ミン君は学校にいっていない。やはり学校にいっていないドー君とドゥック君と橋の下に住んでいる。日中、三人はセメント袋を持って、商店のゴミ捨て場をまわる。
ゴミはすぐ腐る。耐え難いほど臭い。そんなことはいっていられない。ゴミの中からペットボトルや空きカンを拾う。
ある日の収入、ボトル十四個、空きカン十個、ボロ布三枚で五十八円。
それで一杯十円のうどんを食べる。朝から何も食べていないから、とても足りない。心やさしい屋台のおばさんに二円まけてもらって、やっと二杯目のうどんにありついた。
ゴミ拾いも競争が激しい。どうにもならないとき、ミン君はできるならばやりたくない物乞《ものご》いに、しかたなくいく。
後払いで百円の赤ちゃんを借りていく。物乞いには、コップ一つとボロシャツ、そして赤ちゃんが�必需品�なのだ。
ミン君は赤ちゃんをあやすのがうまい。むずからないで赤ちゃんは「協力」してくれる。
雨降りがつづくと、それもできない。
市場で半分腐った野菜クズをかじって、飢えを満たそうとしたのはいいのだが、猛烈な下痢に見舞われ、三人は危うく命を落としそうになる。
そんなミン君だが正義心はつよい。
仲良しのかき氷屋のおばさんが、道路上の商売は違法だということで追われようとする。抵抗したおばさんは、天秤棒《てんびんぼう》に担いだカゴ二つの屋台を警官に壊された。
ミン君は警官の足に噛《か》みつく。口をはなそうとしないミン君は殴られ気を失ってしまう。
食中毒のとき助けてくれたゴミ拾いの仲間ターオ姉妹が、ナワ張りを理由に殴られていたときも、ミン君は六人の男の子を相手に奮闘するのだが、多勢に無勢またもや半殺しのめにあわされるのだ。
ある日、ミン君は一人の日本人に出会う。
「寒くないかい」
「そりゃー、寒いよ。でもほかに寝るところもないしさ。おじさん、何してるの?」
「あー、おじさんか。散歩だよ。それに君みたいな子どもたちを見つけて、子どもの家にきてもらっているんだ」
日本から、たった五時間でいけるベトナムの古都フエに、ミン君たちはいる。
ミン君の出会った日本人は、フエで「ハイバーチュン子どもの家」(日本での連絡先、ベトナムの「子どもの家」を支える会=電話〇二九四−七〇−一五〇〇)を運営している小山道夫さんである。
わたしは二年前に、ここを訪れ、子どもたちに会い、小山さんにいろいろ話をうかがった。
社会主義国にストリートチルドレンが多数いるというのは信じ難い話だが、これは現実なのである。
小山さんは中傷、不正、官僚主義(社会主義国にもそれがある)、そして金策にと、口にいえない辛酸をなめながら、くじけることなく「子どもの家」を守り続けている。
ミン君らの話は、小学館から出版された『火焔樹《かえんじゆ》の花』にくわしい。
小山さんの人生を知り、人間の生き方というものをつくづく考えさせられた。