エプロンをつけた中年女性が注文を取りに来たので、ビール二本と、料理を数点頼んだ。この店は刺身のほか、卵焼きや野菜の煮物が格別|旨《うま》い。
「あの金城という男と初めて会ったのは、去年の春頃や」烏賊《いか》と明太子を和《あ》えた突き出しを肴《さかな》にビールを飲みながら、友彦は話し始めた。「桐原に呼び出されて、紹介された。その時は金城も、まだそれほど人相が悪くなかった」
「骸骨より、もうちょっと肉がついていたわけね」
弘恵の受け答えに、友彦は笑った。
「まあそういうことや。猫をかぶってたんやろうけどね。で、その時の話というのは、あるゲームのプログラムを作ってほしい、というものやった。あの金城が桐原に依頼してきた」
「ゲーム? どういうゲーム?」
「ゴルフゲーム」
「へえ。それを開発してくれっていう依頼なの?」
「簡単にいうとそうやけど、本当はもっと話は複雑や」友彦は、グラスに半分ほど残ったビールを一気に飲み干した。
とにかくあれは、最初から胡散臭《うさんくさ》い話だった。まず友彦に見せられたのは、ゲームの仕様書と未完成のプログラムだ。依頼内容は、このプログラムを二か月以内に完成させてほしい、というものだった。
「ここまで出来てて、どうして残りをほかの人間に作らせるんですか」最大の疑問を友彦は口にした。
「プログラムを作っていた担当者が、突然心臓麻痺で死んでしもたんよ。そのプログラム会社には、ほかにろくな技術者がおらんかってね、このままでは納期に間に合いそうもないと思って、何とか無理のききそうなところを探し回ったというわけなんや」今の金城からは想像しにくいソフトな口調で、こう答えた。
「どうや?」と桐原は訊いてきた。「未完成とはいえ、おおまかなシステムは出来上がってる。俺らがすることは、虫食いみたいに欠けている部分を補うだけや。二か月あったら、何とかなるやろ」
「バグが問題やな」と友彦は答えた。「プログラムのほうは一か月ほどで出来ると思うけど、完璧に仕上げるとなると、残り一か月で足りるかどうか」
「何とか頼むわ。ほかにもう頼めるところがなくてねえ」金城が拝む格好をした。あの男がそんなしぐさを見せたのは、この時だけだった。
結局友彦たちは、この仕事を引き受けることにした。最大の理由は、条件がよかったからだ。うまくいけば、再び『無限企画』を復活させられるかもしれなかった。
ゲームの内容は、ゴルフをリアリティたっぷりに表現したものだった。プレーヤーは状況によってクラブやスイングを使い分け、グリーン上では芝目を読んだりもするのだ。その特性を理解するため、友彦は桐原と共にゴルフの勉強をしなければならなかった。二人共、ゴルフについてはあまりよく知らなかったのだ。
作られたゲームは、ゲームセンターや喫茶店などに販売されるという話だった。うまくすれば第二のインベーダーゲームになる、というようなことを金城はいっていた。
金城という男のことを、友彦はよく知らなかった。桐原が、詳しく説明してくれなかったからだ。だが何度か話すうちに、どうやら榎本宏と関係があるらしいとわかってきた。
榎本宏――かつて友彦たちが一緒に仕事をしていた西口奈美江の愛人だ。
奈美江が名古屋で殺された事件は、まだ解決していない。彼女から不正送金を受けていたということで警察は榎本を疑ったようだが、どうやら決定的な証拠を掴めなかったようだ。また横領についても現在係争中だった。肝心の奈美江が死んでしまっているので、警察としても捜査が思うように進まないようだった。
友彦は、奈美江を殺したのは榎本だろうと確信している。問題は、奈美江が名古屋にいることを、榎本は誰から聞いて知ったかということだった。
もちろんその答えも友彦は持っている。ただし、決して口には出せない。
西口奈美江のことは話さず、自分たちがどういうきっかけでゴルフゲームのプログラムを作ることになったかということだけを、友彦は弘恵に説明した。その間に刺身の盛り合わせと、卵焼きがテーブルに並べられていた。
「それで、そのゴルフゲームは完成したわけね」卵焼きを割り箸で半分に切りながら、弘恵が訊いてきた。友彦は頷いた。
「予定通り、二か月後にプログラムが完成した。その一か月後には、全国に出荷が始まっていた」
「よく売れたんでしょう?」
「売れたよ。どうして?」
「そのゲームやったらあたしも知ってるもの。何度かやったことあるよ。アプローチとパターが結構難しいのよね」
