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坊っちゃん(10)

时间: 2017-02-02    进入日语论坛
核心提示:(十) 祝勝会で学校はお休みだ。練兵場れんぺいばで式があるというので、狸たぬきは生徒を引率して参列しなくてはならない。お
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(十)
 祝勝会で学校はお休みだ。練兵場れんぺいばで式があるというので、たぬきは生徒を引率して参列しなくてはならない。おれも職員の一人ひとりとしていっしょにくっついて行くんだ。町へ出ると日の丸だらけで、まぼしいくらいである。学校の生徒は八百人もあるのだから、体操の教師が隊伍たいごを整えて、一組一組の間を少しずつ明けて、それへ職員が一人か二人ふたりずつ監督かんとくとして割り仕掛しかけである。仕掛しかけだけはすこぶる巧妙こうみょうなものだが、実際はすこぶる不手際である。生徒は小供こどもの上に、生意気で、規律を破らなくっては生徒の体面にかかわると思ってる奴等やつらだから、職員が幾人いくたりついて行ったって何の役に立つもんか。命令も下さないのに勝手な軍歌をうたったり、軍歌をやめるとワーと訳もないのにときの声をげたり、まるで浪人ろうにんが町内をねりあるいてるようなものだ。軍歌も鬨の声も揚げない時はがやがや何か喋舌しゃべってる。喋舌らないでも歩けそうなもんだが、日本人はみな口から先へ生れるのだから、いくら小言をったって聞きっこない。喋舌るのもただ喋舌るのではない、教師のわる口を喋舌るんだから、下等だ。おれは宿直事件で生徒を謝罪さして、まあこれならよかろうと思っていた。ところが実際は大違おおちがいである。下宿のばあさんの言葉を借りて云えば、正に大違いの勘五郎かんごろうである。生徒があやまったのはしんから後悔こうかいしてあやまったのではない。ただ校長から、命令されて、形式的に頭を下げたのである。商人が頭ばかり下げて、ずるい事をやめないのと一般で生徒も謝罪だけはするが、いたずらは決してやめるものでない。よく考えてみると世の中はみんなこの生徒のようなものから成立しているかも知れない。人があやまったりびたりするのを、真面目まじめに受けて勘弁するのは正直過ぎる馬鹿ばかと云うんだろう。あやまるのも仮りにあやまるので、勘弁するのも仮りに勘弁するのだと思ってればつかえない。もし本当にあやまらせる気なら、本当に後悔するまでたたきつけなくてはいけない。
 おれが組と組の間にはいって行くと、天麩羅てんぷらだの、団子だんごだの、と云う声が絶えずする。しかも大勢だから、だれが云うのだか分らない。よし分ってもおれの事を天麩羅と云ったんじゃありません、団子と申したのじゃありません、それは先生が神経衰弱しんけいすいじゃくだから、ひがんで、そう聞くんだぐらい云うにまってる。こんな卑劣ひれつな根性は封建時代から、養成したこの土地の習慣なんだから、いくら云って聞かしたって、教えてやったって、到底とうてい直りっこない。こんな土地に一年も居ると、潔白なおれも、この真似まねをしなければならなく、なるかも知れない。むこうでうまく言いけられるような手段で、おれの顔をよごすのをほうっておく、樗蒲一ちょぼいちはない。向こうが人ならおれも人だ。生徒だって、子供だって、ずう体はおれより大きいや。だから刑罰けいばつとして何か返報をしてやらなくっては義理がわるい。ところがこっちから返報をする時分に尋常じんじょうの手段で行くと、向うから逆捩さかねじを食わして来る。貴様がわるいからだと云うと、初手からみちが作ってある事だから滔々とうとうと弁じ立てる。弁じ立てておいて、自分の方を表向きだけ立派にしてそれからこっちの非を攻撃こうげきする。もともと返報にした事だから、こちらの弁護は向うの非が挙がらない上は弁護にならない。つまりは向うから手を出しておいて、世間体はこっちが仕掛けた喧嘩けんかのように、見傚みなされてしまう。大変な不利益だ。それなら向うのやるなり、愚迂多良童子ぐうたらどうじを極め込んでいれば、向うはますます増長するばかり、大きく云えば世の中のためにならない。そこで仕方がないから、こっちも向うの筆法を用いてつらまえられないで、手の付けようのない返報をしなくてはならなくなる。そうなっては江戸えどっ子も駄目だめだ。駄目だが一年もこうやられる以上は、おれも人間だから駄目でも何でもそうならなくっちゃ始末がつかない。どうしても早く東京へ帰ってきよといっしょになるに限る。こんな田舎いなかに居るのは堕落だらくしに来ているようなものだ。新聞配達をしたって、ここまで堕落するよりはましだ。
