どくろの歯
黒井博士と八木さんとは、あんこくの洞窟の中に、あいたいして立っていました。おたがいの懐中電灯にてらされた、ふたりの顔には、はげしい敵意がもえています。
「きみはなにも知らないだろうが、きみたち三人が飛行機で出発したあとで、東京にはみょうなことが、おこっていたのだ。」
八木さんが、はじめました。ほうたいで半分かくれた顔に、するどい目が光っています。
「きみたちが出発したあとで、ぼくは、黒井博士邸に電話をかけた。しかし、いくらベルがなっても、だれも電話口へ出てこない。なんど、かけても同じことだ。そこで、ぼくは、ふと、うたがいをおこした。念のために、自動車で博士邸へ行ってみた。玄関がしまって、ひっそりしてる。だれもいないらしい。博士がいないのはわかっているが、博士の娘さんと、やとい人がいるはずだ。おかしいと思ったので、ぼくは窓をやぶって、うちの中にはいってみた。すると、小さい娘さんが、さるぐつわをはめられ、手足をしばられて、部屋にたおれていた。おとうさんは? と聞くと、二階だというので、二階をさがしまわった。すると、げんじゅうにかぎをかけた、押しいれの中に、黒井博士その人が、しばられたまま、正体もなく、ねむっていた。麻酔薬をのまされたのだ。
黒井博士がふたりになった。ひとりは飛行機で出発した。ひとりは、家の中でしばられていた。どちらが、ほんとうの博士であるかは、いうまでもない。しばられていたほうが、ほんものなのだ。すると、ここにいる黒井博士は、まっかなにせものに、ちがいない。」
「夢でも見たんだろう。そんな、バカなことが、あってたまるものか。きみは、いったい、わしをだれだと言うのだ。」
黒井博士は、いたけだかに、つめよりました。ところが、八木さんのほうは、そのとき、にこにこと、笑ったのです。その笑い顔には、どこやら見おぼえがあります。八木さんは、あいての顔を、まっすぐに、指さしながら、さけびました。
「きみは、怪人四十面相だッ。」
それを聞くと、博士はタジタジとなりましたが、まだ、かぶとはぬぎません。
「しょうこがあるか。」
「しょうこは、これだッ。」
さけびざま、八木の手がすばやく、博士の頭にのびました。そして、アッというまに、半白のカツラが、ひんむかれ、ロイドめがねが、はねとばされ、三角のあごひげが、むしりとられました。その下から出てきたのは、黒々としたかみの、わかわかしい顔です。
「さすがに変装の名人だ。黒井博士とソックリだったよ。だが、もうこうなったら、おしまいだね。きみは、ふくろのネズミだ。」
化けの皮を、むかれた、四十面相は、もう、悪びれてはいません。かれのほうでも、ニヤリと、笑いかえしました。
「フーム、えらい。さては、きみは……明智小五郎だなッ。ほうたいの変装とは古いぞ。それをとって、すがおを見せてもらいたいな。」
四十面相が見やぶったとおり、八木さんに変装していたのは、名探偵、明智小五郎でした。かれは笑いながら、にせけがのほうたいを、とりさりました。
かくして、おたがいに、うらみかさなる巨人と怪人とは、地底のあんこくの中で、黄金の大どくろを前にして、異様な対面をとげたのです。
「ワハハ……、明智君、ひさしぶりだね。しかし、きみはたったひとりだ、小林のチンピラも、ふたりの青年も、よく寝ている。一対一だね。ところが、おれのほうには、まもなく十人の味方がやってくる。一対十では、いくら名探偵でも、手の出しようがあるまい。気のどくだが、こんどもまたおれの勝ちだね。」
四十面相は、おちつきはらって、せせら笑うのでした。しかし、明智のほうでは、そんなことには、すこしも、おどろきません。
「れいの快速艇の十人だね。ところが、こっちには、十五人の警官隊が、いまごろは、もう、この島へ上陸しているんだよ。ぼくはむこうの村につくまえに、とちゅうで、警察署によって、うちあわせておいたのだ。
四十面相と聞いて、警察の人たちは、むしゃぶるいをした。そして、くっきょうな十五人の警官が、大がたの快速艇にのって、もう島についているころだ。きみのほうの快速艇は、警察船と見て逃げだしたか、それとも、この岩の上で、ひとりのこらず警官隊にほばくされたか、いずれにしても、もう、きみの味方は、ひとりもいないはずだよ。」
それを聞くと、四十面相のひたいに、ふといかんしゃくすじが、ムクムクと、ふくれあがりました。顔色は激怒のあまり、むらさき色になっています。
