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ポラーノの広場

时间: 2015-08-19    进入日语论坛
核心提示: そのころわたくしはモリーオ市の博物局に勤めて居りました。 十八等官でしたから役所のなかでもずうっと下の方でしたし俸給も
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  そのころわたくしはモリーオ市の博物局に勤めて居りました。
 十八等官でしたから役所のなかでもずうっと下の方でしたし俸給もほんのわずかでしたが、受持ちが標本の採集や整理で、生れ付き、好きなことでしたから、わたくしは毎日ずいぶん愉快にはたらきました。殊にそのころ、モリーオ市では競馬場を植物園に拵え直すというので、その景色のいいまわりにアカシヤを植え込んだ広い地面が、切符売場や信号所の建物のついたままわたくしどもの役所の方へまわって来たものですから、わたくしはすぐ宿直という名前で月賊で買った小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもってその番小屋にひとり住むことになりました。わたくしはそこの馬を置く場所に板で小さなしきいをつけて一疋の山羊を飼いました。毎朝その乳をしぼってつめたいパンをひたしてたべ、それから黒い革のかばんへすこしの書類や雑誌を入れ、靴もきれいにみがき、並木のポプラの影法師を大股にわたって市の役所へ出て行くのでした。あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波、
 またそのなかでいっしょになったたくさんのひとたち、ファゼーロとロザーロ、羊飼のミーロや顔の赤いこどもたち、地主のテーモ、山猫博士のボーガント・デストゥパーゴなど、いまこの暗い巨きな石の建物のなかで考えているとみんななつかしい青いむかし風の幻燈のように思われます。
 では、わたくしはいくつかの小さなみだしをつけながらしずかにあの年のイーハトーヴォの五月から十月までを書きつけましょう。
 
一、遁げた山羊
 
 五月のしまいの日曜でした。わたくしは賑やかな市の教会の鐘の音で眼をさましました。もう日はよほど登って、まわりはみんなきらきらしていました。時計を見るとちょうど六時でした。わたくしはすぐチョッキだけ着て山羊を見に行きました。すると小屋のなかはしんとして藁が凹んでいるだけであのみじかい角も白い髪も見えませんでした。
「あんまりいい天気なもんだから大将ひとりででかけたな。」
 わたくしは半分わらうように半分つぶやくようにしながら、向うの信号所から、いつも放して遊ばせる輪道の内側の野原、ポプラの中から顔を出している市はずれの白い教会の塔までぐるっと見まわしました。けれどもどこにもあの白い頭もせなかも見えていませんでした。うまやを一まわりしてみましたがやっぱりどこにも居ませんでした。
「いったい山羊は馬だの犬のように前居たところや来る道をおぼえていて、そこへ戻っているということがあるのかなあ。」わたくしはひとりで考えました。さあ、そう思うと早くそれを知りたくてたまらなくなりました。けれども役所のなかとちがって競馬場には物知りの年とった書記も居なければそんなことを書いた辞書もそこらにありませんでしたから、わたくしは何ということなしに輪道を半分通ってそれからこの前山羊が村の人に連れられて来た路をそのまま野原の方へあるきだしました。
 そこらの畑では燕麦もライ麦ももう芽をだしていましたしこれから何か蒔くとこらしくあたらしく掘り起されているところもありました。
 そしていつかわたくしは町から西南の方の村へ行くみちへはいってしまっていました。
 向うからは黒い着物に白いきれをかぶった百姓のおかみさんたちが、たくさん歩いてくるようすなのです。わたくしは気がついてもう戻ってしまおうと思いました。全くの起きたままチョッキだけ着て顔もあらわず帽子もかむらず山羊が居るかどうかもわからない広い畑のまんなかへ飛びだして来ているのです。けれどもそのときはもう戻るのも工合が悪くなってしまっていました。向うの人たちがじき顔の見えるところまで来ているのです。わたくしは思い切って勢よく歩いて行っておじぎをして尋ねました。「こっちへ山羊が迷って来ていませんでしたでしょうか。」女の人たちはみんな立ちどまってしまいました。教会へ行くところらしくバイブルも持っていたのです。
「こっちへ山羊が一疋迷って来たんですが、ご覧になりませんでしたでしょうか。」
 みんなは顔を見合せました。それから一人が答えました。
