執事が消えた。メイドも消えた。メイドは執事をかつて愛していたが、のちにわけあっ
て憎むようになった。ウェールズ人の血が流れる気性の激しい女だけに、なおさら平静で
はいられまい。それから、彼女は執事の失踪直後にひどく興奮していた。おかしな物を池
に投げこみもした。これらはどれも充分に考慮すべきだが、核心に迫る要素ではない。こ
の一連の出来事はどこに端を発したのか? 出発点を探せば、もつれた糸をほぐす手立て
が見つかるにちがいない。
『マスグレイヴ家に伝わる文書とやらを見せてくれないか?』僕は言った。『執事にとっ
ては、職を失う危険を冒してでも調べる価値があったわけだからね』
『我が家の儀式の内容を記しただけの、おもしろくもなんともない文書だよ。古びている
こと以外にはなんの値打ちもないんだがね。それでもよければ、儀式で交わされる問答の
写しを持ってきたから、気が済むまで見てくれ』
彼がそう言って渡してくれたのが、ワトスン、この紙なんだ。マスグレイヴ家の跡継ぎ
は、成人になるとこの変わった問答を唱えるよう定められているそうだ。そのまま読みあ
げてみるよ。
それは誰のものであったか?
去りし人のものなり。
それを得るべき者は誰か?
やがて来る人なり。
どの月であったか?
初めから六つ目。
太陽はどこにあったか?
樫かしの上。
影はどこにあったか?
楡にれの下。
いかにして歩を踏むべきか?
北へ十歩、さらに十歩。東へ五歩、さらに五歩。南へ二歩、さらに二歩。西へ一歩、さら
に一歩。されば下へ。
われらはなにを与えるべきか?
われらのものすべてを。
なにゆえに与えるべきか?
信義のために。
『原文に日付はないが、綴つづり方は十七世紀半ばのものだ』とマスグレイヴは言った。
『どうだい、これを読んでも謎はいっこうに解けないだろう?』
『謎が解けるどころか、謎がよけい増えたよ。初めの謎より、こっちのほうがはるかに興
味をそそるがね。これを解けば、初めの謎も解けるかもしれない。マスグレイヴ、こう
言ってはなんだが、きみのところの執事は実に聡そう明めいな男だね。洞察力の鋭さでは
マスグレイヴ家の十代にわたる当主たちよりもまさっていたようだ』
『どういうことかのみこめないよ。重要なものには見えないんだが』
『僕にはとてつもなく重要なものに見えるよ。思うに、ブラントンも同じ考えだったんだ
ろう。きみに現場を押さえられた晩以前にも、これを調べていたんじゃないかな』
『充分ありうるね。厳重に保管していたわけではないから』
『あくまで想像だが、きみに見とがめられたときには、念のため再度確認する段階まで来
ていたのかもしれない。地図らしきものを広げて、この文書と見くらべていたところ、き
みが現われたので慌ててポケットにしまった。そうだったね?』
『ああ、そのとおりだ。しかし、あの男が我が家の古い儀式となんの関係があるんだろ
う。このお粗末な問答の意味からして、さっぱりわからない』
『それを突きとめるのはそう難しくないと思うよ。次の汽車でサセックスへ出発しない
か? 現地でじっくり調べたい』
僕らはその日の午後にハールストンに到着した。あの館は古い建築物として有名だか
ら、きみも絵や解説をどこかで目にしたことがあるだろう。というわけで、細かいことは
抜きで大まかに説明しておく。全体がL字型をしていて、長いほうがあとから建て増しし
た部分、短いほうがもとからある部分だ。
古い翼棟の中央には、頑丈な横木を上に渡した低いドアがあり、その上部には一六〇七
年という文字が彫られている。だが専門家たちによれば、梁はりや石造りの部分はもっと
古いそうだ。もとからあった建物は壁が極端に分厚く、窓がかなり小さかったため、マス
グレイヴ家の先祖は一世紀前の十八世紀に増築工事をおこなった。現在、古いほうの棟は
使われるとしても物置や貯蔵庫といった用途だそうだ。建物の周囲は立派な古木のある美
しい庭園になっていて、マスグレイヴの話に出てきた池は家から二百ヤードほど離れた並
木道のそばにある。
実はね、ワトスン、すでに僕はいくつかのことを確信していた。まず、この事件に存在
するのは三つの別々の謎ではなく、たったひとつの謎だ。それから、マスグレイヴ家の儀
式書を正しく解読できれば、いなくなったブラントンとレイチェルがどうなったかも、お
のずと明らかになるはずだ。
そこで、例の儀式書に全神経を集中させた。執事のブラントンが古い問答文に並々なら
ぬ関心を注いだのはなぜか。これまで何代にもわたって当主たちが見過ごしてきた重大な
ものを発見し、そこから利益を得られると期待したからにほかならない。では、重大なも
のとはなにか。それは彼の運命にどんな影響を及ぼしたのか。
儀式書を読んですぐに気づいたのは、東西南北へ何歩という箇所が、ほかの箇所がほの
めかしている物の存在場所を示しているということだ。よって、その場所を突きとめれ
ば、マスグレイヴ家の先祖たちがあの珍しい問答に封じこめておこうとした秘密への扉も
必ず開かれるだろう。
出発点となる手がかりはふたつある。樫の木と楡の木だ。樫の木のほうはすぐに見つ
かった。家の真向かいの、馬車道の左側に、めったにお目にかかれない堂々たる樫の木立
があり、その中でひときわ貫かん禄ろくを放っていたのが大きな老木だったんだ。
『あの木は儀式書が作られた時代からあるのかな?』馬車がそばを通りかかったとき、僕
はマスグレイヴに尋ねた。
『ああ、十一世紀のノルマン人征服の頃にもあったと思うよ。幹の太さは二十三フィート
もあるんだ』
これで出発点のひとつがはっきりした。
『楡の老木はあるかい?』
『向こうにかなり古いのが一本あったが、十年前に落雷でやられたので、切り倒してし
まったよ』
『どこにあったか、正確にわかるかい?』
『もちろんだとも』
『ほかに楡の木は?』
『古いのは全然ない。ブナの老木ならたくさんあるんだが』
『楡の老木が生えていた場所を見せてくれないか』
僕らを乗せた二輪馬車は玄関に到着したが、降りたあと、マスグレイヴは家の中に入ら
ずに楡の木が立っていた地点へ案内してくれた。樫の木と家の建物のだいたい真ん中あた
りに位置する芝生に、切り株が残っていた。僕の捜査は順調に進んでいきそうだった。