「いえ、脇にむしろを敷いて、全員そこを歩くようにしました」
「さすがです」
「このかばんの中に、ストレイカーが履いていた深靴の片方と、シンプスンの靴の片方、
それからシルヴァー・ブレイズの蹄てい鉄てつを用意してあります」
「警部、あなたは実に有能な方だ!」ホームズはかばんを受け取って窪地の底へ下りてい
くと、敷いてあったむしろを真ん中に近いほうへずらした。それからその上に腹這いにな
り、両手に顎あごをのせ、目の前の踏み荒らされた泥を注意深く眺めた。
「おっ!」ホームズが唐突に声をあげた。「これはなんだ?」
それは蠟マッチの燃えさしだった。泥まみれなので、一見すると小さな木切れのよう
だ。
「どうして見落としたんだろう」警部は悔しさをにじませて言った。
「見えっこありませんよ、泥に埋まっていたんですから。僕はこれを探していたから見つ
けられただけです」
「えっ! 最初からそこにあることがわかっていたんですか?」
「あってもおかしくないとは思っていました」ホームズはかばんからストレイカーの深靴
を取りだし、地面の踏み跡と照合し始めた。それから窪地のへりをよじのぼり、シダや灌
かん木ぼくのあいだを這はいまわった。
「もう足跡は残っていないと思いますよ」警部が言った。「百ヤード四方にわたって徹底
的に調べましたから」
「なるほど!」ホームズは立ちあがった。「あなたがそうおっしゃるなら、調べ直すよう
な無礼なまねは慎みましょう。あとは暗くなる前に荒れ地をちょっと歩いて、明日のため
に地形を頭に入れておこうと思います。この蹄鉄ですが、幸運のお守りとして預からせて
ください」
ホームズが手順に従って粛々と捜査を続けているので、さっきからいらだちをあらわに
していたロス大佐が、懐中時計にちらりと目をやった。
「警部、わたしと一緒に戻ってくださらんか?」大佐は言った。「いろいろと相談したい
ことがありますんでね。今度のレース、世間に対する責任というものがありますから、出
走表からうちの馬の名前を消すべきではないかと考えているんですよ」
「その必要はありません」ホームズが断固とした調子で口をはさんだ。「出走表にはその
まま名前を残しておいてください」
大佐は軽く一礼し、もったいぶって言った。「これはこれは、貴重なご意見をたまわ
り、まことにありがとう存じます。では散策が終わったらストレイカーの家に戻ってくだ
さい。タヴィストックへ馬車でお送りしますから」
大佐が警部と一緒に立ち去ると、ホームズと私は荒れ地をぶらぶらと歩いた。太陽はケ
イプルトン廏舎の方角へ沈もうとしている。前方に広がるなだらかな起伏の荒野は夕陽で
黄金に輝き、枯れたシダやイバラは赤茶色に染まっている。けれども、ホームズはそうし
た荘厳な景色をよそに、なにやら深く考えこんでいる。
「よし、それじゃワトスン」ホームズはようやく口を開いた。「ジョン・ストレイカー殺
しの犯人は誰かという問題はひとまずおいて、馬の発見に専念することにしよう。シル
ヴァー・ブレイズが惨劇の真っ最中か直後に逃げだしたとしたら、どこへ向かったと思
う? 馬は群れでいることを好む動物だ。本能的にキングス・パイランドへ戻るか、ケイ
プルトンへ行くかだろう。荒れ地を駆けまわっているとはとても考えられない。もしそう
ならば、とっくに発見されているはずだ。ロマに連れ去られただって? まさか。連中は
厄介事を耳にしたら、さっさとその場所から離れるよ。警察にうるさくつつかれるのはご
めんだからね。だいいち、ロマがああいう有名な競走馬を売り買いするなんてことは無理
に決まっている。シルヴァー・ブレイズをさらったところで、危険ばかり大きくて、なん
の得にもならないさ」
「じゃあ、馬はどこにいるんだろう?」
「さっき言ったように、キングス・パイランドへ戻ったか、ケイプルトンへ行ったかのど
ちらかだよ。キングス・パイランドにいないということは、ケイプルトンしかない。この
仮説をたどって、どういう結果に行き着くか確かめようじゃないか。警部が言っていたよ
うに、このあたりの地面は乾燥していて、かちこちだ。しかしケイプルトンまでは、この
とおり下り斜面になっている。ほら、あそこに細長い窪くぼ地ちが見えるだろう? 月曜
の晩の雨で、地面は湿って柔らかくなっているはずだ。僕らの仮説が正しければ、馬はあ
の窪地を通ったはずだから、踏み跡がないか調べてみよう」
そんな会話を交わしながら足早にてくてく進んでいくと、数分後には目的の窪地にたど
り着いた。ホームズの指示で、二手に分かれて下りていくことになり、私は斜面の右側
へ、ホームズは左側へ向かった。すると五十歩も行かないうちに、ホームズが大声で呼ぶ
のが聞こえた。見ると、こっちへ来いと手招きしている。彼の足もとの柔らかくなった地
面に、馬の通った跡がきれいに残っていた。ホームズがポケットから蹄鉄を取りだして合
わせると、ぴったり重なった。
「想像力の大切さがよくわかったろう?」ホームズは言った。「グレゴリー警部に欠けて
いるのは、まさにそれだ。僕らは想像力を働かせて、なにが起こったかを推測し、それに
基づいて行動した結果、推測が正しかったことを確認できた。さあ、先へ進むとしよう」
私たちはじめじめした窪地の底を横断し、乾いた固い草地を四分の一マイルほど歩い
た。再び下り斜面になると、そこにも蹄鉄の跡があった。その先は半マイルばかり跡を見
失ったが、ケイプルトン廏きゆう舎しやの近くまで来ると再び見つけた。先に発見した
ホームズは、勝ち誇った表情でそれを指さした。馬の足跡の横に人間の足跡がついてい
た。
「ここまでは馬だけだったんだね!」私は声をあげた。
「そのとおり。馬だけだった。おっと、これはどういうことだ?」
人間と馬の足跡は急に向きを変え、キングス・パイランドの方角へ進んでいた。ホーム
ズは口笛を吹き、二人で跡をたどっていった。彼は足跡を食い入るように見ていたが、私
はふと視線を横にずらした。なんと、まったく同じ人と馬の足跡が反対方向へ戻り、ケイ
プルトンのほうへ向かっているではないか。
私がそれを知らせると、ホームズは言った。「お手柄だよ、ワトスン。もと来た道を
延々とたどらされて、とんだ無駄足を踏むところだった。さあ、そっちの戻っていく足跡
をたどろう」
それほど遠くまでは行かなかった。足跡はケイプルトン廏舎の門に続くアスファルト舗
装の道で途切れていた。私たちが門に近づくと、中から馬丁が飛びだしてきた。
「勝手に入ってもらっちゃ困るな」
「ちょっと訊ききたいんだが」ホームズはチョッキのポケットに親指と人差し指をすっと
入れた。「きみの親方のサイラス・ブラウンさんに会いたいんだが、明日の朝五時に来た
ら早すぎるかな?」
「早すぎるもんか。親方はまだ誰も起きてない時間から起きるんだ。一番の早起きだよ。
おっと、本人が来たから、じかに尋ねたらどうだい? だめだよ、あんた、金は受け取れ
ない。親方に見つかったらクビになっちまう。なんだったら、あとでまた」