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白夜行10-5

时间: 2017-01-17    进入日语论坛
核心提示: 篠塚一成は二時二十分頃にやってきた。薄いグレーのスーツを着ており、雨にもかかわらずヘアスタイルもぴしりと決まっていた。
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 篠塚一成は二時二十分頃にやってきた。薄いグレーのスーツを着ており、雨にもかかわらずヘアスタイルもぴしりと決まっていた。ゴルフ練習場にいる時よりも、四、五歳は年上に見えた。エリートの貫禄というやつかなと今枝は思った。
「最近はあまり練習場で会わないですね」椅子に座ってから篠塚はいった。
「コースに出る予定がないと、つい面倒くさくなって」今枝はコーヒーを出しながらいった。例のホステスたちとのラウンド以来、一度しか練習場に行っていない。その一度にしても、修理の終わった五番アイアンを受け取りにいったついでのことだった。
「それなら今度一緒に回りませんか。いくつか融通のきくコースがあるんですが」
「いいですね。是非誘ってください」
「じゃあ、高宮にも声をかけておきましょう」そういって篠塚はコーヒーカップを口元に運んだ。しぐさや口調に依頼人特有の固さがあることに、今枝は気づいていた。
 篠塚はカップを置き、吐息を一つついてから口を開いた。「じつは妙なことをお願いしたいんです」
 今枝は頷いた。「ここに来られる方は大抵、自分の依頼は妙なものだと思っておられるようです。どういったことですか」
「ある女性のことです」と篠塚はいった。「ある一人の女性について調べていただきたいのです」
「なるほど」小さな落胆を今枝は感じた。やっぱり女の話か。「篠塚さんの恋人ですか」
「いえ、自分とは直接関係のない女性なんですが……」篠塚はスーツの内側に手を入れ、写真を一枚取り出してきた。それを机の上に置いた。「この女性です」
「拝見します」今枝は手を伸ばした。
 そこに写っているのは奇麗な顔だちをした女だった。どこかの屋敷の前で撮ったものらしい。コートを着ているところを見ると、季節は冬だろう。白い毛皮のコートだ。カメラに微笑《ほほえ》みかけてくる表情はじつに自然で、プロのモデルだといわれてもおかしくはない。「美人ですね」今枝は、まずそう感想を述べた。
「僕の従兄《いとこ》が現在交際している女性です」
「いとこさん……というと、篠塚社長の?」
「息子です。今は常務のポストについてます」
「おいくつですか」
「四十五……だったかな」
 今枝は肩をすくめた。その年齢で大手製薬会社の常務になることなど、ふつうのサラリーマンでは考えられないことだ。
「奥さんはいらっしゃるんでしょう」
「いえ、今はいないんです。六年前に飛行機事故で亡くなりました」
「飛行機事故?」
「日航ジャンボ機の墜落事故です」
「ああ」今枝は頷《うなず》いた。「あの飛行機に乗っておられたんですか。それはお気の毒でしたね。ほかにお身内で亡くなられた方はいらっしゃるんですか」
「いえ、身内で乗っていたのは彼女だけでした」
「お子さんはいらっしゃらなかったのですか」
「二人います。男の子と女の子です。でも幸い例の飛行機には乗っていなかったんです」
「不幸中の幸い、というわけだ」
「まあそうです」と篠塚はいった。
 今枝は改めて写真の女性を見た。大きく少しつり上がり気味の目は猫を連想させた。
「奥さんがお亡くなりになっているのなら、その従兄さんが女性と交際すること自体には何も問題はないわけですよね」
「もちろんそうです。僕たち親戚としても、できるだけ早く良い相手と巡り合ってほしいと願ってはいるんです。何しろ彼は、近い将来うちの会社を背負って立つ人物ですから」
「すると」今枝は写真のすぐ横を、とんとんとんと指先で叩《たた》いた。「この女性に何か問題があるわけですか」
 篠塚は椅子に座り直し、身を乗り出してきた。
「はっきりいいますと、そういうことです」
「へえ」今枝は再び写真を手に取った。見れば見るほど美人だ。肌などは、陶器で作られたかのように白くて滑らかそうだ。「どういうことですか。差し支えなければ教えていただけませんか」
