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光と影03

时间: 2017-02-27    进入日语论坛
核心提示:    三 小武が麻酔から完全に目覚めたのは翌日の朝であった。激しい口渇で夜に一度目覚めたが看護卒の飲ませてくれた水で再
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     三
 
 小武が麻酔から完全に目覚めたのは翌日の朝であった。激しい口渇で夜に一度目覚めたが看護卒の飲ませてくれた水で再び寝入ったのである。気付くと病室には明るい朝の陽が輝き、同室の者の低い笑い声が聞こえた。
 ここは、と思って小武が首をもたげた途端に激しい痛みが右の腕に走った。
「うっ」
「大尉殿っ」窓際で氷嚢を入れ替えていた看護卒が駈け寄った。
「気付かれましたか」
 痛みで小武は初めて昨日、自分が上腕切断の手術を受けたことを思い出した。
 彼はそろそろと自由の利く左手で掛布団を除け、その下の右腕を探った。
「ない……」
 たしかに腕は包帯に巻き込まれたまま半ばで跡切れていた。彼は怯えたように横を見た。寺内が眠っている。
「おい、寺内」
 呼んだが寺内は答えなかった。寺内の手術前とは比べもつかぬ蒼ざめた顔に、柔らかい春陽がさし、そこに鼻がかすかな影を落していた。
(彼も切られたのか)
 目を移した瞬間、小武は息を呑んだ。掛布団の端に寺内の腕が出ている。副木を当てられ、何重にも包帯を巻かれた先にはかすかに色づいた手が見えた。
「腕がある……」
 もう一度、小武はたしかめた。だがやはりそれは寺内の右手であった。
「おい」小武は再び看護卒を呼んだ。
「あいつはやらなかったのか」
「いいえ、大尉殿のあとすぐやられました」
「腕が残っているぞ」
「それは……軍医殿に聞かねば分りません」
「お前は聞いとらんのか」
「はいっ」
(俺の腕も残っていたかな)
 小武はもう一度、確かめるように自分の右腕へ目を向けた。だが何度見ても腕はやはりなかった。
 
 翌日から手術のあとのガーゼ交換は小武、寺内の順におこなわれた。小武の創は断端の縫合部に軽い出血を見る程度で乾いていたが、寺内のは肘の上の表裏二面の創口から流れるように膿が出た。
「ううっ」
 創のガーゼを抜き出し、新しいのを挿入するたびに寺内は顔を蒼白にして堪えた。小武は目を背けて彼の苦痛の声をきいていた。ガーゼ交換が終ったあと寺内は、すべての気力を費い果したように肩で荒い息を繰り返した。
「何故切断してくれなかったのですか」
 三日目、ガーゼ交換のあと、彼は低い声で受持の川村軍医に尋ねた。
「骨の砕け方が小さかったのです」
「小武大尉と同じではなかったのですか」
「化膿の状況が貴官の方が軽かったので、佐藤先生と相談の結果、切断はしばらく見合わせることになったのです」
「では、場合によっては後で切断ということになるかも知れんのですか」
「あるいは、しかし腐った骨片は全部出したから化膿はおさまるかもしれません、そうしたら腕は助かります」
「骨がなくてもいいのですか」
「それは、化膿がおさまったところで考えればいいのです」
 それだけ云うと川村軍医は回診車の上にある盥《たらい》で手を洗い、部屋を出ていった。寺内は軍医の姿が消えるのを見届けると、小武の方をちらりと見て呟いた。
「分らん」
 小武は格別答える言葉もなく眼をそらした。
 
 腫れて赤味を帯びていた小武の創は、三日もたつと腫脹も弱まり、局所の熱もおさまった。この分なら十日目には半分の糸を抜き、十四日目には全抜糸ができるだろうと川村が告げた。縫合部の先端に指の先程の創が開いていたが、それが閉じるのも時間の問題だと思われた。
 だが寺内の方は相変らず膿が出続けていた。何処からどうして出てくるのか、見ていると不思議なほどだった。手術後、三日目に一旦三十八度近くまで下った熱は一日だけで、四日目から再び上り始め、五日目には四十度にまで達した。熱とともに食欲も目立って衰えた。もともと「馬」という綽名《あだな》があったほど長かった寺内の顔は頬が痩せて一層長くなり、蒼ざめた顔に髪の毛だけが伸び、幽鬼のような形相になった。
 毎日の回診は川村軍医が行なったが、週に二度、月曜と金曜は佐藤軍医監が現われた。
「寺内大尉だね」
 佐藤は寺内の処で立止り、自分からガーゼ交換を始めた。
「熱があるな」
「このところ続いています」
 川村が温度板を示した。熱は時間により上下に激しく変動していた。局所の化膿が敗血症に移行する時の熱型であった。佐藤はその温度板を暫く見詰めてから云った。
「つききりで肩から腕全部を冷やすのだ、一刻も休んではならん」
「はい」川村が答えた。
「食欲はあるのかね」
「普通食の三分の一が精一杯です」
 看護卒の言葉に佐藤は、ちょっと考えるように立止ったが、そのまま思い直したように部屋を出ていった。
 