 こう考えて、いやいや、いてくると、何だか先鋒せんぽうが急にがやがやさわぎ出した。同時に列はぴたりと留まる。変だから、列を右へはずして、向うを見ると、大手町おおてまちき当って薬師町やくしまちへ曲がる角の所で、行きづまったぎり、し返したり、押し返されたりしてみ合っている。前方から静かに静かにと声をらして来た体操教師に何ですと聞くと、曲り角で中学校と師範しはん学校が衝突しょうとつしたんだと云う。
 中学と師範とはどこの県下でも犬とさるのように仲がわるいそうだ。なぜだかわからないが、まるで気風が合わない。何かあると喧嘩をする。大方せまい田舎で退屈たいくつだから、暇潰ひまつぶしにやる仕事なんだろう。おれは喧嘩は好きな方だから、衝突と聞いて、面白半分にけ出して行った。すると前の方にいる連中は、しきりに何だ地方税のくせに、引き込めと、怒鳴どなってる。後ろからは押せ押せと大きな声を出す。おれは邪魔じゃまになる生徒の間をくぐり抜けて、曲がり角へもう少しで出ようとした時に、前へ! と云う高くするどい号令がきこえたと思ったら師範学校の方は粛粛しゅくしゅくとして行進を始めた。先を争った衝突は、折合がついたには相違そういないが、つまり中学校が一歩をゆずったのである。資格から云うと師範学校の方が上だそうだ。
 祝勝の式はすこぶる簡単なものであった。旅団長が祝詞を読む、知事が祝詞を読む、参列者が万歳ばんざいを唱える。それでおしまいだ。余興は午後にあると云う話だから、ひとまず下宿へ帰って、こないだじゅうから、気にかかっていた、清への返事をかきかけた。今度はもっとくわしく書いてくれとの注文だから、なるべく念入ねんいりしたためなくっちゃならない。しかしいざとなって、半切はんきれを取り上げると、書く事はたくさんあるが、何から書き出していいか、わからない。あれにしようか、あれは面倒臭めんどうくさい。これにしようか、これはつまらない。何か、すらすらと出て、骨が折れなくって、そうして清が面白がるようなものはないかしらん、と考えてみると、そんな注文通りの事件は一つもなさそうだ。おれはすみって、筆をしめして、巻紙をにらめて、――巻紙を睨めて、筆をしめして、墨を磨って――同じ所作を同じように何返もり返したあと、おれには、とても手紙は書けるものではないと、あきらめてすずりふたをしてしまった。手紙なんぞをかくのは面倒臭い。やっぱり東京まで出掛けて行って、って話をするのが簡便だ。清の心配は察しないでもないが、清の注文通りの手紙を書くのは三七日の断食だんじきよりも苦しい。
 おれは筆と巻紙をほうり出して、ごろりと転がって肱枕ひじまくらをしてにわの方をながめてみたが、やっぱり清の事が気にかかる。その時おれはこう思った。こうして遠くへ来てまで、清の身の上を案じていてやりさえすれば、おれの真心まことは清に通じるに違いない。通じさえすれば手紙なんぞやる必要はない。やらなければ無事でくらしてると思ってるだろう。たよりは死んだ時か病気の時か、何か事の起った時にやりさえすればいい訳だ。
 庭は十坪とつぼほどの平庭で、これという植木もない。ただ一本の蜜柑みかんがあって、へいのそとから、目標めじるしになるほど高い。おれはうちへ帰ると、いつでもこの蜜柑を眺める。東京を出た事のないものには蜜柑のっているところはすこぶるめずらしいものだ。あの青い実がだんだん熟してきて、黄色になるんだろうが、定めて奇麗きれいだろう。今でももう半分色の変ったのがある。ばあさんに聞いてみると、すこぶる水気の多い、うまい蜜柑だそうだ。今にうれたら、たんとし上がれと云ったから、毎日少しずつ食ってやろう。もう三週間もしたら、充分じゅうぶん食えるだろう。まさか三週間以内にここを去る事もなかろう。
