神谷もじっとしているわけにはいかなかった。オズオズと玄関に出てみると、明智と小林少年とは、植込みの柴折戸から、裏庭の方へ廻ったらしい。門のそとは淋しいといっても、時々はタクシーの通る往来だ。まさか門のあたりに隠れているはずはあるまいと、わざとその安全な方角を選んで、彼はノコノコと歩いて行った。
だが、敷石道を五、六歩行くと、もう恐ろしくて歩けなかった。両側のナツメの植込みが、まっ黒な蔭を作って、そこに何かしらただならぬけはいが感じられたからだ。見まいとしても不思議な妖気が彼の眼をその方へ引きつけて行った。植込みのもっとも暗い蔭、そこの地上三尺ほどの闇に、ああ、忘れもしない、あの青く燃える二つの蛍火が、じっとこちらを見つめていたではないか。
神谷は、それを見た刹那、あとで考えると気恥かしくなるような、なんともえたいの知れぬ叫び声を立てながら、一目散に玄関の方へ逃げ帰ったのだが、逃げながら振り返ると、怪物の方でも驚いたらしく、黒い影が、植込みをザワザワいわせて、門の方へ、怪しい風のように飛び去って行くのが感じられた。
「神谷さん、どうしたのです」
叫び声を聞きつけて、明智と小林少年とが、玄関へ戻ってきた。
「やつがいたのですか」
神谷は、門外を指さして、「あちら、あちら」とかすれた声で告げ知らせた。
勇敢な二人は、それを聞くと、矢のように門のそとへ駈け出して行った。だが、しばらくすると、別段のこともなく帰ってきて、
「何もいませんよ。思い違いじゃありませんか」
と、疑わしげに神谷の青ざめた顔を見るのであった。
「間違いじゃありません。確かにあいつでした。まだその辺の路地かなんかに隠れているかもしれませんよ。すぐ警察へ電話をかけてはどうでしょうか」
「いや、それには及びません。いくらおまわりさんが来たって、捕まるやつじゃない。それは今までのたびたびの経験で、君もよく知っているでしょう。ここへ警察なんかが飛び出してきては、かえってぶちこわしですよ。まあ見ててごらんなさい。僕に少し考えがあるんだから」
明智はそれ以上捜索しようともせず、呑気らしいことを言って、サッサとうちの中へはいってしまった。神谷も仕方なくそのあとに従ったが、玄関を上がるか上がらないに、ドヤドヤと門内にはいってくる人の足音がして、大きな荷物が担ぎ込まれた。
「明智さんはこちらですね。これにご判を願います」
トラックの運転手みたいな男がどなっている。見ると、ドアのそとに、二人の男が何か大きな物を担いでいる。箱のようなものだ。長さ一間ほどもある細長い箱のようなものだ。それがドアをつきのけて、ニューッとこちらへはいってくる。
神谷はギョッとして立ちすくんでしまった。
第二の棺桶だ。
けさ彼のうちに起こったことが、ソックリそのまま再現したのだ。おれは夢でも見ているのかしら。いや、そうではない。夢なんかじゃない。すると、あの棺桶の中には、今度は誰の死骸がはいっているのだろう。
「奥さんは? 奥さんはどこにいらっしゃるのでしょう」
神谷は変な譫言みたいなことを言って、キョロキョロとあたりを見まわした。
「二階ですよ。今に降りてきますよ」
明智は無神経な返事をして、運転手のさし出す書付に判を押して、いまわしい荷物を応接間へ担ぎ込むように命じている。
「いいんですか。その箱の中、ご存じなんですか」
神谷は、今にも恐ろしいことが起こりそうに思われて、気が気ではなかった。
「ええ、知っていますとも。今お眼にかけますよ」
明智は落ちつき払っている。どうも変だ。この男はほんとうに明智探偵なのかしら。もしかしたら例の魔術でもって、いつの間にか、あのけだものが、明智に化けているのではないかしら。でなければ、こんな恐ろしい棺桶なぞを、ニヤニヤ笑いながら、うちの中へ持ち込むはずはないのだが。
明智は運転手たちが帰ってしまうと、応接室の窓々のブラインドを念入りにおろし、その上にカーテンを引いて、そとから隙見のできないようにしておいて、用意の釘抜きで木箱の蓋をひらきはじめた。
キイ、キイ、といやな音を立てて、一本ずつ釘がゆるむにつれて、蓋の一方が持ち上がって行く。そして、その隙間から、蔭になった箱の内部が、徐々に暴露されてくるのだ。
その棺桶の中に、一体どんなものがはいっていたか、神谷青年がそれを見て、どのように驚いたか。いや、彼が驚いたのはそればかりではなかった。その夜、明智の事務所には、次々と実に異様なことが起こったのだ。神谷はまるで狐にでもつままれたように、あっけにとられて、名探偵の演出する奇妙なお芝居に見とれているほかはなかった。