弘恵の口からゴルフ用語が飛び出してきたので、友彦はちょっと意外な気がした。ゴルフのことなど何も知らないと思っていた。
「これはどうもお客様、といいたいところやけど、弘恵が遊んだのが、俺らの作ったゲームやったかどうかはわからんな」
「えっ、どうして?」
「このゴルフゲームは、全国で約一万台が売れた。ただし俺らが作ったのは、そのうちの半分だけで、残りは別会社から売り出されたものやった」
「じゃあ、インベーダーの時みたいに、いろいろな会社が真似をして作ったわけやね」
「ちょっと違う。インベーダーの時は、まず最初に一つのメーカーから売り出されて、それがブームになったから、別の会社もコピーして発売し始めた。ところがゴルフゲームは、大手メーカーのメガビット?エンタープライズから発売されるのとほぼ同時に、海賊版が出回った」
「えっ」焼き茄子《なす》を口に運びかけていた手を、弘恵は止めた。目が丸くなっていた。「どういうこと? 同じ時期に同じゲームが発売されるなんて……偶然やないよね」
「偶然で、そんなことが起こるはずがない。何者かが、事前に一方のプログラムを手に入れて真似したというのが真相やろな」
「念のために訊くけど、友彦さんが作ったのは、オリジナルのほう? それとも、海賊版のほう?」上目遣いに弘恵は友彦を見た。
友彦はため息をついた。
「そんなこと、いうまでもないやろ」
「そうよ……ねえ」
「どういうルートを使ったのかは知らないけれど、金城たちはゴルフゲームのプログラムや設計図を、開発段階で入手したんやろ。だけどプログラムが不完全だったので、俺たちに仕上げを依頼してきたというわけや」
「それ、よく問題にならへんかったね」
「なった。メガビット社は、血眼になって海賊版の出所を調べたという話や。けど結局わからなかった。どうやら、相当複雑な流通ルートが使われてたらしい」
その流通ルートとは、端的にいって暴力団絡みのものだったが、友彦としてはそこまでは弘恵に聞かせたくなかった。
「友彦さんたちに火の粉が飛んでくる心配はないの?」不安そうに弘恵は訊いた。
「わからん。今のところは大丈夫やけどね。まあ、もし警察に事情を訊かれるようなことになったら、何も知らんかったということで押し通すしかない。それが本当なんやから」
「そうやね。でも友彦さんら、そんな危ないことをやってたんだ」弘恵は、しげしげと友彦の顔を見つめた。その目には、驚きと好奇の色が混じっていたが、軽蔑している様子ではなかった。
もうこりごりだよ、と友彦はいった。
弘恵にはいわなかったが、おそらく桐原はすべての事情を最初から察していたのだろうと友彦は考えていた。あの勘の鋭い男が、金城などという胡散臭い男の話を鵜呑《うの》みにするはずがなかった。その証拠に、自分たちの作らされたものが海賊版だったとわかった時も、彼はさほど驚いた様子を見せなかった。
友彦は、桐原がこれまでにしてきたことを目の前で見てきている。それらを思い出すと、コンピュータソフトの海賊版を作る程度のことは、何でもないかもしれないとも思うのだった。
以前、桐原は銀行カードの偽造に凝っていた。実際にそれを使って不正に金を引き出したこともある。友彦も手伝った。一体それによって桐原がどれほど稼いだのか、友彦は知らなかったが、百万二百万の金でないことはたしかだった。
またつい最近まで、桐原は盗聴に凝っていた。どういう人間に頼まれて、誰の会話を盗聴しているのかは知らなかったが、有効な方法について友彦も何度か相談を受けた。
ただし、今の桐原は、パソコンショップを無事に運営していくことに気持ちを集中させているようだった。金城などにそそのかされなければいいが、と友彦は思った。もっとも、人の言葉で自分の意思を変えるような男でないことも、友彦が一番よく知っていた。
弘恵を駅まで送った後、友彦は店に戻ることにした。もしかしたら桐原がまだ残っているのではないか、と思ったのだ。桐原は、店の入っているビルとは別のマンションに部屋を借りていた。
ピルのそばまで来て上を見ると、店の窓に明かりがついていた。『パソコンショップ MUGEN』は、ビルの二階にある。
階段で上がり、友彦は自分の鍵で店のドアの錠を外した。入り口から奥を見ると、桐原が缶ビールを飲みながらパソコンに向かっているところだった。
「なんや、戻ってきたのか」友彦の顔を見て、桐原はいった。