「さあ、わたくしどもはまっすぐに来ただけですから。」
 そうだ、山羊が迷って出たときに人のようにみちを歩くのではないのだな。わたくしはおじぎをしました。
「いや、ありがとうございました。」
 女たちは行ってしまいました。もう戻ろう、けれどもいま戻るとあの女の人たちを通り越して行かなければならない、まあ散歩のつもりでもすこし行こう、けれどもさっぱりたよりのない散歩だなあ、わたくしはひとりでにがわらいしました。そのときまた向うから廿五六になる若ものと十七ばかりのこどもとスコープをかついでやって来ました。もう仕方ない、みかけだけにたずねて見よう、わたくしはまたおじぎしました。
「山羊を一疋迷ってこっちへ来たのですがごらんになりませんでしたでしょうか。」
「山羊ですって。いいえ。連れてあるいて遁げたのですか。」
「いいえ、小屋から遁げたんです。いや、ありがとうございました。」わたくしはおじぎをしてまたあるきだしました。
 するとそのこどもがうしろで云いました。
「ああ、向うから誰か来るなあ。あれそうでないかなあ。」
 わたくしはふりかえって指ざされた私の行くほうを見ました。
「ファゼーロだな、けれども山羊かなあ。」
「山羊だよ。ああきっとあれだ。ファゼーロがいまごろ山羊なんぞ連れてあるく筈ないんだから。」
 たしかにそれは山羊でした。けれどもそれは別ので売りに町へ行くのかもしれない、まああの指導標のところまで行って見よう、わたくしはそっちへ近づいて行きました。一人の頬の赤い、チョッキだけ着た十七ばかりの子どもが何だかわたくしのらしい雌の山羊の首に帯皮をつけてはじを持ってわらいながらわたくしに近よって来ました。どうもわたくしのらしいけれども何と云おうと思いながらわたくしは立ちどまりました。すると子どもも立ちどまってわたくしにおじぎしました。
「この山羊はおまえんだろう。」
「そうらしいねえ。」
「ぼく出てきたらたった一疋で迷っていたんだ。」
「山羊もやっぱり犬のように一ぺんあるいた道をおぼえているのかねえ。」
「おぼえてるとも。じゃ。やるよ。」
「ああほんとうにありがとう。わたしはねえ、顔も洗わないで探しに来たんだ。」
「そんなに遠くから来たの。」
「ああわたしは競馬場に居るからねえ。」
「あすこから?」子どもは山羊の首から帯皮をとりながら畑の向うでかげろうにぎらぎらゆれているやっと青みがかったアカシヤの列を見ました。
「ずいぶん遠くまで来たもんだねえ。」
「ああ、じゃ、僕こっちへ行くんだから。さよなら。」
「あ、ちょっと待って。ぼくなにかあげたいんだけれどもなんにもなくてねえ。」「いいや、ぼくなんにもいらないんだ。山羊を連れてくるのは面白かった。」
「だけどねぇ、それではわたしが気が済まないんだよ。そうだ、あなたは鎖はいらないの。」わたくしは時計の鎖ならなくても済むと思いながら銀の鎖をはずしました。
「いいや。」
「磁石もついているよ。」
 すると子どもは顔をぱっと熱らせましたがまたあたりまえになって
「だめだ、磁石じゃ探せないから。」とぼんやり云いました。
「磁石で探せないって?」私はびっくりしてたずねました。
「ああ。」子どもは何か心もちのなかにかくしていたことを見られたというように少しあわてました。
「何を探すっていうの?」子どもはしばらくちゅうちょしていましたがとうとう思い切ったらしく云いました。
「ポラーノの広場。」
「ポラーノの広場? はてな、聞いたことがあるようだなあ。何だったろうねえ、ポラーノの広場。」
「昔ばなしなんだけれどもこのごろまたあるんだ。」
「ああそうだ。わたしも小さいとき何べんも聞いた。野はらのまんなかの祭のあるとこだろう。あのつめくさの花の番号を数えて行くというのだろう。」
「ああ、それは昔ばなしなんだ。けれども、どうもこの頃もあるらしいんだよ。」
「どうして。」
「だってぼくたちが夜野原へ出ているとどこかでそんな音がするんだもの。」
「音のする方へ行ったらいいんでないか。」
「みんなで何べんも行ったけれどもわからなくなるんだよ。」
「だって、聞えるくらいならそんなに遠い筈はないねえ。」
「いいや、イーハトーヴォの野原は広いんだよ。霧のある日ならミーロだって迷うよ。」
「そうさねえ、だけど地図もあるからねえ。」
「野原の地図ができてるの。」
「ああ、きっと四枚ぐらいにまたがってるねえ。」
「その地図で見ると路でも林でもみんなわかるの。」
「いくらか変っているかもしれないがまあ大体はわかるだろう。じゃ、お礼にその地図を買って送ってあげようか。」
「うん、」子どもは顔を赤くして云いました。
「きみはファゼーロって云うんだね。宛名をどう書いたらいいかねえ。」