 この大阪臨時陸軍病院に天皇陛下が行幸になったのはこの三日後の三月三十一日であった。天皇陛下は内閣顧問木戸孝允を随え、京都行在所から行幸になった。
 この時、病院には二千四百名の傷病兵がいたが、ベッドに起きられる者以外は寝てお迎えして構わぬという布達が出た。小武は起き、寺内は寝たままと定められた。
「起してさえくれればあとは坐っていられる。頼む起してくれ」
 その日の朝、寺内は秘かに小武に頼んだ。
「いかん、熱があるのにそんなことをしては命取りになるぞ」
「構わん、陛下を正坐してお迎え出来たらそれで思い残すことはない」
「落ちつけ、そんなことで命を縮めてどうなる。先は長いのだ」
「畜生、体の調子が良いからと云って偉そうなことを云うな」
「何を云う、貴様のためを思って云っているのだ」
 頑固な奴だと小武は呆れた。
「えいっ、この腕さえ切っておけばこんなことにならなかったのだ」
 床の中で寺内は自由のきく足をばたつかせた。小武は相手にせず背を向けていた。暫くしてから寺内が哀願するように云った。
「小武、一生の願いだ。起してくれ」
 小武はやはり答えなかった。背を向けたまま、自分の好意がいつか分ってくれる時があるかも知れないと思っていた。
 病院で定めたとおり小武はベッドに正坐し、寺内は臥床したままで天皇陛下を迎えた。中には強引に起き上り敬礼をしようとして創の個処に激痛を覚え倒れ伏す者もいた。明治天皇は第一室で早くもこのことを察して、
「朕が臨むので、患者が殊更に正坐平伏して敬礼を表する為に、苟《いやしく》も傷所に疼痛を増す事あらば朕が意に非ず。汝《なんじ》能く患者をして、此の意を体せしめよ」
 との言葉を賜わった。石黒院長は直ちに引き下り、予めこのことを全傷病兵に告げ、無用の正坐をすることを禁じた。
 陛下が通り過ぎたあと、小武は寺内が泣いているのを知った。
 
 四月になり桜が咲いた。小武の断端は完全に炎症がおさまり、腫れも消えて初めの頃より随分細くなった。風呂に入り筋肉を温めたあと肩を中心にぐるぐる廻し、先端の皮膚を強くするためマットに叩きつける。いわゆる後療法の段階に入っていた。
 たが寺内の病状は変りばえがしなかった。一時敗血症まで進むかと思われた高熱だけは、軍医と看護卒の不眠の努力でなんとか食いとめたが、微熱は相変らず続き、膿汁は一向に減る気配がなかった。ガーゼ交換の度に創の奥の神経に触れるらしく、その度に寺内は蒼ざめた額に汗を浮かべて呻き続けた。
 小武は熱と痛みに苦しむ寺内を見るのが辛かった。手術前まではあれだけ陽気になんでも話していた寺内が、ほとんど口をきかなくなった。慢性の熱があり、体の調子が悪い故もあったがそれだけではない。病状があまりにかけ離れたのが二人の気持を引き離しているようであった。
 寺内とは教導団時代から同期で励まし合った仲である。勿論競ったこともある。一方が一日でも早く昇級したと聞いたらいい気持はしない。だが二人の進級はほぼ同じか、小武の方がやや早かった。学術でも勇敢さでも寺内に譲ったことはなかった。
(だが今の病状の差はひどすぎる)
 と小武は思った。一方は自由自在に動き廻れるのに、一方は寝たきりであった。手術前は創が同じだと思っていただけにその差は一層際立って見えた。
(何故こんなことになったのか)
 佐藤軍医監や川村軍医のやることに誤りがあるとは思えなかった。自分が切断され、寺内の腕が残されたのにはそれなりの理由があるに違いなかった。そこから先は医学に素人の軍人が立入るべきことではなかった。
(それにしても俺はすでに腕がなく、あいつはとにかく腐っていても腕があるのだ)
 そこに気付いて小武は苦笑した。腕のない男と腐った腕の男と、これは大した違いではない。こんなことで勝った負けたを云ってもどうなるわけでもない。不具になると、考えることまでケチになるのか、小武は自分の思いにいささか呆れてしまった。
 
