田上昇一が小さな欠伸《あくび》を連発し始めた。
「おかしいな、どうしてこんなに眠いんだろう」
「横になれば?」と聡美はいった。
「いやあ、大丈夫だよ」そういった直後に、彼はまた欠伸をした。「そうでもないかな」
「そんなに眠いんなら」聡美は上目遣いに彼を見た。「お風呂に入ったら」
「お風呂?」
「うん。眠気がとれると思うよ。それに」聡美はちょっと眉をひそめて見せた。「あんた、少し身体が臭いみたいだから」
「そうかな」田上は自分の腋の下の臭いを嗅いだりした。
「お風呂に入ってきて」聡美はもう一度いった。「今日は、するんでしょ」
「あ、うん……」田上は立ち上がった。少しふらつきながら風呂場に向かって歩きだした。「じゃあ、そうしようかな」
田上は風呂場に入ると、すぐに出てきた。湯の蛇口を捻ってきたらしい。
「どれぐらいで浴槽にお湯がたまるの?」
「ええと、十五分ぐらいかなあ」答えた後、田上は畳の上に座り込み、すぐにうとうとし始めた。
聡美は座布団の上で正座したまま、辛抱強く時間が経過するのを待った。田上はすっかり眠り込んでいる。
十四分経過したところで、彼女は田上を揺り起こした。
「ねえ、こんなところで眠ってどうするのよ。お風呂に入ってきなさいよ」
「あっ、ごめんごめん」
田上は顔をこすりながら服を脱ぐと、のろのろと風呂場に入っていった。
聡美は風呂場のドアに耳をつけ、中の様子を窺《うかが》った。はじめは水の流れる音が聞こえたりしたが、すぐに何も聞こえなくなった。
「ねえ」頃合を見計らって、彼女は声をかけた。「起きてる?」
しかし中から返事は聞こえてこなかった。彼女はそっとドアを開けた。
田上は浴槽の縁に頭を載せ、瞼を閉じていた。完全に眠っているように見えた。
聡美は足音を殺して、田上が持ってきたスポーツバッグに近づいた。開くと、段ボール箱が入っていた。彼女は蓋を開けた。前に使ったことのある超音波加工機が、そこには収められていた。
使い方はまだ覚えていた。超音波加工機のコードを電源ボックスに繋ぎ、電源ボックスから出ている電気コードを家庭用コンセントに差し込めばいいのだ。あとは加工機についているスイッチを押すだけだ。
聡美が箱から装置を取り出した時、突然後ろから抱きすくめられた。
「やっぱり僕を殺すつもりだったのか」
田上の身体で、聡美の背中はびしょ濡れになった。ものすごい力で、逃げられそうになかった。
「違うの、そうじゃないの。お願いだから、あたしの話を聞いて」
「だめだよ。もうだめだよ。信じてたのに」
彼は片手を伸ばすと、本棚に置いてあったセロハンテープを掴んだ。そしてじつに手際よく、彼女の両手を背中の後ろに回すと、両手首にテープをぐるぐると巻いた。これでもう手は全く使えなくなった。
「待って、ちょっと待って。誤解してるよ。お願い、助けて」
聡美は必死になって訴えたが、もはや田上の耳には届いていないようだった。彼は彼女の両足首も、同じようにテープで固定した。彼女は動けなくなった。
田上は彼女の身体を抱えると、風呂場に入っていった。そして洋服を着たままの彼女を、浴槽の中に入れた。
彼女は悲鳴をあげた。「何するのよっ」
「声は出さないほうがいいよ。君のためだから」
田上はいったん外に出た。そして戻ってきた彼が手にしているものを見て、聡美は目をつり上がらせた。例の超音波加工機だった。
「改心のチャンスをあげるよ」と彼はいった。「僕と結婚して、これから決して僕を裏切らないと約束するなら、許してあげる。それがいやだというなら」手にした機械を彼女の胸に近づけた。コーラの瓶のような形をした、銀色のホーンが水に触れた。「これにスイッチを入れるしかないな」
聡美は激しく身をよじらせた。
「助けて、お願い、助けて」
「じゃあ、約束する?」
「するから。なんでもあなたのいうとおりにするから。だから殺さないで」
田上は彼女を見下ろし、しばらく黙っていた。魚のように表情のない目が聡美には不気味だった。
「いや」と彼はいった。「それは本心じゃないよ。助かりたいから嘘をいってるんだ。やっぱりこうするしかないね」そして再びホーンを彼女の胸に近づけていった。
玄関のチャイムが鳴ったのは、その時だった。