「ぼく、ひまを見付けておまえんうちへ行くよ。」
「ひまって今日でもいいよ。」
「ぼく仕事があるんだ。」
「今日は日曜じゃないか。」
「いいえ、ぼくには日曜はないんだ。」
「どうして。」
「だって仕事をしなけぁ、」
「仕事ってきみのかい。」
「旦那んさ。みんなもう行って畦へはいってるんだ。小麦の草をとっているよ。」
「じゃきみは主人のとこに雇われているんだね。」
「ああ、」
「お父さんたちは。」
「ない。」
「兄さんか誰かは」
「姉さんがいる。」
「どこに、」
「やっぱり旦那んとこに。」
「そうかねえ、」
「だけど姉さんは山猫博士のとこへ行くかも知れないよ。」
「何だい。その山猫博士というのは。」
「あだ名なんだ。ほんとうはデストゥパーゴって云うんだ。」
「デストゥパーゴ? ボー、ガント、デストゥパーゴかい。県の議員の」
「ええ。」
「あいつは悪いやつだぜ。あいつのうちがこっちの方にあるのかい。」
「ああぼくの旦那のうちから見え……」
「おい、ここら何をぐずぐずしてるんだ。」うしろで大きな声がしました。見ると一人の赤い帽子をかぶった年老りの頑丈そうな百姓が革むちをもって怒って立っていました。
「もう一くぎりも働いたかと思って来て見るとまだこんなとこに立ってしゃべくってやがる。早く仕事へ行け。」
「はい、じゃさよなら。」
「ああさよなら。ぼくは役所からいつでも五時半には帰っているからね。」
「ええ、」ファゼーロは水壺とホーをもって急いで向うの路へはいって行きました。百姓はこんどはわたくしに云いました。
「あなたはどこのお方だか知らないが、これからわしの仕事にいらないお世話をして貰いたくないもんですな。」
「いや、わたしはね、山羊に遁げられてそれをたずねて来たらあの子どもさんが連れて来ていたもんだからお礼を云っていたんです。」
「いや、結構ですよ。山羊というやつはどうも足があって歩くんでね。やいファゼーロ、かけて行け、馬鹿かけて行けったら。」百姓は顔をまっ赤にして手をあげて革むちをパチッと鳴らしました。
「人を使うのに革むちを鳴らすなんて乱暴じゃないですか。」
 百姓はわざと顔を前につき出して云いました。
「このむちですかい。あなたはこの鞭のことを仰ったんですか。この鞭はねえ、人を使う鞭ではありませんよ。馬を追う鞭ですよ。あっちへ馬が四疋も行ってますからねえ。そらねこんなふうに。」百姓はわたくしの顔の前でパチッパチッとはげしく鞭を鳴らしました。わたくしはさぁっと血が頭にのぼるのを感じました。けれどもまたいま争うときでないと考えて山羊の方を見ました。山羊はあちこち草をたべながら向うに行っていました。百姓はファゼーロの行った方へ行きわたくしも山羊の方へ歩きだしました。山羊に追いついてから、ふりかえって見ますと畑いちめん紺いろの地平線までにぎらぎらのかげろうで百姓の赤い頭巾もみんなごちゃごちゃにゆれていました。その向うの一そう烈しいかげろうの中でピカッと白くひかる農具と黒い影法師のようにあるいている馬とファゼーロかそれともほかのこどもかしきりに手をふって馬をうごかしているのをわたくしは見ました。
 
二、つめくさのあかり
 
 それからちょうど十日ばかりたって、夕方、わたくしが役所から帰って両手でカフスをはずしていましたら、いきなりあのファゼーロが戸口から顔を出しました。そしてわたくしがまだびっくりしているうちに
「とうとう来たよ、今晩は」と云いました。
「ああ、先頃はありがとう。地図はちゃんと仕度しておいたよ。この前の音は今でもするの。」
「するとも、昨夜なんかとてもひどいんだ。今夜はもうぼくどうしても探そうとおもって羊飼いのミーロと二人で出て来たんだ。」
「うちの方は大丈夫かい。」
「うん、」ファゼーロは何だか少しあいまいに返事しました。
「きみの旦那はなかなか恐い人だねえ、何て云うんだ。」
「テーモだよ。」
「テーモ、やっぱし何だか聞いたような名だなあ。」
「聞いたかも知れない。あちこち役所へ果物だの野菜だの納めているんだから。」
「そうかねえ。とにかく地図はこれだよ。」わたくしは戸口に買って置いた地図をひろげました。
「ミーロも呼んでもいいかい。」
「誰か来てるのか。いいとも。」
「ミーロ、おいで、地図を見よう。」
 すると山羊小屋の中からファゼーロよりも三つばかり年上のちゃんときゃはんをはいてぼろぼろになった青い皮の上着を着た顔いろのいいわか者が出てきてわたくしにおじぎしました。
「おや、ぼくは地図をよくわからないなあ、どっちが西だろう。」
「上の方が北だよ。そう置いてごらん。」
 ファゼーロはおもての景色と合せて地図を床に置きました。
「そら、こっちが東でこっちが西さ。いまぼくらのいるのはここだよ。この円くなった競馬場のここのとこさ。」
