奇怪なる贈り物
案内知った神谷青年の指図で、車が適当な場所に止まると、三人は急いで降り立ったが、明智は車内であらかじめ書き入れをしておいた名刺を小林少年に渡して、
「君は表に待っているんだ。腕時計はあるね。カッキリ十分間だよ、僕たちが高梨の家へはいってから十分間たっても出てこなかったら、近くの交番へ走るんだ。そしてその名刺を渡して、本署へ電話をかけてもらうんだ。そして、すぐさま僕たちを救い出す手配をしてくれるように頼むんだよ。わかったかい」
「はあ、わかりました」
「多分そんな事は起こりゃしないと思うけれどもね。ただ万一の用意なんだよ」
さて明智と神谷とが、高梨家の門前に近づいてみると、正門脇の潜り戸が半びらきになっていたので、構わずそこからはいって、玄関の呼鈴を押した。
だが、いくら押しても手応えがない。格子に手をかけて試みると、ガラガラと大きな音を立てて、わけもなくひらいた。
「ごめんください。ご不在ですか」
何度どなっても、誰も出てこない。
「君は僕が呼ぶまで、ここに待っててください。僕はこういうものを用意しているから大丈夫だけれど、君に万一のことがあってはいけませんから」
明智はポケットから小型のピストルを取り出して見せた。神谷が承知の旨を答えると、探偵は靴をぬいで、単身薄暗い家の中へはいって行ったが、やや五分もすると、失望の色を浮かべて戻ってきた。
「やっぱり僕の想像が当たりました。誰もいません。湯殿から納屋の中まで調べてみましたが、人のいたけはいはあるけれど、もぬけの殻です。これはほんとうは空き家なんですよ。恩田が空き家を借りて、必要な部屋にだけ飾りつけをしたのでしょう。応接間と奥の方の寝室らしい洋間だけに家具があって、そのほかの部屋はがらんどうですよ。ただ不思議なのは、つい今しがた湯にはいったやつがあるとみえて、湯殿の湯がまだ暖かいことです」
明智が委細を説明した。
「どっかに隠れているのではないでしょうか。それに、ここの主人というのが果たして恩田だったのでしょうか」
神谷は諦めわるく尋ねるのだ。
「それは間違いありませんよ。ごらんなさい。これはその寝室の小さいテーブルの上に残してあった賊の置き手紙です」
やっぱり手帳のきれっ端に、「明智君、一と足違いだったよ。お気の毒さま」とぶっきらぼうな走り書きがしてあった。
「するとあいつは、先生がここへ来られることを、ちゃんと知っていたのですね」
神谷が驚いて言った。
「そうです。敵に取って不足のない相手ですよ。だが、実に残念なことをしましたね。これほど智恵のまわるやつですから、いくら探したって、逃げた先を暗示するような手掛りが残っているはずはありません。われわれは一とまず引き上げるほかはないのです」
「ですが、蘭子はいったいどうしたのでしょうか。まさかだまって連れて行かれるはずはありませんが」
「それですよ。僕がさいぜんから心配しているのは。しかし、こういうことになっては、僕なんかの個人の力よりも、組織的な警察力にたよるほかはありません。僕たちは、すぐにあの車で警視庁を訪ねましょう。そして、捜査一課長に会いましょう。恒川課長は心やすいのですよ」
そして、彼らは高梨家の門を出ると、待たせてあった自動車を駆って、警視庁へと急がせたのである。
その結果、警察は俄かに色めき立って、築地の現場付近を洗い立てたのはいうまでもなく、熊井青年の国元への照会、その他少しでも関係のある方面には、抜かりなく手を廻して十二分に捜査を行なったのであるが、まったくなんの手掛りをも掴むことができなかった。恩田の借りていた家の家主をしらべたのはいうまでもない。しかし、高梨という白髪白髯の老人が、ちゃんと正規の手つづきを踏み、多額の敷金を納めて借り受けたという以外には、何事もわからなかった。
そうして一夜が明けたのだが、その翌朝、ついに明智の恐れていたものが事実となって現われたのである。
その朝、神谷芳雄の宅へ、奇妙な贈り物が届けられた。差出人は誰ともわからない。それを運んできた運送店へ、夜の白々明けに一台の自動車がとまって、神谷芳雄の所書きを示し、これをすぐに届けてくれと依頼されたとのことである。
贈り物というのは、大型のシナカバンを縦に二つつないだほどの大きな木箱で、その蓋の上には、熨斗屋の看板みたいなでっかい熨斗をはりつけ、胴中を、これも水引屋の看板みたいなべら棒に大きな水引でくくってあった。
「大きい花瓶かなんかじゃありませんか」
運送屋がそんなことを言って帰ったものだから、つい油断をして、心当たりはないけれど、会社関係の人からの贈り物かもしれんと、書生に手伝わせてひらいて見たのだが……
ひらいて見ると、まず眼を驚かせたのは、箱の表面一杯にひろがっている、おびただしい花束であった。それを見たとき、神谷青年はある予感にうちのめされて、心臓は早鐘をつくように騒ぎはじめたのだが、といって、見ないわけにはいかぬ。ソッと花束をかきのけて行くと、ああ、果たして、果たして……名探偵の予言はむごたらしくも的中したのだ……そこには、全裸体の江川蘭子の死骸が、まるで蝋人形のように美しく横たわっていたのである。
その白蝋のようなからだのうちに、ただ一か所美しくないところがあった。蘭子を殺したものは、美しくない部分であった。喉のところにパックリと口をあいた赤黒い傷痕。それは何か猛獣のするどい牙でもって喰いちぎられたように見えた。
ふと気がつくと、死骸の胸の上に、一封の手紙がのせてあった。神谷は無我夢中でその封を切ったが、そこには昨夕明智の宅へ投げこまれたものとそっくりの筆跡で、左のようないまわしい文句がしたためてあった。
神谷君、君はあまりに考えのない軽はずみをした。君が明智探偵を訪ねさえしなければ、こんなことは起こらなかったのだ。また、明智君が、昨夕の警告に従って、手を引きさえすれば、蘭子は無事でいられたのだ。君は取返しのつかぬ失策をしたのである。明智君にもよろしく伝えてくれたまえ。いずれ充分お礼はするからとね。
諸君の所謂『人間豹』より