「ご主人に打ちあけるべきでしたね」
「できません! それはできないことですわ。こちらとすれば破滅はたしかなこと、また
あちらとすれば、夫の書類に手をつけるなんて、恐しいことのようですけれど、政治のこ
とは、その重大さは理解できません。でも愛と信頼の問題は、私には……重大さはわかり
過ぎるくらいにわかっておりますの。私が取った道は後の道でございます。まず夫の鍵の
型をとりました。私はそれで文箱をあけて、書類を取りまして、ゴードルフィン街へ運び
ました」
「そこで何が起こりましたか」
「約束どおりにドアを軽く叩きますと、ルーカスが開けに参りました。私はあとについて
部屋へ入って行きましたが、ホールの戸を少し開けておきました。あんな男と二人きりに
なるのは心配でございますもの。入って行きましたとき、表に女の人がひとり立っていた
のを覚えております。私たちの取り引きはすぐに終わりました。私の手紙は机に置いてあ
りました。私は書類を渡しますと、向こうも手紙を寄こしました。
このとき、入口のほうに音がしました。次いで廊下に足音が聞こえてまいります。ルー
カスはすばやく絨毯をめくりますと、書類をその下の隠し場所に入れて、また絨毯を元通
りにしました。
それから後のことは、何か恐ろしい悪夢のような気がします。浅黒い、血迷った女の顔
と声が映じます。その声はフランス語で叫んでいました。
《待ったのも無駄ではなかったわ。とうとう、とうとう女と一緒のところを見つけて
やった!》
格闘になりまして、ルーカスは椅子をふりあげ、彼女の手にはナイフがきらめいていま
した。私は急いで、その恐ろしい場面から逃げだし、家へ帰ってしまいました。
翌朝、新聞でその恐ろしい結末を知りました。でもその晩は、手紙は取り戻しました
し、この先どうなりますのか、何もわかりませんので幸福な気持ちでございました。
翌朝になって初めて私は、災難をまた一つの災難と交換したに過ぎないと知ることにな
りました。手紙の紛失を知りましての夫の苦悶は、私の心につきささりました。私はその
場ですぐに、自分のしましたことを、夫の足元にひざまずいて、打ち明けなくてはなりま
せんでした。でもそれでは、過去の出来事を告白しなければなりません。その朝、私は自
分の罪の大きさを知りたくて、あなたの所へ参りました。私はそのことがわかりました瞬
間から、夫の書類を戻そうということばかりに心を向けました。ルーカスが隠したのは、
あの恐ろしい女が部屋に入る前なのですから、まだその置いた場所にあるに違いありませ
ん。あの女が入って来なければ、私はあの隠し場所はわからなかったでしょう。ではどう
したら、あの部屋へ入れましょう。二日間、そこを見張っておりましたけれど、ドアを開
け放したことは一度もございません。
そこで昨晩、最後の試みをやってみたのでした。私がどうやって成功しましたかは、も
うご存じのはずです。もどした書類は、夫に罪を告白しませんことには返す方法がありま
せんので、焼き捨てようと思っておりました。おや! 階段に足音がします」
ヨーロッパ大臣は興奮して部屋に入って来た。
「何か情報が入りましたか、ホームズさん」
「望みはいくらかありますね」
「これはありがたい!」彼の顔は喜びに輝いた。「総理とは今日、昼食をともにすること
になっているのです。総理にもそのお話をしてあげて頂けませんか。あの人は《はがね》
のような神経を持っているんですが、あんなことがあってからは、ほとんど眠れない様子
です。ジェイコブズ、総理にお通り下さるように言ってくれ。ヒルダ、これは政治の話だ
から、食堂で待っていなさい。二、三分たったら行きます」
総理の態度は静かではあったが、眼の光や、骨ばった手をひきつったりする様子から
ホープ氏同様、動揺していることはわかった。
「何か報告するものがおありだとのことですが」
「今までのところでは、控え目なものですが、ありそうな場所はことごとく調べてみまし
た。それで心配するほどの危険はまずないと思われます」
「でも、それだけでは充分ではありませんね。そんな火山の上で、いつまでも安んじてお
られませんよ。決定的なものが欲しいのです」
「それは期待してもよいと思われます。そのために、こうして伺ったのですからね。私は
そのことを考えれば考えるほど、手紙はこの家から離れていないと確信するんですがね」
「ホームズさん、これはまた……」
「外へ出ていれば、今頃は確実に公にされていますよ」
「家の中へ置いておくんでしたら、なぜ取ったりなんかするんでしょう」
「誰も取ってはいないと確信しますね」
「では、どうして文箱から消えていったのでしょう」
「文箱にあると思います」
「ホームズさん、そんな冗談は時をわきまえないものですよ。文箱からはなくなっている
と申したはずですよ」
「あなたは火曜日の朝以後、箱をお調べになりましたか」
「いいえ。そんな必要はありません」
「見逃しということも考えられますよ」
「あり得ないことです」
「でも私はそれでは納得がいきません。前にもこんなことがあったのです。その中には、
他の書類もあることと思いますし、紛れ込んだのかもしれません」
「いちばん上に置いておいたのです」