そういって、一葉の古ぼけた手札形の写真を示した。見ると裏には、間違いなく新聞のと同じ名前が、下手な手蹟でしたためてある。なる程それでこの新聞記事を読ませたのだな。僕は一応合点することが出来た。しかしよく考えて見ると、こんな一年も前の出来事を何故今頃になって、しかもよる夜中、わざわざ僕に知らせるのか、その点がどうも解せない。それに、さっきからRがいやにこう奮している様子も、おかしいのだ。僕はさも不思議そうにRの顔を見つめていたに相違ない。すると彼は、
「君はまだ気がつかぬ様だね。もう一度その写真を見てごらん。よく注意して。……それを見て何か思い当る事柄はないかね」
というのだ。僕はいわれるままに、その白髪頭の、しわだらけの田舎ばばの顔を、さらにつくづくながめたことだが、すると、君、僕はあぶなくアッと叫ぶ所だったよ。そのばばあの顔がね、さっきの百面相役者の変装の一つと、もう寸分違わないのだ。しわのより方、鼻や口の恰好、見れば見る程まるで生き写しなんだ。僕は生がいの中で、あんな変な気持を味った事は、二度とないね。考えて見給え、一年前に死んで、墓場へ埋められて、おまけに首まで切られた老ばが、少くとも彼女と一分一厘違わないある他の人間が(そんなものはこの世にいるはずがない)××観音の芝居小屋で活躍しているのだ。こんな不思議なことがあり得るものだろうか。
「あの役者が、どんなに変装がうまいとしてもだ、見も知らぬ実在の人物と、こうも完全に一致することが出来ると思うかね」
Rはそういって、意味ありげに僕の顔をながめた。
「いつか新聞社であれを見た時には、僕は自分の眼がどうかしているのだと思って、別段深くも考えなかった。が、日がたつに随ってどうも何となく不安で堪らない。そこで、今日は幸い君の来るのが分っていたものだから、君にも見くらべてもらって、僕の疑問を晴らそうと思ったのだ。ところが、これじゃ疑いが晴れるどころか、益々僕の想像が確実になって来た。もう、そうでも考える外には、この不思議な事実を解釈する方法がないのだ」
そこでRは一段と声を低め、非常に緊張した面色になって、
「この想像は非常に突飛な様だがね。しかし満更不可能な事ではない。先ず当時の首泥坊と今日の百面相役者とが同一人物だと仮定するのだ。(あの犯人はその後捕縛されてはいないのだから、これはあり得ることだ)で、最初は、あるいは死体の脳味そをとるのが目的だったかも知れない。だが、そうして沢山の首を集めた時、彼が、それらの首の脳味そ以外の部分の利用法を、考えなかったと断定することは出来ない。一般に犯罪者というものは、異常な名誉心を持っているものだ。それに、あの役者は、さっきも話した通り、うまく化ける事が俳優の第一条件で、それさえ出来れば、日本一の名声を博するものと、信じ切っている。なおその上に、首泥坊で偶然芝居好きででもあったと仮定すれば、この想像説は益々確実性を帯びて来るのだ。君、僕の考えは余り突飛過ぎるだろうか。彼が盗んだ首から様々の人肉の面を製造したという、この考えは……」
おお、「人肉の面」! 何という奇怪な、犯罪者の独創であろう。なるほど、それは不可能なことではない。巧に顔の皮をはいで、はく製にして、その上から化粧を施せば、立派な「人肉の面」が出来上るに相違ない。では、あの百面相役者の、その名にふさわしい幾多の変装姿はそれぞれに、かつてこの世に実在した人物だったのか。