「乾溜工場はどれだろう。」ミーロが云いました。
「乾溜工場って、この地図にはないね、こっちかしら。」わたくしは別のをひろげました。
「ないなあ、いつころからあるんだい。」
「去年からだよ。」
「それじゃないんだ。この地図はもっと前に測量したんだから。その工場はどんなとこにあるの。」
「ムラードの森のはずれだよ。」
「ああ、これかしら、何の木だい、楢か樺だろう。唐檜やサイプレスではないね。」
「楢と樺だよ。ああこれか。ぼくはねえ、どうも昨夜の音はここから聞えたと思うんだ。」
「行こう行こう、行って見よう。」ファゼーロはもう地図をもってはねあがりました。
「わたしも行っていいかい。」
「いいともぼくそう云いたくていたんだ。」
「じゃわたしも行こう。ちょっと待って。」わたくしは大急ぎで仕度をしました。どうせ月は出るけれども地図が見えないといけないと思ってガラス凾のちょうちんも持ちました。
「さあ行こう。」わたくしはばたんと戸をしめてファゼーロとミーロのあとに立ちました。
 日はもう落ちて空は青く古い池のようになっていました。
 そこらの草もアカシヤの木も一日のなかでいちばん青く見えるときでした。
「ポラーノの広場へ行けば何があるって云うの?」
 ミーロについて行きながらわたくしはファゼーロにたずねました。
「オーケストラでもお酒でも何でもあるって。ぼくお酒なんか呑みたくはないけれどみんなを連れて行きたいんだよ。」
「そうだって云ったねえ、わたくしも小さいときそんなこと聞いたよ。」
「それに第一にね、そこへ行くと誰でも上手に歌えるようになるって。」「そうそうそう云った。だけどそんなことがいまでもほんとうにあるかねえ。」
「だって聞えるんだもの。ぼくは何もいらないけれども上手にうたいたいんだよ。ねえ。ミーロだってそうだろう。」
「うん。」ミーロもうなずきました。元来ミーロなんかよほど歌がうまいのだろうとわたくしは思いました。
 わたくしどもはもう競馬場のまん中を横切ってしまってまっすぐに野原へ行く小さなみちへかかっていました。ふりかえってみるとわたくしの家がかなり小さく黄いろにひかっていました。
「ぼくは小さいときはいつでもいまごろ、野原へ遊びに出た。」ファゼーロが云いました。
「そうかねえ、」
「するとお母さんが行っておいで、ふくろうにだまされないようにおしって云うんだ。」
「何て云うって。」
「お母さんがね、云っておいで、ふくろうにだまされないようにおしって云うんだよ。」
「ふくろうに?」
「うん、ふくろうにさ。それはね、僕もっと小さいとき、それはもうこんなに小さいときなんだ、野原に出たろう。すると遠くで、誰だか食べた、誰だか食べた、というものがあったんだ。それがふくろうだったのよ。僕ばかな小さいときだから、ずんずん行ったんだ。そして林の中へはいってみちがわからなくなって泣いた。それからいつでもお母さんそう云ったんだ。」
「お母さんはいまどこにいるの。」わたくしはこの前のことを思いだしながらそっとたずねました。
「居ない。」ファゼーロはかなしそうに云いました。
「この前きみは姉さんがデストゥパーゴのとこへ行くかもしれないって云ったねえ。」
「うん、姉さんは行きたくないんだよ。だけど旦那が行けって云うんだ。」
「テーモがかい。」
「うん、旦那は山猫博士がこわいんだからねえ。」
「なぜ山猫博士って云うんだ。」
「ぼくよくわからない。ミーロは知ってるの?」
「うん、」ミーロはこっちをふりむいて云いました。
「あいつは山猫を釣ってあるいて外国へ売る商売なんだって。」
「山猫を? じゃ動物園の商売かい。」
「動物園じゃないなあ。」ミーロもわからないというふうにだまってしまいました。そのときはもう、あたりはとっぷりくらくなって西の地平線の上が古い池の水あかりのように青くひかるきりそこらの草も青黝くかわっていました。
「おや、つめくさのあかりがついたよ。」ファゼーロが叫びました。
 なるほど向うの黒い草むらのなかに小さな円いぼんぼりのような白いつめくさの花があっちにもこっちにもならびそこらはむっとした蜂蜜のかおりでいっぱいでした。
「あのあかりはねえ、そばでよく見るとまるで小さな蛾の形の青じろいあかりの集りだよ。」
「そうかねえ、わたしはたった一つのあかしだと思っていた。」
「そら、ね、ごらん、そうだろう、それに番号がついてるんだよ。」
 わたしたちはしゃがんで花を見ました。なるほど一つ一つの花にはそう思えばそうというような小さな茶いろの算用数字みたいなものが書いてありました。
「ミーロ、いくらだい。」
「一千二百五十六かな、いや一万七千五十八かなあ。」
