甲太は、決して、馬がはあはあ息を切らす位まで、荷物をつけることはしませんでした。又、夕方、車が空いて、それから、馬が道をよく知って、ひとりでポカポカあるいているときも、甲太はほかの人たちのように、車の上へこしかけて、ほほづえをついてあくびをしたり、ねころんで空をながめて歌をうたったりしませんでした。又、町へ着いて、馬が汗ばんでいる時は、甲太は、まずかい槽を馬にあてがって、それから車から荷物をおろし、それから手桶を借りて、つめたい水を汲んで来て、馬のびっこを引く方のあしへザァッとかけてやりました。
すべてこんな工合でした。それですから、仲間の荷馬車をひく人たちは、もうみんな甲太に及ばないと思ってこわがっていましたが、馬のかあいいこと、またかあいそうなことを知らない町の人たちの中には、甲太のあまり馬をいたわるのを、ばかにするものもありました。殊にひどいのは、同じ町はずれの床屋でした。床屋は、夕方など、よく往来に出ていて、甲太の馬をひいて来るのに、真面目な顔で話しかけました。
「おい。おまえの馬の今夜のご馳走は何だい。」
「やっぱり藁と燕麦だ。」
「藁はそのままじゃ消化が悪いよ。鶏卵をかけてオムレツをこさえてやったらどうだい。」
「馬鹿にしないで呉れよ。」
「いやほんとうだ。又こうして見ているに、燕麦も消化がよかないぞ。まるで馬の腹を素ど〔以下原稿数枚なし〕
でしょう。」
「うん。うちの馬は、ほんとうは、あんなものを着てもいいやつなんだ。あのびっこさえなかったらもう第一等のやつなんだ。」
「一枚買っておやりなさいよ。五六円で買えるでしょう。」
「どうして、どうして。五六円や、十円ぐらいじゃ、とても買えない。もっと高いよ。そして、東京でなくちゃ売ってまい。」
「そんならわたしが一つこさえて見ましょうか。あぶをよけるだけなら、そんなに面倒じゃないでしょう。きれは天じくもめんでいいでしょうか。」
「うん。それは天じくもめんでいいさ。しかし、おまえでこさえられるかい。」
「こさえて見ましょう。あしたきれを買ってきましょうか。しかし、あしたは、私は麦を入れに畑の方へ出ますから、やっぱりお前さん、序に買って来て下さい。」
「うん。しかし麦はまだ入れなくてもいいよ。も少し乾かしとけよ。着物の方を早くこさえて呉れないかい。」
「ええ、それじゃそうしましょう。そんなら今から買って来て今夜中につくりましょうか。」
「うん、しかしお前に気の毒だな。こしらえるのはあしたでもいいよ。とにかくきれを買って来い。そら、天じくもめん一たんでいいだろうか。一反三円ぐらいだろうか。」
「そんなにはしないでしょう。一疋五円ぐらいだろうと思います。しかし一反じゃたりないでしょう。そうっと、やはり四丈五尺もないといけませんね。」
「そうか。四丈五尺なら四円あればいいな。おあしをやろう。」
「まだこっちにありますよ。そいじゃすぐ行って参ります。」
おかみさんは、膳やなんかを台所へ持って行って、それから、一寸したくをして、きれを買いに出かけました。
甲太は、ひるのつかれで、とろとろしながら馬の草をゴリゴリ喰べる音を聞いていましたが、とうとう、ねむくて眼をあいていられなくなったので、そのままころりと寝てしまいました。
さて次の朝、甲太が眼をさまして見ますと、枕もとに、白い馬の着物が、ちゃんと畳んで置いてありました。甲太はそれをひろげて見ますと、眼を出す円い孔や、ピンとした耳まで、すっかりついています。甲太は、うれしくて、それに何だか変におかしくて、にこにこしながら、起きて顔を洗いました。おかみさんがごはんをたいていました。
「おい。きものができたな、どうだろう。馬に合うだろうか。」
「合いますよ。あれからすっかり寸法をとりましたから。」
「そうかい。睡かったろう。今日は家でやすんで呉れよ。一寸着せて見よう。馬を連れて来るからね。」