僕は、あまりのことに、自分の判断力を疑った。その時の、Rや僕の理論に、どこか非常なさくごがあるのではないかと疑った。一体「人肉の面」を被って、平気で芝居を演じ得る様なそんな残酷な人鬼が、この世に存在するであろうか。だが、考えるに随って、どうしても、その外には想像のつけようがないことが分って来た。僕は一時間前に、現にこの目で見たのだ。そして、それと寸分違わぬ人物が、ここに写真の中に居るのだ。またRにしても、彼は日頃冷静を誇っている程の男だ。よもやこんな重大な事柄を、誤って判断することはあるまい。
「若しこの想像が当っているとすると(実際この外に考え様がないのだが)すてておく訳には行かぬ。だが、今すぐこれを警察に届けたところで相手にして呉れないだろう。もっと確証を握る必要がある。例えば百面相役者のつづらの中から、「人肉の面」そのものを探し出すという様な。ところで、幸い僕は新聞記者だし、あの役者に面識もある。これは一つ、探偵の真似をして、この秘密をあばいてやろうかな。……そうだ。僕は明日からそれに着手しよう。若しうまく行けば、親戚の老ばの供養にもなることだし、また社に対しても非常な手柄だからね」
遂にはRは、決然として、こういう意味のことをいった。僕も確それに賛意を表した。二人はその晩二時頃までも、非常に興奮して語り続けた。
さあそれからというものは、僕の頭はこの奇怪な「人肉の面」で一杯だ。学校で授業をしていても、家で本を読んでいても、ふと気がつくと、いつの間にかそれを考えている。Rは今頃どうしているだろう。うまくあの役者に近くことが出来たかしら。そんなことを想像すると、もう一刻もじっとしていられない。そこで、確芝居を見た翌々日だったかに、僕はまたRを訪問した。
行って見ると、Rはランプの下で熱心に読書していた。本は例によって、篤胤の「鬼神論」とか「古今妖魅考」とかいう種類のものだった。
「ヤ、この間は失敬した」
僕があいさつすると、彼は非常に落ついてこう答えた。僕はもう、ゆっくり話しの順序など考えている余裕はない。すぐ様例の問題を切り出した。
「あれはどうでした。少しは手がかりがつきましたか」
Rは少しけげん相な顔で、
「あれとは?」
「ソラ、例の『人肉の面』の一件ですよ。百面相役者の」
僕が声を落してさも一大事という調子で、こう聞くとね。驚いたことには、Rの顔が妙に歪み出したものだ。そして、今にも爆発しようとする笑声を、一生懸命かみ殺している声音で、
「アア『人肉の面」か、あれはなかなか面白かったね」
というのだ。僕は何だか様子が変だと思ったけれど、まだ分らないで、ボンヤリと彼の顔を見つめていた。すると、Rにはその表情が余程間が抜けて見えたに相違ない。彼はもう堪まらないという様子で、矢庭にゲタゲタ笑い出したものだ。
「ハハハハハ、あれは君、空想だよ。そんな事実があったら、さぞ愉快だろうという僕の空想に過ぎないのだよ。……成る程、百面相役者は実際珍らしい芸人だが、まさか『人肉の面』をつける訳でもなかろう。それから、首泥坊の方は、これは、僕の担当した事件で、よく知っているが、その後ちゃんと犯人が上っている。だからね、この二つの事実の間には、何の聯絡もないのさ。僕が、それを一寸空想でつなぎ合せて見たばかりなのだ。ハハハハ。アア、例の老ばの写真かい。僕にあんな親戚なぞあるものか。あれはね、実は新聞社で写した、百面相役者自身の変装姿なのだよ。それを古い台紙にはりつけて、手品の種に使ったという訳さ。種明しをしてしまえば何でもないが、でもこの間は面白かっただろう。この退屈極まる人生もね、こうして、自分の頭で創作した筋を楽しんで行けば、相当愉快に暮せようというものだよ。ハハハハ」
これで、この話しはおしまいだ。百面相役者はその後どうしたのか、一向うわさを聞かない。恐らく、旅から旅をさすらって、どこかの田舎で朽ちはててしまったのでもあろうか。