「フーム、よくも、そこまで、手がまわった。さすがは明智だ。ほめてやるぞ……。こうなれば、おれは、ふくろのネズミだ。ふくろのネズミが、なにをやるか、きさまも、よく知っているだろう。おれは人殺しはきらいだ。しかし、おいつめられたネズミは、死のものぐるいで、なんだってやるぞッ……。これを見ろ。サア、きさまのいのちと、ひきかえだ。警官隊が来ないうちに、おれを逃がすか。それとも、きさまが死ぬか。どちらをとる?」
四十面相は、いきなりポケットからピストルをとりだして、明智の胸につきつけました。しかし、明智はビクともしません。やっぱりにこにこ笑いながら、あいての青ざめた顔を、ながめています。
「そこをのけッ。でないと、ぶっぱなすぞ。」
「気のどくだが、逃がすことは、できない。うつなら、うってみるがいい。」
四十面相は、明智のおちついた、笑い顔を見ると、むしょうに、はらがたちました。もう、がまんができないのです。ピストルのひきがねにかかった指が、グーッと、まがりました。カチッと、ピストルは発射されたのです。
名探偵は胸から、血を流して、たおれたでしょうか。いや、どうしたわけか、明智はへいきな顔で、にこにこしています。あせった四十面相は、またカチッと、ひきがねをひきました。こんどもだめです。すこしも手ごたえがありません。
「ハハハ……、きみはぼくの、いつものくせを知らないとみえるね。ぼくはあいてが飛び道具を持っているときには、そのたまをぬいたうえでなくては、勝負をしないのだよ。さっき、ここへくるみちで、サルのような声をたてる小人があらわれたね。その小人がきみにぶっつかった。そのとき、きみのピストルと、ぼくのピストルを、とりかえたのだよ。ふたつのピストルは、おなじ型だった。そして、小人がきみのポケットに、すべりこませたぼくのピストルには、実弾が一つもはいっていなかったのだ。きみのポケットから、ぬきとったやつは、これ、ここにある。こっちにはちゃんと、たまがはいっているんだ。サア、手をあげたまえ。」
明智はそう言って、自分のポケットから、ピストルを出し、四十面相の胸に、ねらいをさだめました。主客てんとうです。さすがの四十面相も、あまりのことに、あっけにとられてしまいました。そして、たまのないピストルを、地面にほうりだして、思わず両手をあげるのでした。
「すると、あの小人は……。」
「ごぞんじの小林少年さ。まっ暗ななかで、きびんに、はたらいたので、だれも、それとは気づかなかった。こういうときは、あのリスのように、すばしっこい少年が、いちばん、やくにたつのだよ。」
「ちくしょう。また、あのチンピラに、してやられたのかッ。」
四十面相は、いかりにもえて、洞窟の中を、見まわしました。
「ハハハ……いくら、さがしたって、小林はもうここにはいないんだよ。小林もコーヒーはのまなかった。さっきまで、ねむったふりをしていたばかりだよ。エ、どこへ行ったというのか。察しが悪いね。小林は、ぼくの代理に、警官たちを、でむかえに行ったのだよ。しばらく、そうして、まっていたまえ。いまに、小林が十五人の警官を、ここへ、あんないしてくるはずだ。」
四十面相は、もう、かんねんしたのか、そこに立ったまま、手むかいもしなければ、逃げだそうともしませんでした。顔色は死人のようにまっさおです。
それから十分もたったころ、洞窟のはるかむこうから、おおぜいのクツ音が、ぶきみな反響をともなって、聞こえてきました。そして、そのクツ音は、だんだん高くなり、やがて、おびただしいひかりが、岩のまがりかどから、あらわれました。十五人の警官隊が、ふりてらす懐中電灯です。
洞窟の中は、昼のように、明かるくなりました。そのひかりの洪水の中へ、いかめしい制服の警官隊が、列をなしてなだれこみ、その先頭に、われらの少年名探偵、小林君のいさましいすがたが見えました。かれは、リンゴのようなほおに、かわいらしい微笑をうかべ、まるで部隊長のように、とくいな顔つきでした。
四十面相は、もうすっかりまいっていました。かれは明智のピストルと、警官隊のすがたに、おびえて、だんだん、あとじさりをし、いまは、黄金の大どくろの口のへんに、もたれかかって、肩で息をしながら、うつろな目で、こちらを見つめていました。
どくろの斧のような巨大な歯ならびは、ちょうど、四十面相の肩のへんにかかっています。十いくつの懐中電灯が、そこに集中しました。ギラギラ光る黄金どくろの巨大な歯は、にくむべき怪人四十面相に、かみついています。心なき黄金どくろも、四十面相の悪念をにくんで、いま、最後の刑罰をくわえているかのように、見えるのでした。
かくして、さしもの怪人四十面相も、ついに、ほばくせられ、小林少年のながいあいだの苦労が、むくいられる時がきたのでした。