 篠塚は小さく頷き、机の上で指を組んだ。
「じつは、この女性は過去に結婚歴があるんです。でももちろんそんなことは問題ではありません。問題なのは、結婚していた相手です」
「誰なんですか」今枝も、つい声をひそめていた。
 篠塚は一度ゆっくり呼吸をしてからいった。
「あなたもよく知っている人物です」
「はあ?」
「高宮です」
「えっ」今枝は背中をぴんと伸ばした。そしてしげしげと篠塚の顔を見た。「高宮さんって、あの高宮さんですか」
「そうです。あの高宮誠です。彼の奥さんだったんです」
「それはまた、なんと……」今枝は写真を見て、首を横に振った。「驚きました」
「でしょうね」篠塚は微苦笑を浮かべた。「お話ししたかもしれませんが、僕と高宮とは大学のダンス部で一緒だったんです。で、この写真の女性は、うちと合同練習をしていた女子大ダンス部の部員でした。二人はそれをきっかけに交際し、結婚したんです」
「離婚したのは?」
「八八年だから……三年前になるかな」
「離婚の原因は千都留さん?」
「詳しいことは聞いていませんが、まあそういうことなのだろうと思います」篠塚は唇の端を微妙に歪《ゆが》めた。
 今枝は腕組みをし、三年前のことを回想した。すると彼等が調査を打ち切った直後に、高宮は妻と別れたらしい。
「それで、この高宮さんの元奥さんが、今度はあなたの従兄さんと交際しているわけですね」
「そうです」
「それは偶然だったのですか。つまりあなたの全く知らないところで従兄さんと高宮さんの前の奥さんが出会い、付き合い始めたわけですか」
「いや、偶然とはいえません。結果的には、やっぱり僕が従兄と彼女を引き合わせてしまったということになります」
「といいますと?」
「僕が従兄を彼女の店に連れていったんです」
「店?」
「南青山にあるブティックです」
 篠塚によると、この唐沢雪穂という名前の女性は、高宮と結婚していた頃からいくつかのブティックを経営しているらしい。その頃篠塚は一度も行ったことがなかったが、彼女が高宮と離婚してしばらくした頃、特別セールの招待状が来たのを機に、初めて足を運んだのだという。その理由について彼は、「高宮から頼まれたんですよ」と説明した。「別れたとはいえ、かつては妻だった女性が一人で生きていこうとするのを、陰ながら少しでも後押ししてやろうと思ったようです。離婚の原因はどうやら彼のほうにあったようですから、詫《わ》びる気持ちもあったんじゃないですか」
 今枝は頷いた。よくある話ではあった。こういう話を聞くたびに、つくづく男というのはお人好しな生き物だと思う。時には、離婚の原因が妻のほうにあったにもかかわらず、別れた後も何かと力になってやろうとする男さえいる。ところが女のほうは、仮に自分に非があったとしても、別れた男のその後の人生には全く無関心だ。
「僕も彼女のことは多少気になっていましたからね、元気にしているかどうかを確かめる目的で行ってみることにしたんです。ところがその話を従兄にしてみたら、自分も行ってみたいといいだしたんです。ちょっとしゃれた普段着を探している、というような理由だったと思います。それで一緒に行ったわけです」
「そして運命の出会いがあったわけだ」
「どうやらそういうことのようです」
 篠塚は、その康晴《やすはる》という従兄が唐沢雪穂に強くひかれたことには、全く気づかなかったという。しかし後に康晴から、「恥ずかしい話だが一目惚れだった」と告白されたらしい。自分にはこの女性しかいない、とまで思ったそうだ。
「その唐沢雪穂という女性が、あなたの親友の前妻だということは御存じないのですか」
「いえ、知っています。初めてブティックに連れていく前に話しておきました」
「それでもひかれてしまったわけだ」
「そうなんです。元々従兄は情熱家でしてね、思い込んだら、誰が何をいってもブレーキがきかないんです。僕は全く知らなかったんですが、初めて連れていって以来、従兄は彼女のブティックに通い詰めのようです。着もしない服がずいぶん増えたと、お手伝いさんがぼやいていました」
 篠塚の話に、今枝は軽く吹き出した。
「目に浮かぶようだ。それは大変ですね。で、康晴さんのアタックは実ったわけですか。交際していると、先程おっしゃったようですが」
