日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 岛崎藤村 » 正文

破戒23-4

时间: 2017-06-03    进入日语论坛
核心提示:       (四)『其位(それくらゐ)のことは許して呉れたつても好ささうなものぢや無いか。』と銀之助は準教員の前に立つ
(单词翻译:双击或拖选)
        (四)
 
『其位(それくらゐ)のことは許して呉れたつても好ささうなものぢや無いか。』と銀之助は準教員の前に立つて言つた。『だつて君、考へて見給へ。生徒が自分達の先生を慕つて、そこまで見送りに随(つ)いて行かうと言ふんだらう。少年の情としては美しいところぢや無いか。寧(むし)ろ賞めてやつて好いことだ。それを学校の方から止めるなんて――第一、君が間違つてる。其様(そん)な使に来るのが間違つてる。』
『左様(さう)君のやうに言つても困るよ。』と準教員は頭を掻き乍ら、『何も僕が不可(いけない)と言つた訳では有るまいし。』
『それなら何故(なぜ)学校で不可と言ふのかね。』と銀之助は肩を動(ゆす)つた。
『届けもしないで、無断で休むといふ法は無い。休むなら、休むで、許可(ゆるし)を得て、それから見送りに行け――斯う校長先生が言ふのさ。』
『後で届けたら好からう。』
『後で? 後では届にならないやね。校長先生はもう非常に怒つてるんだ。勝野君はまた勝野君で、どうも彼組(あのくみ)の生徒は狡猾(ずる)くて不可(いかん)、斯ういふことが度々重ると学校の威信に関(かゝは)る、生徒として規則を守らないやうなものは休校させろ――まあ斯う言ふのさ。』
『左様器械的に物を考へなくつても好からう。何ぞと言ふと、校長先生や勝野君は、直に規則、規則だ。半日位休ませたつて、何だ――差支は無いぢやないか。一体、自分達の方から進んで生徒を許すのが至当(あたりまへ)だ。まあ勧めるやうにしてよこすのが至当だ。兎(と)も角(かく)も一緒に仕事をした交誼(よしみ)が有つて見れば、自分達が生徒を連れて見送りに来なけりやならない。ところが自分達は来ない、生徒も不可(いけない)、無断で見送りに行くものは罰するなんて――其様(そん)な無法なことがあるもんか。』
 銀之助は事情を知らないのである。昨日校長が生徒一同を講堂に呼集めて、丑松の休職になつた理由を演説したこと、其時丑松の人物を非難したり、平素(ふだん)の行為(おこなひ)に就いて烈しい攻撃を加へたりして、寧ろ今度の改革は(校長はわざ/\改革といふ言葉を用ゐた)学校の将来に取つて非常な好都合であると言つたこと――そんなこんなは銀之助の知らない出来事であつた。あゝ、教育者は教育者を忌む。同僚としての嫉妬(しつと)、人種としての軽蔑(けいべつ)――世を焼く火焔(ほのほ)は出発の間際まで丑松の身に追ひ迫つて来たのである。
 あまり銀之助が激するので、丑松は一旦橇(そり)を下りた。
『まあ、土屋君、好加減(いゝかげん)にしたら好からう。使に来たものだつて困るぢや無いか。』と丑松は宥(なだ)めるやうに言つた。
『しかし、あんまり解らないからさ。』と銀之助は聞入れる気色(けしき)も無かつた。『そんなら僕の時を考へて見給へ。あの時の送別会は半日以上かゝつた。僕の為に課業を休んで呉れる位なら、瀬川君の為に休むのは猶更(なほさら)のことだ。』と言つて、生徒の方へ向いて、『行け、行け――僕が引受けた。それで悪かつたら、僕が後で談判してやる。』
『行け、行け。』とある生徒は手を振り乍ら叫んだ。
『それでは、君、僕が困るよ。』と丑松は銀之助を押止めて、『送つて呉れるといふ志は有難いがね、其為に生徒に迷惑を掛けるやうでは、僕だつてあまり心地(こゝろもち)が好くない。もう是処(こゝ)で沢山(たくさん)だ――わざ/\是処迄(まで)来て呉れたんだから、それでもう僕には沢山だ。何卒(どうか)、君、生徒を是処(こゝ)で返して呉れ給へ。』
 斯う言つて、名残を惜む生徒にも同じ意味の言葉を繰返して、やがて丑松は橇に乗らうとした。
『御機嫌よう。』
 それが最後にお志保を見た時の丑松の言葉であつた。
 蕭条(せうでう)とした岸の柳の枯枝を経(へだ)てゝ、飯山の町の眺望(ながめ)は右側に展(ひら)けて居た。対岸に並び接(つゞ)く家々の屋根、ところ/″\に高い寺院の建築物(たてもの)、今は丘陵のみ残る古城の跡、いづれも雪に包まれて幽(かす)かに白く見渡される。天気の好い日には、斯(こ)の岸からも望まれる小学校の白壁、蓮華寺の鐘楼、それも霙の空に形を隠した。丑松は二度も三度も振向いて見て、ホツと深い大溜息を吐(つ)いた時は、思はず熱い涙が頬を伝つて流れ落ちたのである。橇(そり)は雪の上を滑り始めた。
 
(明治三十九年三月)
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(1)
25%
踩一下
(3)
75%