 おれが蜜柑の事を考えているところへ、偶然山嵐ぐうぜんやまあらしが話しにやって来た。今日は祝勝会だから、君といっしょにご馳走ちそうを食おうと思って牛肉を買って来たと、竹の皮のつつみたもとから引きずり出して、座敷ざしき真中まんなかへ抛り出した。おれは下宿で芋責いもぜめ豆腐責になってる上、蕎麦そば屋行き、団子だんご屋行きを禁じられてる際だから、そいつは結構だと、すぐ婆さんからなべと砂糖をかり込んで、煮方にかたに取りかかった。
 山嵐は無暗むやみに牛肉を頬張ほおばりながら、君あの赤シャツが芸者に馴染なじみのある事を知ってるかと聞くから、知ってるとも、この間うらなりの送別会の時に来た一人がそうだろうと云ったら、そうだぼくはこのごろようやく勘づいたのに、君はなかなか敏捷びんしょうだと大いにほめた。
「あいつは、ふた言目には品性だの、精神的娯楽ごらくだのと云うくせに、裏へまわって、芸者と関係なんかつけとる、しからんやつだ。それもほかの人が遊ぶのを寛容かんようするならいいが、君が蕎麦屋へ行ったり、団子屋へはいるのさえ取締上とりしまりじょう害になると云って、校長の口を通して注意を加えたじゃないか」
「うん、あの野郎の考えじゃ芸者買は精神的娯楽で、天麩羅や、団子は物理的娯楽なんだろう。精神的娯楽なら、もっと大べらにやるがいい。何だあのざまは。馴染の芸者がはいってくると、入れ代りに席をはずして、逃げるなんて、どこまでも人を胡魔化ごまかす気だから気に食わない。そうして人が攻撃こうげきすると、僕は知らないとか、露西亜ロシア文学だとか、俳句が新体詩の兄弟分だとか云って、人をけむくつもりなんだ。あんな弱虫は男じゃないよ。全く御殿女中ごてんじょちゅうの生れ変りか何かだぜ。ことによると、あいつのおやじは湯島のかげまかもしれない」
「湯島のかげまた何だ」
「何でも男らしくないもんだろう。――君そこのところはまだ煮えていないぜ。そんなのを食うと絛虫さなだむしくぜ」
「そうか、大抵大丈夫たいていだいじょうぶだろう。それで赤シャツは人にかくれて、温泉の町の角屋かどやへ行って、芸者と会見するそうだ」
「角屋って、あの宿屋か」
「宿屋兼料理屋さ。だからあいつを一番へこますためには、あいつが芸者をつれて、あすこへはいり込むところを見届けておいて面詰めんきつするんだね」
「見届けるって、夜番よばんでもするのかい」
「うん、角屋の前に枡屋ますやという宿屋があるだろう。あの表二階をかりて、障子しょうじへ穴をあけて、見ているのさ」
「見ているときに来るかい」
「来るだろう。どうせひと晩じゃいけない。二週間ばかりやるつもりでなくっちゃ」
随分ずいぶん疲れるぜ。僕あ、おやじの死ぬとき一週間ばかり徹夜てつやして看病した事があるが、あとでぼんやりして、大いに弱った事がある」
「少しぐらい身体が疲れたって構わんさ。あんな奸物かんぶつをあのままにしておくと、日本のためにならないから、僕が天に代って誅戮ちゅうりくを加えるんだ」
愉快ゆかいだ。そう事が極まれば、おれも加勢してやる。それで今夜から夜番をやるのかい」
「まだ枡屋に懸合かけあってないから、今夜は駄目だ」
「それじゃ、いつから始めるつもりだい」
「近々のうちやるさ。いずれ君に報知をするから、そうしたら、加勢してくれたまえ」
「よろしい、いつでも加勢する。ぼく計略はかりごと下手へただが、喧嘩とくるとこれでなかなかすばしこいぜ」
 おれと山嵐がしきりに赤シャツ退治の計略はかりごとを相談していると、宿の婆さんが出て来て、学校の生徒さんが一人、堀田ほった先生にお目にかかりたいてておでたぞなもし。今お宅へ参じたのじゃが、お留守るすじゃけれ、大方ここじゃろうててさがし当ててお出でたのじゃがなもしと、しきいの所へひざいて山嵐の返事を待ってる。山嵐はそうですかと玄関げんかんまで出て行ったが、やがて帰って来て、君、生徒が祝勝会の余興を見に行かないかってさそいに来たんだ。今日は高知こうちから、何とかおどりをしに、わざわざここまで多人数たにんず乗り込んで来ているのだから、是非見物しろ、めったに見られないおどりだというんだ、君もいっしょに行ってみたまえと山嵐は大いに乗り気で、おれに同行を勧める。おれは踴なら東京でたくさん見ている。毎年八幡様はちまんさまのお祭りには屋台が町内へ廻ってくるんだから汐酌しおくみでも何でもちゃんと心得ている。土佐っぽの馬鹿踴なんか、見たくもないと思ったけれども、せっかく山嵐が勧めるもんだから、つい行く気になって門へ出た。山嵐を誘いに来たものは誰かと思ったら赤シャツの弟だ。みょうやつが来たもんだ。
