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江川蘭子

时间: 2023-10-07    进入日语论坛
核心提示:江川蘭子 神谷芳雄が、かつてなにびとも経験しなかったような、奇怪残虐(ざんぎゃく)な恋人の最期(さいご)を、マザマザと見せつ
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江川蘭子


 神谷芳雄が、かつてなにびとも経験しなかったような、奇怪残虐(ざんぎゃく)な恋人の最期(さいご)を、マザマザと見せつけられた、あの(のろ)うべき日から、一年あまりが過ぎ去った。
 その当座は、あまりにも(はげ)しかった衝撃にうちのめされて、生れつきの明るく快活な性格が、まったく一変したかと思われた。昼は幻に、夜は夢に、恋人弘子の断末魔の形相(ぎょうそう)が、あの人間だか野獣だかわからぬ怪物の顔と重なり合って、ありとあらゆる地獄の構図をもって、彼をおびやかしつづけた。もしやあの獣人父子が、ねぐらを奪われた(うら)みに燃えて、復讐(ふくしゅう)(つめ)を研いでいるのではないかと、彼は絶えず生命の危険をさえ感じなければならなかった。
 だが、時の力は恐ろしい。月日の流れは、いかなる悲しみも、恐れも、(いか)りも、いつとなく洗い薄めて行くものだ。
 その後、人間(ひょう)の親子は、警察のあらゆる捜索(そうさく)にもかかわらず、まったく消息を断ってしまった。外国へ逃亡したのではないかというものもあった。もう彼らの復讐を恐れるには及ばないように思われた。
 神谷の脳裡(のうり)から、一日一日と、野獣の記憶が薄らいで行った。いや、薄らいだのはそればかりではない。あれほど熱愛した恋人弘子の(おもかげ)さえも、その恋人を失った心の痛手さえも、今はおぼろに消えて行った。
 それというのが、神谷には新しく、第二の恋人ができたからだ……いや、彼の薄情を責めてはいけない。彼がその人を恋したのは、実はかつての弘子を忘れねばこそであった。
 そのころ都では、相対立する二大レビュー劇場が、あらゆる興行物を圧倒して、若人の人気を独占していた。その一方のレビュー団の女王と讃えられる歌姫に、江川蘭子という美しい娘がある。
 日本人向きの色っぽい声、ずば抜けて美しい顔、全都の青年男女を夢中に昂奮(こうふん)させる、不思議にも甘い微笑、十九の春のふっくらと成熟した肉体、その満都渇仰(まんとかつごう)の人気女優が、神谷の第二の恋人であった。
 それまではレビューというものにほとんど興味を持たなかった神谷が、ある日なにげなく演芸画報のページを繰っていたとき、江川蘭子の大写しが、ハッと彼の注意を()いた。一刹那(いっせつな)、死んだ弘子の写真ではないかと感じたほど、この歌姫は、彼のかつての恋人と(うり)二つであった。
 彼は(にわ)かにレビュー・ファンとなって、毎日のように大都劇場のボックスへ通った。そうして蘭子の舞台姿を見ることが度重なるに従って、彼の新しい情熱は、加速度に燃え上がって行った。
 歌姫江川蘭子には、かつての弘子の、あらゆる美しさ、あらゆる魅力が、十倍に拡大されて備わっていた。神谷の生得のあこがれについて、弘子はその影、蘭子こそ、やっと見つけたその本体ではないかと思われた。
 神谷は多くの青年たちの競争者として、蘭子を誘い出して一緒にお茶を飲むことを楽しんだ。二人きりのドライブも、二度三度と度重なっていった。もう青年たちは、神谷の敵ではなかった。
 神谷は醜い青年ではなかった。会社員とはいえ、前途を約束された重役の息子(むすこ)さんであった。お小遣いにも事は欠かなかった。その上、彼には気まぐれでない情熱があった。蘭子の方からも、彼にただならぬ好意を見せはじめたのは、なんの不思議もないことであった。
 神谷はもう、彼女のフィアンセのごとく振舞(ふるま)って、楽屋も訪問すれば、自宅への送り迎えもする間柄になっていた。こっそりと、郊外の料亭などで、夜をふかしたことも、一度や二度ではなかった。
 彼にとって、今の蘭子は、いわば昔の弘子の再生であった。それゆえに、弘子のことは、忘れねばこそ思い出しもしなかったのであるが、それと一緒に、あの人間獣恩田の恐ろしい記憶までが、ひとしお薄らいでしまったのは、不思議なほどであった。彼は今では、そういう怪物がこの世にいたということが、何か荒唐無稽(こうとうむけい)なおとぎ話のようにさえ思いなされるのであった。
 時は花咲く春であった。人は恋を得て、心も空に浮き立っていた。だが、咲きほこる花の(かげ)にこそ、おどろおどろしきあやかしの黒い風が待ち構えているものだ。彼がその存在をふと忘れた時にこそ、魔性(ましょう)のものは彼のすぐうしろにたたずんでいるのだ。やがて()る日のこと、神谷は、とうとう、あの恐ろしい人間(ひょう)の眼を、ゾッと思い出さなければならなかった。
「ゆうべはどうして、僕をすっぽかして帰ってしまったんだい。あんなに約束しておいたのに。楽屋番のおじさんにすっかり恥をかいてしまったぜ」
 その翌日、神谷が違約をなじったとき、蘭子はこんなふうに答えたのだ。
「あなた、からかっていらっしゃるの。それとも、そんなに忘れっぽくなってしまったの。あたしちゃんと送っていただきましたわ。それはそうと、あなたはゆうべ、車の中で、どうしてあんなにだまっていらしったの。少しばかり変なぐあいだったわ」
「えっ、僕が君を送ったって? それ、ほんとうかい。おとといの思い違いじゃないのかい」
 神谷はびっくりして聞き返した。
「あら、それじゃ、あれ、あなたじゃなかったの? でも……」
 なんだか、ちっとも物を言わないで変なぐあいではあったけれど、いつも神谷にするように話しかけると相手はそれに受け答えをしたのだし、別れる時には、いつもの通り、恋人同士の長い握手をさえかわしたではないか。あれが神谷でなかったとすると……
「そんなこと言って、あたしを(こわ)がらせるんじゃない? ほんとうに? ほんとうにあなたではなかったの?」
 いくら念を押しても、神谷の答えは変らない。
「まあ……それじゃ、あれ、いったい誰だったのでしょうか」
 蘭子はふと底知れぬ恐怖にとらわれて、みるみる青ざめて行った。
 はじめて見る彼女の恐怖の表情が、当然とはいえ、なき弘子のそれと生き写しであったことが、神谷をギョッとさせた。そして、自然の順序として、かつて弘子をそのような表情にまで(ふる)えおののかせたところのもの、あの人間(ひょう)の恐ろしい形相(ぎょうそう)を、思い浮かべないではいられなかった。
「君は、その男の顔を見なかったの? 顔も見ないで僕ときめてしまったの?」
「ええ、でも、あなただって、お別れする時まで、ずっとお面を取らないでいらっしゃることもあるんですもの……もし少しでも疑えば、その人のお面をとってみるんだったけれど、あたし、あなたとばかり思い込んでいたもんだから……」
 ああ、なんてくだらないものがはやり出したのであろう、「レビュー仮面」なんて。あんなものが流行するばっかりに、こんな間違いも起こるのだ。日頃(ひごろ)は彼も、レビュー見物にひとしおの風情(ふぜい)を添える思いつきとして、大いに賛意を表していたその仮面を、今は(のろ)わないではいられなかった。

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