 桜の散った四月の半ばに小武は退院命令を受けた。肩の運動練習やマッサージはまだ必要であったが、それは臨時陸軍病院に入院してやらねばならぬほどのものでもなかった。
〈東京陸海軍病院にて通院治療のこと〉
 小武はその転院命令を鞄に旅装を整えた。
「いよいよ行くのか」
 寺内が床の中から云った。ひと頃より顔色はよくなっていた。食欲が多少出た故だが、栄養の大半は膿になって捨てられているようでもあった。
「これといった目処《めど》もないが、しばらくは東京で治療を続ける」
 治りきった先のことを思うとさすがに小武は不安だった。そこから先は、片腕の一介の不具にすぎなかった。
「いろいろ世話になった」珍しく寺内が神妙に云った。
「馬鹿なことを云え、何も出来なかった」
「お前がいるので心強かった」
「俺もだ」
 云いながら小武は、寺内の病状が悪かったのが自分にとって一つの救いであったのかも知れないと思った。
「俺も此処を出たい」
「夏までには出られるさ」
「いや、このままでは出られん」
 床の中から寺内は淋しげに云った。
「これは治らん」
「そんなことはない」
「いや、俺の体は俺が一番良くわかる」
 二度云われて小武は黙った。小武もそう思っていたのである。
 
 翌日、小武は佐藤軍医監の最後の回診を受けた。佐藤はすりこぎ棒のようになった断端を軽く叩き、肩の動きを見てから、
「よし、大丈夫だ」と云った。
「有難うございました」
「そのうち戦争が終れば私も順天堂へ戻る。東京ででもお逢いできるだろう」
「その節は宜しくお願いします」
 佐藤はうなすぎ、寺内の前に移動した。看護卒が包帯をとった。連日の膿で創の周囲は白くふやけていた。佐藤は黙って創を清め、改めてガーゼを詰めた。再び看護卒が包帯を巻き始めた時、寺内は左手をついてむっくりと起き上った。
「佐藤軍医監殿、お願いがあります」
「なんだ」
「この腕を切断して下さい」
「………」
「お願いです。私も小武大尉のように早く治って再度、お国へ御奉公したいのです」
 佐藤はおし黙ったまま窓の方を見ていたが、やがて一言も云わず病室を出て行った。
「軍医監殿っ、軍医監殿っ」
 叫んだが佐藤は戻って来なかった。さらに一声叫んだあと、寺内は拳を眼に当てたまま床に突っ伏した。
 
 小武敬介が東京へ戻ったのはこの年、明治十年五月の初めであった。前年から神風連、秋月、萩の乱に続き、各地に一揆が起きて物情は騒然としていたが、東京はさすがに首都らしく、それらの騒ぎを呑み込んでなお揺るがない大きさがあった。小武はひとまず本所小梅の叔父の家に厄介になりながら、一日おきに下谷の陸海軍病院へマッサージに通った。
 この帰京とともに彼は、
〈予備役編入被仰付〉
 という一通の辞令を陸軍省から受け取った。予期していた通りだった。
(廃兵よりはましか)
 辞令は見事に簡潔で素気なかった。予備役とは、一旦緊急ある時は再び使うというストック要員である。
(右腕はなくとも左手と足があるからな、いや頭だってある)
 まだまだその辺りで幅を利かしている成上り将校等に負ける気はなかった。
 傷病兵には傷痍軍人手当が下賜され、男一人食べていくに不自由はなかった。だが創が治り二日に一度の病院通いだけとなると時間があり余った。初めの頃は兵書を読み返したり、左手で木刀を持って揮ってみた。だが半刻もするともうやる気が失せた。やり始める時から云いようもない虚しさが襲ってくる。
(集中するのだ)
 自分に何度も云いきかすが効き目はない。
(こんなことをしても、どうせ予備役なのだ、いつか知れぬ時のために努めてみたところでどうなるのだ)
 小武は秀才であっただけに、ものの理非がすぐ分った。一目見ただけで先が見える。そこは寺内のような単純な熱血漢とは違っていた。死しても陛下を正坐して迎えたい、とか切断して一日も早くお国のために尽したい、という寺内の心情は理解しながら共感はできなかった。
(無謀なことを云う)
 小武には寺内の云うことが乱暴なこととしか思えなかった。
 初めの一カ月は大阪からの旅の疲れと、片手の不自由さもあって、さして退屈とも思わなかったが、新しい生活に慣れるにつれ、小武は一層暇をもて余した。
 軍隊にいる時は朝の起床から夜の就寝まですべてが時間に縛られて、ほとんど自分の時間というものがなかった。規律は厳しかったが、さほど苦痛ではなかった。むしろ自分から率先して縛った。
 よい軍人になるため、というはっきりした目的があったからである。
 目的が薄れ、縛るものがなくなると自分自身が急にふぬけた頼りない者に思えた。
(こんなことをしていていいのか)
 一日一日が無意味に過ぎていく。だが、だからといって代りにすることもなかった。苛立つだけで何もできない。
(一生、このまま飼殺しにされるのか)
 病院に行く日はまだ良かった。往復と治療でかなりの時間を費やせた。しかし行かぬ日はこれと云ってすることもなかった。傍から見ると結構な身分に見えたが小武には苦痛だった。
(寺内はどうしているか)
 そんな時、小武はふと寺内を思い出した。
(相変らず創に苦しんでいるのだろう)
 そう思う時だけ、小武はかすかに救われた気持になった。
 
