リング形の磁石の上に、アルミホイルで包んだ小石のようなものが浮いている。周囲に白煙が上がっているのは、空気中の水蒸気が冷やされているからだ。
小石の正体は超伝導体だった。それを液体窒素で冷やし、断熱材とアルミホイルでくるんであるのだ。
白衣を着た湯川が、ピンセットで超伝導体を磁石に押しつけ、離した。すると超伝導体は再び磁石の上で浮揚した。ただし、先程までよりは磁石との距離が短くなっている。
この状態から湯川は、磁石を指先でつまみ上げ、そのままひっくり返した。だが超伝導体は距離を保ったまま、磁石の下側に浮揚したままだった。湯川が磁石をどのような角度に動かしても、見えない金具で固定されているように、超伝導体は磁石との位置関係を変えないのだ。
「これが超伝導体のピン止め効果だ。簡単にいうと、磁力で空間に固定するわけだ。リニアモーターカーなんかでも応用されようとしている」そういいながら湯川は磁石と超伝導体を机の上に置いた。
「よく考え出すよなあ、科学者は」草薙は感心していった。
「考え出すより、見つけ出すという部分のほうが多いんだがね。そういう意味では、科学者は常に開拓者といえる。研究室にこもって考え事ばかりしているのが科学者だと思ったら、大きな誤解だぜ」
「それほどいうからには、何か見つけ出してくれよ」草薙は椅子にかけてあった湯川の上着を、彼に向かって放り投げた。
「そこに何かがあるのならね」と湯川はいった。
この日草薙は、高崎邦夫が死んでいた浴室を湯川に見せようと、帝都大学を訪れたのだった。高崎の死因については警察でも未だに謎のままで、いわば最後の頼みといったところだった。
愛車のスカイラインの助手席に湯川を乗せ、草薙は江東区を目指した。だが途中で思いついたことがあった。
「ちょっと寄り道しても構わないか」
「マクドナルドのドライブスルーにでも行くのかい」
「もうちょっと色っぽいところだよ」
草薙が寄ろうと思ったのは、『キュリアス』で最初に彼等についた、河合亜佐美というホステスの部屋だった。内藤聡美のことを尋ねるつもりで、『キュリアス』のママから住所を聞き出してあったのだ。
「僕はここで待ってるよ」河合亜佐美のマンションの前に到着すると、湯川が座ったままでいった。
「まあ、そういわずに付き合えよ。あのホステス、俺のことよりむしろ、おまえのことをよく覚えてるだろうからさ」
「君が刑事だと知ったら、どうせ警戒するさ」
「だからこそ余計に、一緒に来てほしいんだよ」
河合亜佐美はまだ部屋にいた。ドアを開けた彼女は、Tシャツにジーンズという出で立ちだった。化粧していない顔は、幾分幼く見えた。
彼女は草薙のことを覚えていた。じつは刑事だと知って、ちょっと怒った顔をした。
「サラリーマンだなんていったくせに」
「刑事だって給料取りには変わりないだろ。それに、彼が大学の助教授なのは本当だ」
草薙は隣の湯川を指した。「じつは内藤聡美さんについて、教えてほしいんだ」
「なんだ、聡美ちゃんが狙いだったの」
「狙いってほどでもないんだけどね。彼女、借金があったって本当かな」
「ああ、ちらっと聞いたことがある。ローンの支払いがきついとかいってた」
「それ、今はどうなったのかな」
「さあ。最近はそういうことをいわなくなったから、何とかなったんじゃないの」
「店から金を借りたとかで?」
すると亜佐美は肩を揺すって笑った。
「うちのママは、アルバイトの女の子に前借りさせるほど、お人好しじゃないよ」
その時だった。部屋の奥から灰色の猫が出てきた。
「おっ、ロシアンブルーだ」湯川が猫を見下ろしていった。
「よく知ってるじゃない、先生」亜佐美は猫を抱きかかえた。
猫の首輪に、ブローチのようなものがぶらさがっていた。それを見て草薙は、「猫のくせに、おしゃれなものをつけてるじゃないか」といった。
「ああ、これ。聡美ちゃんから貰ったのよ」
「彼女から?」
「会社に、彼女のことを追いかけ回してる男がいるんだって。その男が作ったらしいんだけど、あんまりダサいんで、あたしにくれたのよ。でも、あたしだって、こんなのつけたくないから、ネオンの首飾りにしちゃったわけ」
ネオンというのが猫の名前らしい。
「へえ、器用な男なんだな」
ブローチは、金属のような円形の板に、女の横顔が彫られたものだった。
「ちょっと失礼」湯川がブローチに手を伸ばした。「これ、シリコンウエハーだな」
「シリコン?」
「半導体の材料だよ。こんな硬いものに、よく彫刻が出来るものだな」
「なんか道具を使ったんだろう。工場だから、いろいろな機械があるだろうし」
「それはそうだろうが――」
そこまでいったところで、湯川の目がきらりと光った。いや、光ったように草薙には見えた。
「そうか」物理学者はいった。「わかったぞ。あの奇妙な死体の謎が解けた」
「本当か」
「たぶんな。その工場に行けば、確証が得られるかもしれない」
「これから行ってみよう。あ、だけど今日は土曜日だから休みか」
「現場は休日出勤してるかもしれない。とりあえず行ってみよう。それから」湯川は亜佐美のほうを見た。「このブローチを貸していただけますか」
「あ、どうぞ」といって亜佐美は猫の首輪からブローチを外した。「あの、どういうことなんですか」
「また一つ新しい発見をしたということです」と湯川は答えた。