甲太は馬をつれ出しました。馬は朝日を浴びて、くろく又きん色にひかり、高くいななきました。
甲太は、着物をとって、馬の頭からかぶせはじめました。馬はひひんと云って首を上げ、それから又下げました。
おかみさんは、少し顔をあかくして、うまく合うかどうか、台所に立って見ていました。
実にうまい工合です。馬の顔が半分と、頭とくびと、胸からせ中まで、すっかり白い着物を着ました。種馬所の一等の馬の着物だって、この通りです。ただ少しちがうことは、着物がおしりの方までのびていないことでした。
甲太は叫びました。
「すてきだ。すてきだ。実にうまい。立派だ。うまい。うまい。」
おかみさんもあんまりうれしくて思わずまみだが出ました。
ところが、一寸工合の変なことは、きものに耳のついていることでした。種馬所のは、耳にはきれがかからないで、円い孔から出るようになっていたのでした。甲太のおかみさんのこしらえたのは、耳のはいる三角な袋があったのでした。そして、耳の寸方だけは取らなかったと見えて、どうも馬の耳よりきものの耳の方が、二寸ばかり長く、はじがぶらり〔以下原稿数枚なし〕
でしたけれども、甲太はすっかりしゃくにさわってしまいました。そして、黙って床屋の前を通りすぎて、米屋へ行きました。
米谷の主人は馬を見て、機嫌よく笑って、
「お前さんの馬はしあわせだな。今日は米を十五俵、停車場までお願いしたいがな。」と云いました。そこで甲太は、早速、米を車の上にのせて、ガラガラ停車場の方へ行きました。
途中に子供が五人ばかり遊んでいました。いちばん小さな子供が、馬を見て、びっくりして変な顔をして、黙って、じっと見つめていましたが、やっとそれは馬が着物を着たのだということがわかると、もう大笑いをしてしまいました。
「アッハッハ。ごらん。馬がねまき着て来る。馬がね巻着て来る。」
みんな一度に笑い出しました。
「アッハッハッハ。馬のねまき、馬のねまき、アッハッハッハ。」
一人が、まるでとびあがるくらいに叫びました。
「あの耳をごらん。あの耳をごらん。折れてしまったよ。折れてぶらぶらしてるよ。」
さあ大へん。もう、みんな、あらんかぎりの声でどなりました。
「馬耳折れた、馬耳折れた、馬耳折っちょれた。」
甲太もきまり悪くて、顔をまっかにしましたが、それでもにこにこ笑って云いました。
「おらの馬、うさぎ馬だよ。」
すると子供らは一どにしいんとなってなるほどという顔をしてその大きなうさぎうまを見送りました。
甲太が、馬をひいて、停車場前の広場をよこぎって、それから運送屋の庫の方へ行こうとしたとき、丁度汽車から降りた旅の人たちが、停車場から出て来ました。一人のせいの低い、ごま塩ひげの洋服を着たじいさんが、俥に乗って、向うから来ましたが、ふと甲太の馬を見て、にわかに眼をするどく光らせて、まるで食い入るように馬の頭巾の中をのぞいたり、少しびっこを引く脚を見たりしていましたが、とうとういきなり、
「おい、ちょっととめて呉れ。」と俥屋さんに云いました。そして急いで俥から降りると、甲太の前に立ちふさがりました。
「おい。お前が、この馬を有っているのか。まあ失敬だが、どうしてお前の手になどはいったかな。ふんふん。だんだんびっこがなおったようだ。斯うなおるとはおれは思わなかったな。お前はいくらでこの馬を買ったのだ。」
「二百円です。」
「ふん、ふん。そうか、この馬はたいへんなもんだぞ。びっこがなおれば大さわぎが起るぞ。この頭巾はお前んとこでこさえたのか。うまい、仲々うまい。しかしあの耳はとった方がいいな。ふんふん。お前は一たい今日で何箇月この馬を荷馬車につけたのだ。」
「二百日です。」
「ふん。二百日。そうか、教えてやろう。この馬のびっこはもうすぐなおる。なおる間、荷馬車をひかせておいてもいい。そしてなおったらな、からだをきれいに洗って、種馬所の伊藤という人のところへ連れて行って見ろ。〔以下原稿なし〕