「爺や、その人にあのことをよく話して」
お嬢さんは老人にこの娘を試験させて、自分はそばからそれを観察するつもりであろう。
「先ず第一にじゃね」老人は物々しくはじめた。「ここへご奉公するとなると、ご奉公中は一歩も家からそとへ出られないということを承知してもらわんけりゃなりません。お風呂はうちにあるし、買物などは、別の女中がいるから、それに頼めばよろしい。どうじゃな、あんたはそういう辛抱ができるかな」
「ええ、わたし構いませんです。わたしそとへなぞ出たくありませんから」
「おお、そうですかい。そと出嫌いかね。そいつは好都合じゃ。ところであんたの仕事というのは、ご承知の通りこのお嬢さまの小間使いなのじゃが、さっきも言う通り、お嬢さまはご病気なのだから、どんなことをおっしゃっても、お言葉を返してはいけませんぞ。万事おっしゃる通りにしてさし上げるのじゃ。わかったかね」
「あたし、わがままだから、そりゃ無理ばっかり言ってよ」
笛みたいな声が、からかうようにつけ加えた。
「ええ、なんでもおっしゃる通りにいたします」
蘭子はあくまでもつつましやかだ。
「爺や、あたしこのひと気に入りましたわ。なんて柔順な子でしょう。それに、可愛らしい顔をしているじゃないの」
お嬢さんは、すっかり蘭子がお気に召した様子である。
「それでは取りきめましても」
「ええ、いいわ。早く取りきめてちょうだい。お給金もどっさり上げてね」
「はなさん、お聞きの通りじゃ。親御さんの方へはいずれ詳しく手紙で申し送るとして、お前はきょうからここにいることにするがよろしい。別にさしつかえはないだろうね。ああ、そうか。よろしいよろしい。ところでお給金じゃが、お嬢さまのお言葉もあるので、これまでの例を破って、月百円ということにきめましょう。不服はないだろうね」
蘭子がお給金などで不服があろうはずはなかった。百円と言えば大した高給だ。この金額から想像しても、わがままお嬢さんのお守りはさぞ骨の折れることであろうとは思ったが、ほかの条件はすべて申し分がなかった。第一外出を禁ずるというのが、人眼を忍ぶ彼女に取って、何よりの好都合であった。いくらわがままだと言っても、相手は彼女と同年輩の娘さんである。声は笛みたいだけれど、そんなに邪慳な性質とも見えぬ。むしろ子供らしい無邪気なわがまま者らしく思われる。蘭子は、この様子なら当分ご奉公がつづけられそうに思った。
「では、それでよろしいのだね。とりきめましたよ……お前の部屋は、ここの次の間の小さい洋室じゃ。奉公人にはもったいない部屋だが、いつもお嬢さまの近くにいてもらいたいのでね。さあ、その荷物を次の間へ置いてくるがよかろう」
老人の言葉に従って、蘭子はその小部屋の机の上に風呂敷包みを置くと、そこに置いてある鏡台の前で、ちょっと身づくろいをして、元の寝室へ帰ってきた。
「お嬢さま、ではわたくしはあちらへ下がりますが、手はじめに何かこの子においいつけになることはございませんか」
老人が立ち上がって尋ねると、お嬢さんはムクムクとベッドの上に起き上がって、天蓋の薄絹をかき分け、やっとその寝間着姿を現わした。
見ると彼女の風体は実に異様なものであった。洋風のベッドに寝ながら、その寝間着は、純和風の袂の長い派手な友禅縮緬の長襦袢で、それに、キラキラ光る伊達巻をしめていた。そして頭から、婚礼の綿帽子みたいな形の黒い絹の頭巾を、スッポリと、顎の辺までかぶっているのだ。
「あたし、お風呂にはいりたいと思うのだけれど、その子に先へ行って用意させてくれない?」
「はい、承知しました……はなさん、では私についておいで、湯殿を教えてあげるから。お湯はちゃんと焚きつけてあるから、お前は湯加減を見て、手拭などをきちんとしておけばよろしいのじゃ」
老人はそんなことを言いながら、また廊下をたどって、立派な湯殿へ案内した。
浴槽も洗い場も一面のタイル張りで、採光がわるいのか、昼間だけれど、美しい装飾電燈がキラキラとかがやいていた。
老人が立ち去ると、蘭子は裾をまくって、タイルの上に降り、浴槽の蓋を取って湯加減を見たり、桶に湯を汲み出したり、かいがいしく入浴の用意をととのえた。
しばらくすると、次の間になっている脱衣場のドアが静かにひらいて、黒覆面のままのお嬢さんがはいってきた。
「ちょうどよい加減でございます」
蘭子は手を拭きながら、脱衣室にあがって、お嬢さんの前に小腰をかがめた。