「何だか気になってな」友彦は壁にたてかけてあったパイプ椅子を広げて座った。「金城が、また何かいうてきたんか」
「例によって、や。ゴルフゲームで儲《もう》けたことが、余程忘れられへんらしい」桐原は新しい缶ビールのプルトップを引き、ごくりとひと飲みした。彼の足元には小型の冷蔵庫が置いてあり、そこには常時ハイネケンの缶が一ダースほど入っているのだった。
「今度は何をいうてきたんや」
「無茶な話や」桐原は鼻で笑った。「うまい話なら、多少の危険は覚悟するけど、今度の話はまずい。とても乗られへんな」
彼の言葉ではなく表情から、どうやら相当危ない話らしいと友彦は察した。桐原の目には、何かのことを真剣に考えている時に見せる、鋭い光が宿っていた。金城の話に乗る気はないが、関心は大いにあるということなのだろう。あの骸骨顔の男がどんな話を持ってきたのか、友彦はますます気になった。
「ものは何や?」と彼は訊いた。
桐原は友彦を見て、にやりと笑った。
「聞かへんほうがええ」
「まさか……」友彦は唇を舐めた。これほど桐原が緊張する獲物となれば、考えられるものは一つしかなかった。「化け物のことやないやろな」
正解、とでもいうように桐原は缶ビールを高く掲げた。
友彦は発すべき言葉が思いつかず、ただ首を横に振った。
化け物、というのは、あるゲームソフトに対して二人でつけた渾名《あだな》だった。ゲームの内容ではなく、その常軌を逸した売れ行きから、そんなふうに呼ぶようになったのだ。
そのゲームの名前は、『スーパーマリオブラザーズ』という。任天堂のファミリーコンピュータ用ゲームソフトの一つだ。今年の九月に売り出されたとたん、品切れが続出する大人気で、すでに二百万個近く売れている。内容は、主人公の「マリオ」が、敵の妨害をかわしながら、お姫様を救い出すというものだ。単純に一面ずつクリアしていくのではなく、寄り道や抜け道が用意されていたりして、宝探しの要素も含まれている。驚くのは、ゲームだけでなく、このゲームの攻略方法を記した本や雑誌までもが爆発的に売れていることだ。その勢いは、クリスマスを前にして、さらに増してきている。おそらく来年になってもマリオブームは続くだろう、というのが、友彦と桐原の共通した見解だった。
「あのマリオで何をしようというんや。まさか、また偽物を作る話やないやろな」友彦は訊いた。
「ところが、その『まさか』なんや」桐原は、おかしそうにいった。「スーパーマリオの海賊版を作らへんかと誘われた。技術的にはそう難しくないはずやと、金城のやつはいきまいてた」
「そりゃあ技術的には可能や。すでに完成品が出回っているわけやから、それを手に入れて、ICをコピーして、基板に載せてやったらええ。ちょっとした工場があれば、すぐにできる」
友彦の言葉に、桐原は頷いた。
「金城としては、そのあたりの段取りを俺らにつけてほしいようや。説明書や本物を真似たパッケージの印刷については、すでに滋賀の印刷工場を押さえてあるらしい」
「滋賀? またずいぶん遠くの印刷屋にやらせるんやな」
「大方そこの経営者が、金城のバックにおる暴力団から金を借りてるんやろ」よくあることだといった調子で桐原はいった。
「けど、今からではクリスマス商戦には間に合えへんな」
「金城らは、クリスマスのことは最初から考えてないらしい。連中があてにしているのは、ガキ共の年玉や。けどこれから仕事を始めるとなると、どんなに急いでも、箱詰めした製品が出来上がるのは一月後半やろ。それまでガキ共の財布が膨らんだままかどうかは怪しいで」桐原は、にやにやした。
「作ったとしても、どこでどうやって売るつもりなんや。卸すとなると、現金取引専門の問屋に売るしかないわけやけど……」
「それは危険やろ。問屋の連中は鼻がきく。品切れ続出のスーパーマリオを、突然大量に持ち込んで買《こ》うてくれというたりしたら、一発でおかしいと思うやろ。任天堂に確認されて、おしまいや」
「じゃあ、どこで売る?」
「お得意の闇《やみ》マーケットやろ。ただし今度はインベーダーやゴルフゲームの時と違って、客はゲームセンターや喫茶店の親父やない。ふつうの子供や」
「いずれにしても、その話は断ったわけやな」友彦は確認した。
「当たり前や。連中と心中するつもりはない」
「それを聞いて安心した」友彦は冷蔵庫からハイネケンを取り出し、プルトップを引いた。白く細かい泡が飛んだ。