 六月になった。その日も小武は兵書を読みかけたが身に入らず、半刻もせずに机を離れ、仰向けになった。初夏の陽が障子越しに小路の先に奥まったこの部屋まで射していた。珍しく跫音が近づいてきた。
「いるかな」叔父の声であった。
「どうぞ」
 声を聞いて小武は今日は日曜日なのだと知った。叔父はかつて代官手代という下級士族であったが新政府に伝手《つて》を求め、内務省に勤めていた。いわゆる官員さんだが判任官見習という官員としてはかなり低い身分であった。
「創は如何かな」
「おかげさまで、もう病院通いも今月一杯くらいで必要ないかと思われます」
「それはよかった」
 叔父は部屋を見廻した。部屋といっても兵役一筋にきた独身の男の部屋である。目星しいものはなにもない。小机の横に軍刀を立てかけてあるのだけが異様である。
「実はお忘れでないと思うが」
「なんでしょうか」
「本庄むつ女のことだが」
「はあ」
 とぼけたふりをしたが、小武は忘れたわけではない、それどころか何度か叔父に尋ねようかと口まで出かかったことさえある。帰京してもまだ一度も会っていなかった。
「儂《わし》も気になっていたので先日、本庄家へ行ってみた」
「そうですか」
「ところで、おこと、むつ女を好きかな」
「え、それは……まあ」
 勇猛果敢な青年大尉も女のことについてはからきし勇気がなかった。広い肩幅に似ず、小武は首まで赤くして目を伏せた。
「そうであろうな」叔父はうなずくと一つ大きな息をして腕を組んだ。
「して、むつ女はお元気でしたか」
「うん、そのことだが、このところずっと体の具合が悪いとかで塩原の方に療養に行っているというのだ」
「体が悪いのですか」小武は思わず顔をあげた。
「それがなにか気うつ症とか云って、なかなか厄介な病気らしい」
「では、もうずっと……」
「いや、行ったのは最近らしいが、当分治る目処がつかぬらしい」
 むつ子は細身で小柄だが、小麦色の健康そうな女だった。商家の娘らしくものにこだわらぬ快活な女である。それが気うつ症とは割切れなかった。
「気うつ症では仲々簡単に治るとも思えないのでなあ」
「叔父上」
 突然、小武は坐り直し、改めて叔父の落着かぬ風の顔を見た。
「要するに婚約を解消して呉れということなのですね」
 そういうところの察し方は人一倍早い小武である。
「いや、別にそうとまでは……」
「分りました。結構です。その件はこちらからも願下げ致します。その様にお取計らい下さい」
 骨張った小武の顔はみるみる蒼ざめていった。
「いくら話しても本人には逢えず、両親は病ゆえの一点張りで要領を得ないのだ」
「それは私の不具への当てつけでしょう」
「しかし、あれ程しかと約束したのだから」
「町人の女に何の約束などありましょうか」
 云ってみたが小武は口惜しさで目が眩んだ。じっとしていられなかった。
「その件は分りました。お引取り下さい」
「気を悪くしないでくれ」
 一人になって、小武は仰向けに寝そべった。窓からは相変らず気が遠くなるほどの明るい陽がさしていた。石を蹴る子供達の声が聞こえる。
(勝手にせい)
 五尺六寸、十七貫という小武の体躯は当時としては大柄な方であった。髭こそ生やしていないが目鼻立ちのはっきりした男らしい容貌であった。むつ子が憧れたのもその凜々しさにあったのかも知れない。だがその凜々しさも所詮は五体が揃ってのことであったのかもしれなかった。
(もう会うこともあるまい)
 むつ子と最後に逢ったのは熊本へ出征する前日であった。蝶々髷の下にとびきり大きな眼が笑っていた。親のさし金か、むつ子の意志か、忘れようと思えば思うほど可憐な顔は一層鮮明に迫ってくる。
「小娘にまで馬鹿にされるか」
 呟くと小武は瞼の裏のむつ子の顔から逃れたい一心で雑踏に向かった。
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