「それが仕事ですから」
「まあ。でもすべておっしゃるとおりですわ。メアリーはこの写真を撮った数日後に、隣
に写っているジム・ブラウナーと結婚しました。もともと南米航路で働いていましたが、
メアリーと長いあいだ離ればなれで暮らすのはいやだと言って、リヴァプールとロンドン
を結ぶ定期船に移ったんです」
「ああ、ではコンカラー号ですね?」
「いいえ、メイデイ号だとジムは言っていましたわ。前に一度だけここへ来たときに。あ
れはジムが禁酒の誓いを破ってしまう前でした。あのあとは陸おかに上がるたびに飲むよ
うになって。ちょっとでもお酒が入ると、手がつけられないほど乱暴になるんですのよ。
再びお酒に手を出したのが運の尽きでしたわね。あの人はまずわたくしと縁を切って、そ
のあとセアラともけんかをしたんです。メアリーからの音信も途絶えてしまいましたわ。
今頃あの夫婦はどこでどう暮らしているやら」
ミス・クッシングは内面に抱えた悩みを打ち明ける気になったようだ。孤独な生活を
送っている人にはよくあることだが、彼女も閉ざしていた心を徐々に開き、進んで話をし
てくれるようになった。初めに客室係をしている義弟について事細かに語り、次に以前住
んでいた家で部屋を貸していた医学生たちのことに話が移り、彼らのよろしくない行状を
長々とあげつらったうえ、氏名と所属する病院名まで教えてくれた。ホームズはときおり
質問をはさみながら熱心に耳を傾けていた。
「上の妹のセアラさんですが」ホームズは訊きいた。「なぜあなたと一緒に暮らさないん
でしょう? お二人とも結婚なさっていないのに別々に住んでおられるとは意外ですね」
「あらまあ、セアラの性格をご存じないから、そんなことをおっしゃるんですわ。わたく
しがこのクロイドンへ引っ越してきたとき、試しに同居してみましたの。でも、やっぱり
うまく行かなくて、二カ月くらい前に出ていきました。実の妹のことを悪く言いたくはあ
りませんけれど、お節介で、どうしようもない気むずかし屋なんです」
「セアラさんは、リヴァプールの妹さん夫婦とも折り合いが悪かったんですね?」
「ええ。一時はとても親しかったんですけどねえ。どうしても妹夫婦のそばにいたくて、
リヴァプールへ移り住んだほどなんですよ。それが今ではジム・ブラウナーの悪口ばか
り。セアラがこの家にいた半年間は、酒飲みだの、素行が悪いだのと、ジムをけなしっぱ
なしでしたわ。あそこまで険悪になるからには、なにかあったんでしょう。ジムがセアラ
のお節介焼きに業を煮やして、きっぱり文句を言ったのかもしれませんわね」
「ありがとうございました、クッシングさん」ホームズは立ちあがって、お辞儀をした。
「妹のセアラさんのお宅はウォリントンのニュー街でしたね? では、そろそろおいとま
します。あなたがおっしゃったように、まったく身に覚えのないことで厄介な目に遭われ
て、本当にお気の毒さまです」
家を出たところへ、ちょうど辻つじ馬車が通りかかったので、ホームズが呼び止めた。
「ウォリントンまで距離はどれくらい?」と御者に尋ねた。
「一マイルかそこらですよ、旦だん那な」
「そうか。よし、じゃあワトスン、乗ろう。〝鉄は熱いうちに打て〟だ。単純な事件では
あるが、非常にためになることをいくつか学べそうだね。御者くん、通りがかりに電報局
があったら停まってくれないか?」
ホームズは途中で短い電報を打った。それからあとは馬車の座席にもたれ、日射しを避
けるため帽子を鼻まで引き下ろしていた。やがて馬車は一軒の家の前で停まったが、それ
はさきほど私たちが訪問した家とよく似ていた。ホームズは御者に待つよう言ってから、
玄関のノッカーに手を伸ばした。それと同時にドアが開いて、黒い服につやつやした帽子
をかぶった青年がいかめしい表情で現われた。
「ミス・セアラ・クッシングはご在宅ですか?」ホームズが尋ねた。
「クッシングさんは絶対安静です」青年は答えた。「昨日から脳に深刻な症状が出ていま
すので、主治医としてはどなたにも面会を許可することはできません。十日後くらいに、
もう一度いらしてみてください」医師は手袋をはめてドアを閉め、通りを去っていった。
「なるほど、そうか、会えない状態か」ホームズは快活な調子で言った。
「おそらく会っても話ができないだろう。話す気もないかもしれないしね」
「セアラ・クッシングから話を聞こうなんて、最初からみじんも思っていなかったよ。た
だ会うだけでよかったんだ。だが知りたいことはこれで全部わかった。御者くん、どこか
気の利いたホテルへ連れていってくれ。昼食をとりたいんだ。ワトスン、そのあとで警察
に寄って、レストレイドに会うとしよう」
私たちは軽い食事を楽しんだ。ホームズはヴァイオリンの話に夢中になり、今持ってい
るストラディヴァリウスは少なく見積もっても五百ギニーの価値はあるが、トテナム・
コート通りのユダヤ人古物商からたったの五十五シリングで購入したのだと自慢げに語っ
た。そこから話題はパガニーニへと移り、クラレット一本を一時間かけて味わうあいだ、
奇才の作曲家でありヴァイオリン奏者であるその男の逸話をふんだんに語り聞かせてくれ
た。警察へ着く頃には夕方近い時刻になっていて、あれほどぎらぎらと照りつけていた日
射しもだいぶ弱まっていた。署の入口でレストレイドが待ちかまえていた。
「電報が届いてますよ、ホームズさん」
「来たか、返信が!」ホームズは封を切って、すばやく目を通したあと、電報をポケット
にねじこんだ。「よし、これでいい」
「なにかわかったんですか?」
「なにもかもわかったよ!」
「なんですって!」レストレイドはびっくりしてホームズを見た「ご冗談でしょう?」
「生まれてこのかた、これほど真面目だったことはないよ。忌まわしい犯罪が起こり、そ
れを細部にいたるまで解明できたと思っている」
「では犯人もわかったんですね?」
ホームズは自分の名刺の裏に短く走り書きして、レストレイドにひょいと放った。
「それが犯人だ。だが、逮捕はどんなに早くても明日の夜になるだろう。この事件に関し
ては、僕の名前を出さないようにしてくれたまえ。解決の困難な事件にだけ名前を残した
いのでね。行こう、ワトスン」
私たちは足早に駅へ向かい、あとに残ったレストレイドはホームズに渡された名刺を見
て、顔を輝かせていた。