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第一章 月琴島(3)_女王蜂(女王蜂)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示: 智子の母の琴絵は、智子がかぞえ年で五つのときにみまかった。だから智子は母のことを、ごくわずかしかおぼえていないのだが、
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 智子の母の琴絵は、智子がかぞえ年で五つのときにみまかった。だから智子は母のことを、ごくわずかしかおぼえていないのだが、彼女の記憶にある母は、いつも淋さびしげで、うれいに満ちていた。智子はどんなに頭をしぼってかんがえても、母の笑顔というものを思い出すことができない。母はいちども智子のまえで、笑ったことがないのである。
いやいや、母は淋しく、憂いにみちていたのみならず、なにかしら、たえず胸をかむ悔恨と、悲痛の思いがあるらしく、おりおり真夜中などに夢を見て、恐怖にみちた叫びごえをあげ、それから眼がさめると、さめざめと泣きだすのであった。そして、どうかするとその泣き声が、夜明けまでつづくことがあった。
 そんなとき、智子は子供ごころにも、なんともいえぬ悲しさと恐ろしさに満たされ、母にしがみついて泣いてしまう。それがまたいっそう母の魂をやぶるらしく、智子を抱きしめて、琴絵はいよいよはげしく泣き出すのであった。
 その当時のことを想おもい出すと、智子はいまでも不思議でならない。何があんなに母の心を苦しめたのか、何があんなに母の魂を悩ましたのか……それを考えると、智子はいまでも自分自身が、息切れするほど苦しくなる。それでいて、智子は誰にもそのことについて、訊ききただそうとはしない。何んとなくそれを知ることが、恐ろしいような気がするのである。
 さて、琴絵の父、智子にとっては祖父にあたる鉄馬は、智子がまだ母の胎内にいるあいだにみまかった。いや、かれは琴絵が妊娠していることすら、知らずに死んだのである。
だからいまではこのひろい大道寺家の屋敷のなかに、智子はただひとりの祖母と住んでいるのである。
 祖母の槙まきは今年六十になる。若いころ彼女はからだが弱くて、しじゅう病気がちだったけれど、十九年まえにつれあいを失い、翌年娘が私生児をうんだころから、彼女はめきめき達者になった。それはどうやら意志の力であるらしかった。自分がたえず病気がちで、ろくに家事も見られなかったところから、娘があのような不仕末をおかしたのだという反省が、彼女をむちうち、彼女の心身を鍛錬したらしい。そのひとつの現われとして、智子がうまれる前後から、彼女はいっさい和服をやめて洋装にした。そしていまでは、いかにもしっくり洋装の板についた、小柄ながらも、頑健な老婦人になっている。彼女は孫の智子を眼のなかへいれても痛くないほど愛しているが、さりとて、決して甘い祖母ではなかった。それは琴絵を、あまり甘やかしすぎたという反省からきているらしい。
 大道寺家にはこのほかに、奉公人が大勢いるが、それらの奉公人はこの物語に、とくべつの関係はないから、ここでは述べないことにしよう。しかし、ただひとりだけ、どうしても逸することのできぬ人物があるから、そのひとのことだけを紹介しておこう。
 それは智子の家庭教師、神かみ尾お秀子女史である。
 秀子がこの家へ身をよせるようになったのは、もう二十年以上も昔のことである。彼女はもと、智子の母琴絵の家庭教師としてまねかれたのである。こういう離れ小島に住んでいれば、どうしても子女の教育がおろそかになる。といって、一粒だねの琴絵を手離すにしのびなかった鉄馬は、多額の報酬をもって秀子をむかえたのである。そのとき琴絵は十四、秀子は二十一か二で、専門学校を出たばかりであった。