 会場へはいると、回向院えこういん相撲すもう本門寺ほんもんじ御会式おえしきのように幾旒いくながれとなく長い旗を所々に植え付けた上に、世界万国の国旗をことごとく借りて来たくらい、なわから縄、つなから綱へわたしかけて、大きな空が、いつになくにぎやかに見える。東のすみに一夜作りの舞台ぶたいを設けて、ここでいわゆる高知の何とか踴りをやるんだそうだ。舞台を右へ半町ばかりくると葭簀よしずの囲いをして、活花いけばな陳列ちんれつしてある。みんなが感心して眺めているが、一向くだらないものだ。あんなに草や竹を曲げてうれしがるなら、背虫の色男や、びっこ亭主ていしゅを持って自慢じまんするがよかろう。
 舞台とは反対の方面で、しきりに花火を揚げる。花火の中から風船が出た。帝国万歳ていこくばんざいとかいてある。天主の松の上をふわふわ飛んで営所のなかへ落ちた。次はぽんと音がして、黒い団子が、しょっと秋の空を射抜いぬくようにがると、それがおれの頭の上で、ぽかりと割れて、青いけむりかさの骨のように開いて、だらだらと空中に流れ込んだ。風船がまた上がった。今度は陸海軍万歳と赤地に白く染め抜いた奴が風に揺られて、温泉の町から、相生村あいおいむらの方へ飛んでいった。大方観音様の境内けいだいへでも落ちたろう。
 式の時はさほどでもなかったが、今度は大変な人出だ。田舎にもこんなに人間が住んでるかとおどろいたぐらいうじゃうじゃしている。利口りこうな顔はあまり見当らないが、数から云うとたしかに馬鹿に出来ない。そのうち評判の高知の何とか踴が始まった。踴というから藤間か何ぞのやる踴りかと早合点していたが、これは大間違いであった。
 いかめしい後鉢巻うしろはちまきをして、ばかま穿いた男が十人ばかりずつ、舞台の上に三列にならんで、その三十人がことごとく抜き身をげているには魂消たまげた。前列と後列の間はわずか一尺五寸ぐらいだろう、左右の間隔かんかくはそれより短いとも長くはない。たった一人列をはなれて舞台のはしに立ってるのがあるばかりだ。この仲間はずれの男は袴だけはつけているが、後鉢巻は倹約して、抜身の代りに、胸へ太鼓たいこけている。太鼓は太神楽だいかぐらの太鼓と同じ物だ。この男がやがて、いやあ、はああと呑気のんきな声を出して、妙なうたをうたいながら、太鼓をぼこぼん、ぼこぼんとたたく。歌の調子は前代未聞の不思議なものだ。三河万歳みかわまんざい普陀洛ふだらくやの合併がっぺいしたものと思えば大した間違いにはならない。
 歌はすこぶる悠長ゆうちょうなもので、夏分の水飴みずあめのように、だらしがないが、句切りをとるためにぼこぼんを入れるから、のべつのようでも拍子ひょうしは取れる。この拍子に応じて三十人の抜き身がぴかぴかと光るのだが、これはまたすこぶる迅速じんそくなお手際で、拝見していても冷々ひやひやする。となりも後ろも一尺五寸以内に生きた人間が居て、その人間がまた切れる抜き身を自分と同じようにわすのだから、よほど調子がそろわなければ、同志撃どうしうちを始めて怪我けがをする事になる。それも動かないで刀だけ前後とか上下とかに振るのなら、まだ危険あぶなくもないが、三十人が一度に足踏あしぶみをして横を向く時がある。ぐるりと廻る事がある。膝を曲げる事がある。隣りのものが一秒でも早過ぎるか、おそ過ぎれば、自分の鼻は落ちるかも知れない。隣りの頭はそがれるかも知れない。抜き身の動くのは自由自在だが、その動く範囲はんいは一尺五寸角の柱のうちにかぎられた上に、前後左右のものと同方向に同速度にひらめかなければならない。こいつは驚いた、なかなかもって汐酌しおくみせきおよぶところでない。聞いてみると、これははなはだ熟練の入るもので容易な事では、こういう風に調子が合わないそうだ。ことにむずかしいのは、かの万歳節のぼこぼん先生だそうだ。三十人の足の運びも、手の働きも、こしの曲げ方も、ことごとくこのぼこぼん君の拍子一つで極まるのだそうだ。はたで見ていると、この大将が一番呑気そうに、いやあ、はああと気楽にうたってるが、その実ははなはだ責任が重くって非常に骨が折れるとは不思議なものだ。