「ぼくのは三千四百二十……六だよ。」
「そんなにはっきり書いてあるかねえ。」わたくしにはどうしてもそんなにはっきりは読むことができませんでした。けれども花のあかりはあっちにもこっちにももうそこらいっぱいでした。
「三千八百六十六、五千まで数えればいいんだからポラーノの広場はもうじきそこらな筈なんだけれども。」
「だってさっぱりきみらの云うようないい音はしないんじゃないか。」
「いまに聞こえるよ。こいつは二千五百五十六だ。」
「その数字を数えるというのはきっとだめだよ。」
 とうとうわたくしは云いました。
「どうして?」ファゼーロもミーロもまっすぐに立ってわたくしを見ています。
「なぜって第一わたしは花にそんな数字が書いてあるのでなくてそれはこっちの目のまちがいだろうと思うんだ。もしほんとうにいまにその音が聞えてきたらまっすぐにそっちに行くのがいちばんいいだろうと思うんだ。とにかくもっとさきへ行ってみようじゃないか。ここらならわたしだって度々来ているんだから。ここらはまだあの岐れみちのまっ北ぐらいにしかなってないんだ。ムラードの森なんか、まだよっぽどあるだろう。ねえ、ミーロ君。」
「よっぽどあるとも。」
「じゃ、行こう、まあもっと行って花の番号を見てごらん。やっぱり二千とか三千とかだから。」
 ミーロはうなずいてあるきだしました。ファゼーロもだまってついて行きました。わたくしどもはじつにいっぱいに青じろいあかりをつけて向うの方はまるで不思議な縞物のように幾条にも縞になった野原をだまってどんどんあるきました。その野原のはずれのまっ黒な地平線の上では、そらがだんだんにぶい鋼のいろに変っていくつかの小さな星もうかんできましたしそこらの空気もいよいよ甘くなりました。そのうち何だかわたくしどもの影が前の方へ落ちているようなのでうしろを振り向いて見ますと、おお、はるかなモリーオの市のぼぉっとにごった灯照りのなかから十六日の青い月が奇体に平べったくなって半分のぞいているのです。わたくしどもは思わず声をあげました。ファゼーロはそっちへ挨拶するように両手をあげてはねあがりました。
 にわかにぼんやり青白い野原の向うで何かセロかバスのような顫いがしずかに起りました。
「そら、ね、そら。」ファゼーロがわたくしの手を叩きました。わたくしもまっすぐに立って耳をすましました。音はしずかにしずかに呟やくようにふるえています。けれどもいったいどっちの方か、わたくしは呆れてつっ立ってしまいました。もう南でも西でも北でもわたくしどもの来た方でもそう思って聞くと地面の中でも高くなったり低くなったりたのしそうにたのしそうにその音が鳴っているのです。
 それはまた一つや二つではないようでした。消えたりもつれたり一所になったり何とも云われないのです。
「まるで昔からのはなしの通りだねえ。わたしはもうわからなくなってしまった。」
「番号はここらもやっぱり二千三百ぐらいだよ。」ファゼーロが月が出て一そう明るくなったつめくさの灯をしらべて云いました。
「番号なんかあてにならないよ。」わたくしも屈みました。そのときわたくしは一つの花のあかしからも一つの花へ移って行く黒い小さな蜂を見ました。
「ああ、蜂が、ごらん、さっきからぶんぶんふるえているのは、月が出たので蜂が働きだしたのだよ。ごらん、もう野原いっぱい蜂がいるんだ。」これでわかったろうとわたくしは思いましたがミーロもファゼーロもだまってしまってなかなか承知しませんでした。
「ねえ蜂だろう。だからあんなに野原中どこから来るか知れなかったんだよ。」
 ミーロがやっと云いました。
「そうでないよ。蜂ならぼくはずっと前から知っているんだ。けれども昨夜はもっとはっきり人の笑い声などまで聞えたんだ。」
「人の笑い声、太い声でかい。」
「いいや。」
「そうかねえ。」わたくしはまたわからなくなって腕を組んで立ちあがってしまいました。
 そのときでした。野原のずうっと西北の方でぼぉとたしかにトローンボーンかバスの音がきこえました。わたくしはきっとそっちを向きました。するとまた西の方でもきこえるのです。わたくしはおもわず身ぶるいしました。野原ぜんたいに誰か魔術でもかけているかそうでなければ昔からの云い伝い通りひるには何もない野原のまんなかに不思議に楽しいポラーノの広場ができるのか、わたくしは却ってひるの間役所で標本に札をつけたり書類を所長のところへ持って行ったりしていたことが別の世界のことのように思われてきました。
「やっぱり何かあるのかねえ。」
「あるよ。だってまだこれどこでないんだもの。」
「こんなに方角がわからないとすればやっぱり昔の伝説のようにあかしの番号を読んで行かなければならないんだが、ぜんたい、いくらまで数えて行けばポラーノの広場に着くって?」
