松宮は言葉を失っていた。廊下で立ち尽くしたまま、加賀と前原昭夫のやりとりを聞いていた。
何という愚かで浅はかな犯罪だろうと思った。自分の息子を守るためとはいえ、年老いた母親を犯人に仕立て上げるとは、松宮には理解できない発想だった。それでも前原が最後の最後になって告白してくれたことは唯一の救いだった。
しかし加賀は、赤い指に気づいていながら、なぜその時に指摘しなかったのか。そうしていれば、もっと早くに真相を明らかに出来たはずなのだ。
「なんでだよ。警察には行かなくていいっていったじゃねえか」階段の上から声が聞こえた。直巳の声だ。
「だからね、もうだめなの。全部わかっちゃったから……」八重子が泣いている。
「知らねえよ。なんでだよ。俺、いうとおりにしたじゃねえか」
がん、と何かのぶつかる音がした。あっ、という叫び声が聞こえた。
「てめえらのせいだろ。てめえらのせいだからな」直巳が喚いている。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
どうしようかと松宮が思った時だった。加賀が大股で廊下を歩き、階段を駆け上がっていった。
何だよう、という悲鳴に似た直巳の声がした。それからすぐ、加賀が下りてきた。彼は少年の襟首《えりくび》を掴んでいた。階段を下りきると、その腕を振った。直巳は床に転がった。
「松宮刑事、この馬鹿|餓鬼《が き 》を連行してくれ」
了解、といって松宮は直巳の腕を掴んだ。直巳はすでに泣いていた。小学生のように涙で顔をぐしゃぐしゃにし、ひいひいと喉を鳴らした。
「来るんだ」松宮は腕を引っ張り上げるようにして直巳を立たせ、玄関に向かった。
「あたしも……」後ろから八重子が追ってきた。
玄関のドアを開けた。門の外に小林や坂上の姿があった。彼等は松宮たちに気づくと、門扉を開けて入ってきた。
「ええと、状況を説明しますと……」
小林は手を振った。
「加賀君から話は聞いている。ご苦労だったな」
彼は部下を呼び、直巳と八重子の身柄を任せた。それを見送った後、改めて松宮を見た。
「春日井家のパソコンを調べたところ、消去されたメールの中に、事件当日に受け取っているものがあった。父親は覚えがないそうだから、おそらく被害者の女の子が受けたのだろう。写真だけのメールで、『スーパープリンセス』とかいうアニメの人形が大量に写っていた」
「差出人はわかっているんですか」
「フリーメールで本名は不明だ。しかし確認できるんじゃないのか」小林は前原家の二階を指差した。
「たしかに前原直巳はパソコンを持っています」
「披害者はメールの写真を見て、どこかに出かけた。差出人を知っていて、会いに行った可能性がある」
「直巳のパソコンを押収《おうしゅう》しますか」松宮は訊いた。
「その必要はあるが、まだあわてなくていい。逮捕しなきゃいけない人間が、中にもう一人いるんだろ?」
「死体遺棄の主犯は前原昭夫です。今、加賀刑事と話しています」
「だったら、ここはもういいからすぐに行け。加賀君の話をよく聞いておくんだ」
「話を?」
「大事なのはここから先だ」小林は松宮の肩に手を置いた。「ある意味、事件よりも大切なことだ」