 おれと山嵐が感心のあまりこの踴を余念なく見物していると、半町ばかり、向うの方で急にわっと云う鬨の声がして、今までおだやかに諸所を縦覧していた連中が、にわかに波を打って、右左りにうごき始める。喧嘩だ喧嘩だと云う声がすると思うと、人のそでくぐけて来た赤シャツの弟が、先生また喧嘩です、中学の方で、今朝けさ意趣返いしゅがえしをするんで、また師範しはんの奴と決戦を始めたところです、早く来て下さいと云いながらまた人の波のなかへもぐんでどっかへ行ってしまった。
 山嵐は世話の焼ける小僧だまた始めたのか、いい加減にすればいいのにと逃げる人をけながら一散にけ出した。見ている訳にも行かないから取りしずめるつもりだろう。おれは無論の事逃げる気はない。山嵐のかかとを踏んであとからすぐ現場へ馳けつけた。喧嘩は今が真最中まっさいちゅうである。師範の方は五六十人もあろうか、中学はたしかに三割方多い。師範は制服をつけているが、中学は式後大抵たいていは日本服に着換きがえているから、敵味方はすぐわかる。しかし入り乱れて組んづ、ほごれつ戦ってるから、どこから、どう手を付けて引き分けていいか分らない。山嵐は困ったなと云う風で、しばらくこの乱雑な有様を眺めていたが、こうなっちゃ仕方がない。巡査じゅんさがくると面倒だ。飛び込んで分けようと、おれの方を見て云うから、おれは返事もしないで、いきなり、一番喧嘩のはげしそうな所へおどんだ。せ止せ。そんな乱暴をすると学校の体面に関わる。よさないかと、出るだけの声を出して敵と味方の分界線らしい所をけようとしたが、なかなかそううまくは行かない。一二間はいったら、出る事も引く事も出来なくなった。目の前に比較的ひかくてき大きな師範生が、十五六の中学生と組み合っている。止せと云ったら、止さないかと師範生のかたを持って、無理に引き分けようとする途端とたんにだれか知らないが、下からおれの足をすくった。おれは不意を打たれてにぎった、肩を放して、横にたおれた。かたくつでおれの背中の上へ乗った奴がある。両手と膝を突いて下から、ね起きたら、乗った奴は右の方へころがり落ちた。起き上がって見ると、三間ばかり向うに山嵐の大きな身体が生徒の間にはさまりながら、止せ止せ、喧嘩は止せ止せと揉み返されてるのが見えた。おい到底駄目だと云ってみたが聞えないのか返事もしない。
 ひゅうと風を切って飛んで来た石が、いきなりおれの頬骨ほおぼねあたったなと思ったら、後ろからも、背中をぼうでどやした奴がある。教師のくせに出ている、て打てと云う声がする。教師は二人だ。大きい奴と、小さい奴だ。石をげろ。と云う声もする。おれは、なに生意気な事をぬかすな、田舎者の癖にと、いきなり、そばに居た師範生の頭を張りつけてやった。石がまたひゅうと来る。今度はおれの五分刈ぶがりの頭をかすめて後ろの方へ飛んで行った。山嵐はどうなったか見えない。こうなっちゃ仕方がない。始めは喧嘩をとめにはいったんだが、どやされたり、石をなげられたりして、おそれ入って引き下がるうんでれがんがあるものか。おれを誰だと思うんだ。身長なりは小さくっても喧嘩の本場で修行を積んだ兄さんだと無茶苦茶に張り飛ばしたり、張り飛ばされたりしていると、やがて巡査だ巡査だ逃げろ逃げろと云う声がした。今まで葛練くずねりの中で泳いでるように身動きも出来なかったのが、急に楽になったと思ったら、敵も味方も一度に引上げてしまった。田舎者でも退却たいきゃくは巧妙だ。クロパトキンより旨いくらいである。
 山嵐はどうしたかと見ると、紋付もんつき一重羽織ひとえばおりをずたずたにして、向うの方で鼻をいている。鼻柱をなぐられて大分出血したんだそうだ。鼻がふくれ上がって真赤まっかになってすこぶる見苦しい。おれは飛白かすりあわせを着ていたからどろだらけになったけれども、山嵐の羽織ほどな損害はない。しかしほっぺたがぴりぴりしてたまらない。山嵐は大分血が出ているぜと教えてくれた。
 巡査は十五六名来たのだが、生徒は反対の方面から退却したので、つらまったのは、おれと山嵐だけである。おれらは姓名せいめいを告げて、一部始終を話したら、ともかくも警察まで来いと云うから、警察へ行って、署長の前で事の顛末てんまつを述べて下宿へ帰った。
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