「五千だよ。」
「五千? ここはいくらと云ったねえ。」
「三千ぐらいだよ。」
「じゃ、北へ行けば数がふえるか西へ行けばふえるかしらべて見ようか。」その時でした。
「ハッハッハッ。お前たちもポラーノの広場へ行きてえのか。」うしろで大きな声で笑うものがいました。
「何だい、山猫の馬車別当め。」ミーロが云いました。
「三人で這いまわって、あかりの数を数えてるんだな。はっはっはっ、」その足のまがった片眼の爺さんは上着のポケットに手を入れたまままた高くわらいました。
「数えてるさ、そんならじいさんは知ってるかい。いまでもポラーノの広場はあるかい。」ファゼーロが訊きました。
「あるさ。あるにはあるけれどもお前らのたずねているような、這いつくばって花の数を数えて行くようなそんなポラーノの広場はねえよ。」
「そんならどんなんがあるんだい。」
「もっといいのがあるよ。」
「どんなんだい。」
「まあお前たちには用がなかろうぜ。」
 じいさんはのどをくびっと鳴らしました。
「じいさんはしじゅう行くかい。」
「行かねえ訳でもねえよ、いいとこだからなあ。」
「じいさんは今夜は酔ってるねえ。」
「ああ上等の藁酒をやったからな。」じいさんはまたのどをくびっと鳴らしました。
「ぼくたちは行けないだろうかねえ。」
「行けねえよ。あっいけねえ、とうとう悪魔にやられた。」じいさんは額を押えてよろよろしました。甲むしが飛んで来てぶっつかったようすでした。ミーロが云いました。
「じいさん、ポラーノの広場の方角を教えてくれたら、おいらぁ、じいさんと悪魔の歌をうたってきかせるぜ。」
「縁起でもねえ、まあもっと這いまわって見ねえ。」じいさんはぶりぶり怒ってぐんぐんつめくさの上をわたって南の方へ行ってしまいました。
「じいさん。お待ちよ。また馬を冷しに連れてってやるからさ。」ファゼーロが叫びましたがじいさんはどんどん行ってしまいました。ミーロはしばらくだまっていましたがとうとうこらえきれないらしく「おいおれ歌うからな」と云いだしました。
 ファゼーロはそれどころではないようすでしたが、わたくしは前からミーロは歌がうまいだろうと思っていたので手を叩きました。ミーロは上着やシャツの上のぼたんをはずして息をすこし吸いました。
  「いのししむしゃのかぶとむし
   つきのあかりもつめくさの
   ともすあかりも眼に入らず
   めくらめっぽに飛んで来て
   山猫馬丁につきあたり
   あわてて ひょろひょろ
   落ちるをやっとふみとまり
   いそいでかぶとをしめなおし
   月のあかりもつめくさの
   ともすあかりも目に入らず
   飛んでもない方に飛んで行く。」
 ところがそのじいさんの行った方から細い高い声で
「ファゼーロ、ファゼーロ。」と呼んでいるようすです。
「ああ、姉さん。いま行くよ。」ファゼーロがそっちへ向いて高く叫びました。向うの声はやみました。
「だめだなあ、きっと旦那が呼んでるんだ。早く森まで行ってみればよかったねえ。」
 ミーロが俄かに勢がついて早口に云いました。
「大丈夫だよ。おれはね、どうもあの馬車別当だの町の乾物屋のおやじだのあやしいと思っていたんだ。このごろはいつでも酔っているんだ。きっとあいつらがポラーノの広場を知ってるぜ。それにおれは野原でおかしな風に枯草を積んだ荷馬車に何べんもあってるんだ。ファゼーロ、お前ね、なんにも知らないふりして今夜はうちへ帰って寝ろ。おれきっと五六日のうちにポラーノの広場をさがすから。」
「そうかい。ぼくにはよくわからないなあ。」そのときまた声がしました。
「ファゼーロ、おいで。お使いに町へ行くんだって。」
「ああいま行くよ。ぼくは旦那のとこへまっすぐに行くんだが、おまえはひとりで競馬場へ帰れるかい。」
「帰れるとも、ここらはひるならたびたび来るとこなんだ。じゃ、地図はあげるよ。」
「うん、ミーロへやってこう。ぼくひるは野原へ来るひまがないんだから。」
 そのとき向うのつめくさの花と月のあかりのなかにうつくしい娘が立っていました。
 ファゼーロが云いました。
「姉さん、この人だよ。ぼく地図をもらったよ。」その娘はこっちへ出てこないでだまっておじぎをしました。わたくしもだまっておじぎをしました。
「じゃ、さよなら。早く行かなくちゃ」ファゼーロは走りだしました。
 ロザーロはもいちどわたくしどもに挨拶してそのあとから急いで行きました。ミーロはだまって北の方を向いて耳にたなごころをあてていました。わたくしはポラーノの広場というのはこういう場所をそのまま云うのだ、馬車別当だのミーロだのまだ夢からさめないんだと思いながら云いました。
