事件現場を調べる前に、使用人たちをしつこく問いただしてみたが、すでに話したこと
以上の情報は引きだせなかった。ただ、ちょっと気になることをジェーン・スチュワート
が覚えていてね。室内の口論する声を聞いて、慌ててほかの使用人たちを呼びにいったメ
イドのことだよ。初めにメイドが一人きりだったときは、大佐も夫人も低いぼそぼそとし
た声だったのでよく聞き取れず、言葉ではなく声の調子から言い争っていると判断したそ
うだ。しかし僕がそこをさらに問い詰めたら、夫人が〝デイヴィッド〟という名前を二度
口にしたことを思い出してくれた。これは夫妻が突然口論になった原因を突きとめるうえ
で非常に重要な手がかりだ。覚えているだろうが、大佐の名前はジェイムズだからね。
今回の事件では、使用人たちと警察に強烈な印象を与えた事柄がひとつある。それは大
佐の顔が大きくゆがんでいたことだ。彼らが口をそろえて言うには、恐怖と不安がこれで
もかというほどありありと浮かんでいたそうだ。その死に顔を一目見ただけで失神する者
が続出したらしいから、かなり恐ろしい形相だったにちがいない。大佐は我が身に降りか
かる運命を予期したんだろう。そして恐怖のどん底に突き落とされたわけだ。これは警察
の見解を裏付けることになる。殺意を抱いて襲いかかってくる妻を見れば、大佐がそうい
う表情になるのはもっともだからね。致命傷は後頭部にあったが、警察の見解と矛盾する
わけではない。相手が正面から殴りかかってきたので、よけようと顔をそむけたのかもし
れないだろう? 夫人からはまだ話を聞くことができない。急性脳炎にかかって、一時的
な錯乱状態に陥っているんだ。
警察によれば、その晩バークリー夫人と一緒に出かけたモリスン嬢は、夫人が立腹して
帰宅した理由にはまったく心当たりがないと言っている。
ワトスン、僕はこうした事実をかき集めたあと、パイプを立て続けにふかしながら、決
定的な事柄と単なる付随的な事柄とを仕分けしてみた。
この事件でとりわけ目立つ気になる事実は、なぜかドアの鍵が消え失うせたということ
だ。室内をしらみつぶしに調べたが、とうとう見つからなかった。何者かが持ち去ったに
ちがいない。それが大佐でも夫人でもないことは明らかだ。よって、未知の第三者が部屋
へ入ったことになる。侵入経路はフランス窓以外にないだろう。室内や芝生をじっくり調
べれば、謎の人物がいたことを示す痕こん跡せきが見つかるかもしれない。ワトスン、僕
の手法は知っているね? ありとあらゆる手段を注ぎこんだよ。その結果、いくつかの痕
跡を発見したが、期待していたものとは全然ちがった。まず、あの部屋には一人の男がい
た。街道から庭へ入って芝生を横切り、部屋へやって来たらしい。非常にはっきりとした
足跡が五つ見つかったんだ。ひとつは街道にあった。低い塀を乗り越えた地点だろう。あ
とは芝生にふたつ。侵入口であるフランス窓に近い汚れた床板にも、うっすらとふたつ
残っていた。芝生は走って横切ったようだ。足跡はかかとより爪先のほうがはるかに深
かったからね。けれども僕が仰天したのはこの男の存在じゃないんだ。その連れだよ」
「連れ?」
ホームズはポケットから大きな薄紙を取りだし、膝ひざの上で慎重に広げた。
「なんだと思う?」と私に問いかける。
紙には小さな動物の足跡がいくつもあった。五本の指がはっきりとわかり、長い爪もつ
いていて、全体の大きさはデザートスプーンくらいだ。
「犬かな」私は言った。
「カーテンを駆けのぼる犬なんているだろうか? その痕跡がくっきりと残っていたんだ
がね」
「そうなると、猿か?」
「これは猿の足跡じゃないよ」
「じゃあ、いったいなんだろう」
「犬でもない、猫でもない、猿でもない。われわれがよく知っている動物はどれもあては
まらないんだ。そこで足跡を測定して、全体像を再現しようと試みた。ほら、この部分の
四個の足跡は四つ足動物が立ち止まったときのものだ。前脚から後ろ脚までの距離は十五
インチくらいある。首と頭をつけ足すと体長二フィートにもなるわけで、もし尻しつ尾ぽ
もついていれば、さらに大きい。ところがだ。ここにもうひとつ別の、動いているときの
足跡があるだろう? これの歩幅を測ってみると、どれも三インチ程度しかないんだ。さ
あ、どうだい? 細長い胴体にきわめて短い脚のついた動物だとわかるだろう? 残念な
がら毛は一本も落としていってくれなかったが、姿形はだいたい今言ったとおりだろう。
しかもそいつはカーテンをすばしこく駆けのぼることができ、肉食だ」
「なぜ肉食だと?」
「カーテンを駆けのぼったからだよ。窓辺にはカナリアのいるかごが吊つりさがっていた
んだ。たぶんそれをねらったんだろう」
「そうなると、この獣の正体は?」
「うむ、それを言いあてられれば、事件の解決もすぐそこなんだろうがね。なんとなく思
い浮かぶのはイタチやオコジョの仲間なんだが、こんな大型のイタチやオコジョが果たし
ているのかどうか」
「しかし、そいつが事件にどうかかわっているんだい?」
「その点もまだはっきりしない。だけどね、ずいぶんいろんなことがわかってきたよ。た
とえば、バークリー夫妻の口げんかを道に立って眺めていた男がいるということ。窓のブ
ラインドは上がっていたし、室内は明かりがともっていたからね。また、その人物は謎の
動物を連れて芝生を走り、部屋へ飛びこんだ。そしてバークリー大佐を殴りつけた。ある
いは、大佐が男を見て肝をつぶし、卒倒したはずみで頭を炉格子の角にぶつけたのかもし
れないがね。さらには、どういうわけか男は逃げる際に部屋の鍵を持ち去ったこともわ
かっている」
「新しい事実が出てくれば出てくるほど、不可解さが増していく気がするよ」私は言っ
た。
「ああ、まったくだ。要するに、当初の予想よりもはるかに奥の深い事件だということ
さ。全体を眺めてみて、別の角度から攻めるべきだとの結論に行き着いた。だがワトス
ン、いつまでもきみを起こしておくわけにはいかない。続きは明日、オルダーショットへ
向かう列車の中で話すよ」
「かまわないから、続けてくれ。途中でおあずけを食うほうがつらい」
「では続けるとしよう。バークリー夫人が七時半に家を出た時点では、夫と仲たがいして
いなかったことは明らかだ。さっきも話したとおり、夫人は派手な愛情表現は決してしな
いが、出かける前に夫となごやかに言葉を交わしていたのを御者が聞いている。さらに、
これもやはり明らかな事柄だが、夫人は帰ってくるなり夫と顔を合わさずに済みそうな部
屋へ行き、すぐにメイドにお茶を頼んだ。女性が動揺したときに取る行動だね。やがて大
佐が部屋へやって来ると、夫人は夫を激しく非難し始めた。ということは、七時半から九
時までのあいだになにかが起こり、その出来事のせいで夫人の夫に対する態度は百八十度
変わってしまったんだ。