 美しいものには誰でも心をひかれる。秀子は自分の教え子を、ひとめ見たときから好きになった。しかも、その愛情は、日増しにこくなるばかりであった。琴絵は美しいばかりではなく、性質が素直で、おとなしく、どこか頼りなげなところがあるので、男でも女でも、彼女に接すると、保護欲をそそられずにはいられない。秀子は琴絵を掌中の珠と愛した。
 だから彼女は、琴絵の教育をひととおりおわっても、島を去ろうとはしなかった。また鉄馬も彼女を手ばなそうとはしなかった。まえにもいったとおり、当時は槙が弱かったので、どうしても家事を見る、しっかりした女手が入用だったのだ。そのころ秀子はまだ若かったが、勝気で、聡そう明めいで、分別と才覚にとんでいるので、家事取り締まりとしてもうってつけだった。秀子はいつか家庭教師から、家政婦のいちにかわっていた。
 そうしているうちに鉄馬が死に、琴絵の不仕末から私生児がうまれたが、こうなると、秀子はいよいよ島を去ることができなくなった。こんどは秀子は、家政婦と保ほ姆ぼをかねなければならなくなった。そして、琴絵が死ぬと、こんどは智子の養育がかりに、そして智子が成長すると、ふたたび家庭教師にかえり、とうとう今日まですごしてきたのである。
 秀子はことし、四十四か五になるのだろう。彼女はとうとう生涯を、琴絵母おや子このために棒にふったわけだが、彼女はそれについて、少しも悔いるところはない。彼女は琴絵を愛していたと同様に、いやいや、それ以上に智子を愛しているのである。秀子は智子が、母よりも更に美しく、聡明に、そして分別にとんだ女性として成人したことを、このうえもなく満足に思っている。実際、智子があのように美しく、気高く、女王のように威厳にみちた女性となったのは、ひとえに秀子の丹精のおかげなのである。
 こうして智子は、ちかく第十八回目の誕生日をむかえようとしているのだが、その日のちかづくのを智子をはじめ、祖母の槙も、家庭教師の神尾秀子も、三人三様のおもいで見まもっているのである。それは三人にとって、期待と不安に胸のふるえる、息づまるようなおもいであった。
 なぜならば、その日になると智子をはじめ三人は、東京に住んでいる智子の父、大道寺欣きん造ぞうのもとに、ひきとられることになっているのだから。そして今日かあすにも、東京から父のむかえが来ようとしている。…… さて、誕生日を数日のちにひかえた五月二十日。この日こそは大道寺智子が、これからお話しようとする、世にもおそろしい事件の、最初の足音をきいた日なのだが、いま、そのことからお話をすすめていくことにしよう。
 五月二十日。
 もし諸君がその日のたそがれごろ、船で棹さおの岬の突端、鷲わしの嘴くちばしのふもとを通ったら、そこに世にも美しいものを見たであろう。
 きりたてたような鷲の嘴の絶壁のうえに、女がひとり立っていた。青黒い椿つばきの新緑を背景に、燃ゆるような落日をまともにうけてたたずんでいる彼女のすがたは、さながら一幅の絵だった。ふっさりと肩にたらした黒髪が、さやさやと海からくる微風になびくたびに、きらきらと金色にかがやき、それが白椿のように蒼あおざめた、女の顔にこのうえもなく微妙な陰いん翳えいをなげかける。
 いうまでもなくそれは智子だった。
 智子は胸にかぐわしい、数本の山百合の花を抱いている。智子は身動きもしない。うつろの眼を、遠く水平線のかなたに投げかけたまま、塑そ像ぞうのように立っている。彼女はずいぶん長いあいだ、そうして鷲の嘴の突端に立っていた。それはまるで黙もく禱とうでもささげているような恰かつ好こうであった。いや、事実、彼女は黙禱していたのだ。
 やがて、だいぶんたってから、智子は黙禱が終わったのか、瞳めを転じて崖がけの下をのぞきこんだ。しかし、すぐはげしく身ぶるいをすると、息をのみ、眼をとじて、静かに一本の山百合を、崖のうえから海に落とした。
 山百合の花は落日にかがやきながら、海のうえに落ちていく。そこには無数の岩が海面から頭を出し、岩と岩とのあいだを黒潮が、白い泡を立てて渦をまいている。山白合の花はすぐにその泡のなかにまきこまれる。
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