「ミーロ、おまえの歌は上手だよ。わざわざポラーノの広場まで習いに行かなくてもいいや。じゃさよなら。」
 ミーロはていねいにおじぎをしました。わたくしはそしてそのうつくしい野原を胸いっぱいに蜂蜜のかおりを吸いながらわたくしの家の方へ帰ってきました。
 
三、ポラーノの広場
 
 それからちょうど五日目の火曜日の夕方でした。その日はわたくしは役所で死んだ北極熊を剥製にするかどうかについてひどく仲間と議論をして大へんむしゃくしゃしていましたから少し気を直すつもりで酒石酸をつめたい水に入れて呑んでいましたらずうっと遠くですきとおった口笛が聞えました。その調子はたしかにあのファゼーロの山羊をつれて来たり野原を急いで行ったりする気持そっくりなのでわたくしは思わず、とうとう来たな、とつぶやきました。
 やっぱりファゼーロでした、まだわたくしがその酒石酸のコップを呑みほさないうちにもう顔をまっ赤にして戸口に立っていました。
「わかったよ、とうとう。僕ゆうべ行くみちへすっかり方角のしるしをつけて置いた。地図で見てもわかるんだ。今夜ならもう間違なくポラーノの広場へ行ける。ミーロはひるのうちから行っていてぼくらを迎えに出る約束なんだ。ぼく行って見てほんとうだったらあしたはもうみんなつれて行くんだ。」
 わたくしも釣り込まれて胸を躍らせました。
「そうかい。わたしも行こう。どんななりして行ったらいいかねえ。どんな人が来てるだろうねえ。」
「どんななりでもいいじゃないか。早く行こう。来てる人が誰だかぼくもわからないんだ。」
 わたくしは大急ぎでネクタイを結んで新らしい夏帽子を被って外へ出ました。わたくしどもがこの前別れたところへ来たころは丁度夕方の青いあかりがつめくさにぼんやり注いでいて、その葉の爪の痕のような紋ももう見えなくなりかかったときでした。ファゼーロは爪立てをしてしばらくあちこち見まわしていましたが、俄かに向うへ走って行きました。ファゼーロはしばらく経ってぴたりと止まりました。
「あ、こいつだ、そらね、」見るとそこにはファゼーロが作ったらしく一本の棒を立ててその上にボール紙で矢の形を作って北西の方を指すようにしてありました。
「さあ、こっちへ行くんだ。向うに小さな樺の木が二本あるだろう。あすこが次の目標なんだよ。暗くならないうちに早く行こう。」ファゼーロはどんどん走り出しました。
 ほんとうにそこらではもうつめくさのあかりがつきはじめていました。わたくしもまたファゼーロのあとについて走りました。
「早く行こう、早く行こう、山猫の馬車別当なんかに見付かっちゃうるさいや。」
 ファゼーロはふりかえってそんなことを云いながら走りつづけました。けれどもさっき見た二本の樺の木まではなかなかすぐではありませんでした。
 ファゼーロはよく走りました。
 わたくしもずいぶん本気に走りました。
 やっとそこに着いてファゼーロが立ちどまったときは、あたりはもうすっかり夜になっていて樺の木もまっ黒にそらにすかし出されていました。
 つめくさの花はちょうどその反対に明るくまるで本統の石英ランプでできているようでした。
 そしてよく見ますとこの前の晩みんなで云ったように一一のあかしは小さな白い蛾のかたちのあかしから出来てそれが実に立派にかがやいて居りました。処々にはせいの高い赤いあかりもりんと灯りその柄の所には緑いろのしゃんとした葉もついていたのです。ファゼーロはすばやくその樺の木にのぼっていました。そしてしばらく野原の西の方をながめていましたがいきなりぶらさがってはねおりて来ました。
「次のしるしはもう見えないんだ。けれども広場はちょうどここからまっすぐ西になっている筈だからあの雲の少し明るいところを目あてにして歩いて行こう。もうそんなに遠くはないんだから。」
 わたくしどもはまたあるきだしました。俄かにどこからか甲虫の鋼の翅がりいんりいんと空中に張るような音がたくさん聞えてきました。
 その音にまじってたしかに別の楽器や人のがやがや云う声が時々ちらっときこえてまたわからなくなりました。
 しばらく行ってファゼーロがいきなり立ちどまってわたくしの腕をつかみながら西の野原のはてを指しました。わたくしもそっちをすかして見てよろよろして眼をこすりました。そこには何の木か七八本の木がじぶんのからだからひとりで光でも出すように青くかがやいてそこらの空もぼんやり明るくなっているのでした。
「ファゼーロかい。」いきなり向うから声がしました。
「ああ、来たよ。やっているかい。」
「やってるよ。とてもにぎやかなんだ。山猫博士も来ているようだぜ。」
「山猫博士?」ファゼーロはぎくっとしたようすでした。
