道や駅で見なれぬ人物を見かけなかったか、調べました
が、誰もないのです。犯罪の目的はいったい何か、それがわからないのが困りますよ。
まったく動機がつかめませんからねえ」
「うん、それは僕にもわからないな。でも明日来てくれというわけなんでしょう」
「申し訳ありませんが、ホームズさん。六時にチャリング・クロスからチャタム行の汽車
があります。八時から九時までにはヨックスリー古荘に着くでしょう」
「それに乗るとしよう。君の持ち込んだ事件はとても面白そうだ。喜んで首をつっこもう
よ。さてと、もう一時だね。眠っておかなきゃいかん。炉の前のソファに君は休むとい
い。出発前にはアルコール・ランプでコーヒーを入れて上げるよ」