地主といふは町会議員の一人。陰気な、無愛相(ぶあいそ)な、極(ご)く/\口の重い人で、一寸丑松に会釈(ゑしやく)した後、黙つて炉の火に身を温めた。斯(か)ういふ性質(たち)の男は克く北部の信州人の中にあつて、理由(わけ)も無しに怒つたやうな顔付をして居るが、其実怒つて居るのでも何でも無い。丑松は其を承知して居るから、格別気にも留めないで、年貢の準備(したく)に多忙(いそが)しい人々の光景(ありさま)を眺め入つて居た。いつぞや郊外で細君や音作夫婦が秋の収穫(とりいれ)に従事したことは、まだ丑松の眼にあり/\残つて居る。斯(こ)の庭に盛上げた籾の小山は、実に一年(ひとゝせ)の労働の報酬(むくい)なので、今その大部分を割いて高い地代を払はうとするのであつた。
十六七ばかりの娘が入つて来て、筵の上に一升桝(ます)を投げて置いて、軈(やが)てまた駈出して行つた。細君は庭の片隅に立つて、腰のところへ左の手をあてがひ乍ら、さも/\つまらないと言つたやうな風に眺めた。泣いて屋外(そと)から入つて来たのは、斯の細君の三番目の児、お末と言つて、五歳(いつゝ)に成る。何か音作に言ひなだめられて、お末は尚々(なほ/\)身を慄(ふる)はせて泣いた。頭から肩、肩から胴まで、泣きじやくりする度に震へ動いて、言ふことも能くは聞取れない。
『今に母さんが好い物を呉れるから泣くなよ。』
と細君は声を掛けた。お末は啜(すゝ)り上げ乍ら、母親の側へ寄つて、
『手が冷(つめた)い――』
『手が冷い? そんなら早く行つて炬燵(おこた)へあたれ。』
斯(か)う言つて、凍つた手を握〆(にぎりしめ)ながら、細君はお末を奥の方へ連れて行つた。
其時は地主も炉辺(ろばた)を離れた。真綿帽子を襟巻がはりにして、袖口と袖口とを鳥の羽翅(はがひ)のやうに掻合せ、半ば顔を埋(うづ)め、我と我身を抱き温め乍ら、庭に立つて音作兄弟の仕度するのを待つて居た。
『奈何(どう)でござんすなあ、籾(もみ)のこしらへ具合は。』
と音作は地主の顔を眺める。地主の声は低くて、其返事が聞取れない位。軈(やが)て、白い手を出して籾を抄(すく)つて見た。一粒口の中へ入れて、掌上(てのひら)のをも眺(なが)め乍(なが)ら、
『空穀(しひな)が有るねえ。』
と冷酷(ひやゝか)な調子で言ふ。音作は寂しさうに笑つて、
『空穀でも無いでやす――雀には食はれやしたが、しかし坊主(稲の名)が九分で、目は有りやすよ。まあ、一俵造(こしら)へて掛けて見やせう。』
六つばかりの新しい俵が其処へ持出された。音作は箕(み)の中へ籾を抄入(すくひい)れて、其を大きな円形の一斗桝へうつす。地主は『とぼ』(丸棒)を取つて桝の上を平に撫(な)で量(はか)つた。俵の中へは音作の弟が詰めた。尤(もつと)も弟は黙つて詰めて居たので、兄の方は焦躁(もどか)しがつて、『貴様これへ入れろ――声掛けなくちや御年貢のやうで無くて不可(いけない)。』と自分の手に持つ箕(み)を弟の方へ投げて遣つた。
『さあ、沢山(どつしり)入れろ――一わたりよ、二わたりよ。』
と呼ぶ音作の声が起つた。一俵につき大桝で六斗づゝ、外に小桝で――娘が来て投げて置いて行つたので、三升づゝ、都合六斗三升の籾の俵が其処へ並んだ。
『六俵で内取に願ひやせう。』
と音作は俵蓋(さんだはら)を掩(おほ)ひ冠せ乍ら言つた。地主は答へなかつた。目を細くして無言で考へて居るは、胸の中に十露盤(そろばん)を置いて見るらしい。何時(いつ)の間にか音作の弟が大きな秤(はかり)を持つて来た。一俵掛けて、兄弟してうんと力を入れた時は、二人とも顔が真紅(まつか)に成る。地主は衡(はかりざを)の平均(たひら)になつたのを見澄まして、錘(おもり)の糸を動かないやうに持添へ乍ら調べた。
『いくら有やす。』と音作は覗(のぞ)き込んで、『むゝ、出放題(ではうでえ)あるは――』
『十八貫八百――是は魂消(たまげ)た。』と弟も調子を合せる。
『十八貫八百あれば、まあ、好い籾です。』と音作は腰を延ばして言つた。
『しかし、俵(へう)にもある。』と地主はどこまでも不満足らしい顔付。
『左様(さう)です。俵にも有やすが、其は知れたもんです。』
といふ兄の言葉に附いて、弟はまた独語(ひとりごと)のやうに、
『俺(おら)がとこは十八貫あれば好いだ。』
『なにしろ、坊主九分交りといふ籾ですからなあ。』
斯う言つて、音作は愚しい目付をしながら、傲然(がうぜん)とした地主の顔色を窺(うかゞ)ひ澄ましたのである。