「けれどもいっしょに行こう。ポラーノの広場は誰だって見附けた人は行っていいんだから。」
「よし行こう。」ファゼーロははっきり云いました。わたくしどもはそのあかりをめあてにあるいて行きました。ミーロもファゼーロも何か大へん心配なようでした。さっぱり物も云わなくなってしまったのです。そうなるとこんどはわたくしが元気がついて来ました。一体昔ばなしの通りのことが本統にあるのだろうか、それとも何かほかのことだろうか。山猫博士がここへ来て何をしているのだろうか。もうどうしても行って見たくてたまらなくなりました。殊にその日はわたくしはまだ俸給の残りを半分以上もっていましたしもしお金を払わなければならないとしてもファゼーロとミーロにご馳走するぐらい大丈夫だと考えたのです。
「いいよ、こんどはね、わたしについて来るんだよ。山猫博士なんか少しもこわいことはないんだから。」
 わたくしはもうまっさきに立ってどんどん急ぎました。甲虫の翅の音はいよいよ高くなり青い木はその一つの一つの枝まではっきり見えて来ました。木の下では白いシャツや黒い影やみんながちらちら行ったり来たりしています。誰かの片手をあげて何か云っているのも見えました。
 いよいよ近くなってわたくしはこれこそはもうほんもののポラーノの広場だと思ってしまいました。さっきの青いのは可成大きなはんの木でしたがその梢からはたくさんのモールが張られてその葉まできらきらひかりながらゆれていました。その上にはいろいろな蝶や蛾が列になってぐるぐるぐるぐる輪をかいていたのです。
 うつくしい夏のそらには銀河がいまわたくしどもの来た方からだんだんそっちへまわりかけて南のまっくろな地平線の上のあたりではぼんやり白く爆発したようになっていました。つめくさのかおりやら何かさまざまの果物のかおり、みんなの笑い声、そのうちにとうとうみんなは組になって踊りだしました。七八人のようではありましたがたしかにもうほんもののオーケストラが愉快そうなワルツをやりはじめました。一まわり踊りがすむとみんなはばらばらになってコップをとりました。そしてわあわあ叫びながら呑みほしています。その叫びは気のせいかデストゥパーゴ万歳というようにもきこえました。
「あれが山猫博士だよ。」
 ファゼーロが向うの卓にひとり座ってがぶがぶ酒を呑んでいる黄いろの縞のシャツと赤皮の上着を着た肩はばのひろい男を指さしました。
 誰か六七人コンフェットウや紐を投げましたのでそれは雪のように花のようにきらきら光りながらそこらに降りました。
 わたくしどもはもう広場の前まで来て立ちどまりました。
 ちょうどそのときデストゥパーゴがコップをもって立ちあがりました。
「おいおい給仕、なぜおれには酒を注がんか。」
 すると白い服を着た給仕が周章てて走り寄りました。
「はいはい相済みません。座っておいでだったもんですからつい。」
「座っておいでになっても立っておいでになっても我輩は我輩じゃないか。おっと、よろしい。諸君は我輩のために乾杯しようというんだな。よしよし、ブ、ブ、ブロージット。」
 そこでみんなは呑みほしました。
 わたくしは臆せてしまってもう帰ろうかとも思いましたがさっきファゼーロたちにあんなことを云ったものですから立っていることも遁げることもできませんでした。どうなるかなるようになれと思い切って二人をつれて帽子をとりながらあかりの中へはいりました。するとみんなは一ぺんにさわぎをやめて怪げんそうな顔つきでわたくしどもを見ました。それからデストゥパーゴの方を見ました。
 するとデストゥパーゴはちょっと首をまげて考えました。どうもわたくしのことを見たことはあるが考え出せないという風でした。するとそばへ一人の夏フロックコートを着た男が行って何か耳うちしました。デストゥパーゴは不機嫌そうな一べつをわたくしに与えてから仕方なそうにうなずきました。
 するとやはりフロックを着てテーモが来ていました。そのテーモが柄のついたガラスの杯を三つもって来て、だまってわたくしからミーロ、ファゼーロと渡しました。ファゼーロに渡しながらだまってにらみつけました。ファゼーロはたじたじ後退りしました。給仕がそばからレッテルのない大きな瓶からいままでみんなの呑んでいた酒を注ごうとしました。わたくしはそこで云いました。
「いや、わたしたちはね、酒は呑まないんだから炭酸水でもおくれ。」
「炭酸水はありません。」給仕が云いました。
「そんならただの水をおくれ。」わたくしは云いました。どういうわけかみんなしいんとして穴の明くほどわたくしどものことばかり見ています。わたくしも少し照れてしまいました。
「いや、デストゥパーゴさまは人に水をごちそうはなさいませんよ。」テーモが云いました。
「ごちそうになろう