「従兄のほうは結婚を望んでいます。ところが彼女のほうが、はっきりとした答えを出してくれないみたいです。従兄は、年齢差と子持ちということが、彼女を迷わせていると思っているらしいですが」
「それもあるでしょうが、一度結婚に失敗しているから慎重になっているんでしょう。無理もない話です」
「そうかもしれません」
「それで」今枝は腕組みをほどき、机に両手をのせた。「この女性の何を調査すればいいのですか。今伺ったかぎりでは、あなたはこの唐沢雪穂という女性について、かなりよく知っておられるようですが」
「ところがそうでもないんです。はっきりいって謎だらけです」
「そりゃあ、あなたにとっては他人なのだから、謎だらけなのは当然でしょう。それじゃあいけませんか」
 すると篠塚はゆっくりとかぶりを振った。
「謎の質の問題です」
「謎の質?」
 篠塚は唐沢雪穂の写真をつまみあげた。
「僕はね、従兄がそれで本当に幸せになれるというなら、この女性と結婚したらいいと思うんです。友人の前の奥さんだというのはちょっと抵抗があるけれど、時間が経てば馴れるだろうとも思いますしね。ただ――」彼は写真を今枝のほうに向けて続けた。「この女性を見ていると、何だか得体の知れない不気味さを感じてしまうんです。この女性が単に健気《けなげ》なだけの女性だとは、とても思えないんです」
「健気なだけの女性なんて、この世にいるんですかね」
「彼女は一見すると、そんなふうに見えます。苦しいことや辛いことをじっと我慢して乗り越えて、懸命に笑顔を作っている、そういう印象を人に与えます。従兄も、彼女の美貌以外に、内面から来る輝きにひかれたのだといっています」
「その輝きが偽物だと、あなたはいいたいわけだ」
「それを調べてほしいんです」
「難しいな。あなたがそんなふうに疑いの目でその女性を見る具体的な理由が、何かあるんですか」
 今枝が訊くと、篠塚はいったん俯《うつむ》いて少し黙り込んだ後、また顔を上げた。
「あります」
「何ですか」
「金です」
「ほう」今枝は椅子にもたれた。改めて篠塚の顔を眺める。「どういうことですか」
 篠塚は軽く息を吸った。
「高宮が不思議がっていたことなんですが、どうも彼女の資産には不透明なところが多いようなんです。たとえばブティックの開業に関して、高宮は全く援助していないというんです。当時彼女は株に凝っていたという話ではあるんですが、素人投資家が、短期間にそれほど稼げるとはとても考えられません」
「実家が金持ちとか?」
 一応今枝はいってみた。だが篠塚は首を振った。
「高宮から聞いたかぎりでは、そういうことはなさそうです。実家ではおかあさんが茶道を教えているということですが、年金と合わせて、何とか食べていけるという状態だという話でした」
 今枝は頷いた。興味が湧いてきた。
「篠塚さん、するとあなたはどういう可能性を疑っているんですか。その唐沢雪穂という女性のバックに、パトロンでもいるとお考えですか」
「わかりません。結婚していながらパトロンと繋がりを持っていたというのは解《げ》せないですし……ただ彼女には裏の顔があるような気がしてならないんです」
「裏の顔、ね」今枝は小指の先で鼻の横を掻《か》いた。
「それからもう一つ気になることがあります」
「もう一つ?」
「彼女と深く関わった人間は」篠塚は声を落としていった。「皆何らかの形で不幸な目に遭っているんです」
「えっ?」今枝は彼の顔を見返した。「まさか」
「一人は高宮です。現在彼は千都留さんと結ばれて幸せになってはいますが、離婚というのは、やはり一つの不幸な結末だと思います」
「原因は彼のほうにあったわけでしょう」
「見かけ上はね。でも真相はわからない」
「ふうん……まあいいでしょう。ほかに不幸な目に遭った人というのは?」
「僕の恋人だった女性です」そういって篠塚は唇をぎゅっと結んだ。
「ははあ……」今枝はコーヒーを一口含んだ。すっかりぬるくなっていた。「どんなことがありましたか。差し支えなければ……」
「ひどい目に遭ったんです。女性として、とても辛い目にね。そのことが原因で僕たちは別れることになってしまいました」
 だから、といって彼は続けた。「僕もまた、不幸な目に遭った一人ということになります」
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