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思い出す事など(二十)

时间: 2020-12-28    进入日语论坛
核心提示:ツルゲニェフ以上の芸術家として、有力なる方面の尊敬を新たにしつつあるドストイェフスキーには、人の知るごとく、小供の時分か
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ツルゲニェフ以上の芸術家として、有力なる方面の尊敬を新たにしつつあるドストイェフスキーには、人の知るごとく、小供の時分から癲癇(てんかん)発作(ほっさ)があった。われら日本人は癲癇と聞くと、ただ白い泡を連想するに過ぎないが、西洋では古くこれを神聖なる(やまい)(とな)えていた。この神聖なる疾に()かされる時、あるいはその少し前に、ドストイェフスキーは普通の人が大音楽を聞いて始めて(いた)り得るような一種微妙の快感に支配されたそうである。それは自己と外界との円満に調和した境地で、ちょうど天体の端から、無限の空間に足を(すべ)らして落ちるような心持だとか聞いた。
「神聖なる疾」に(かか)った事のない余は、不幸にしてこの年になるまで、そう云う(おもむき)に一瞬間も捕われた記憶をもたない。ただ大吐血後五六日――()つか経たないうちに、時々一種の精神状態に(おちい)った。それからは毎日のように同じ状態を繰り返した。ついには来ぬ先にそれを予期するようになった。そうして自分とは縁の遠いドストイェフスキーの()けたと云う不可解の歓喜をひそかに想像してみた。それを想像するか思い出すほどに、余の精神状態は尋常を飛び越えていたからである。ドクインセイの(こま)かに書き残した驚くべき阿片(あへん)の世界も余の連想に(のぼ)った。けれども読者の心目(しんもく)眩惑(げんわく)するに足る妖麗(ようれい)な彼の叙述が、(にぶ)い色をした卑しむべき原料から人工的に生れたのだと思うと、それを自分の精神状態に比較するのが急に(いや)になった。
 余は当時十分と続けて人と話をする(わずら)わしさを感じた。声となって耳に響く空気の波が心に(つたわ)って、平らかな気分をことさらに(ざわ)つかせるように覚えた。口を閉じて黄金(こがね)なりという古い言葉を思い出して、ただ仰向(あおむ)けに寝ていた。ありがたい事に(へや)(ひさし)と、向うの三階の屋根の間に、青い空が見えた。その空が秋の(つゆ)に洗われつつしだいに高くなる時節であった。余は黙ってこの空を見つめるのを日課のようにした。何事もない、また何物もないこの大空は、その静かな影を傾むけてことごとく余の心に映じた。そうして余の心にも何事もなかった。また何物もなかった。透明な二つのものがぴたりと合った。合って自分に残るのは、縹緲(ひょうびょう)とでも形容してよい気分であった。
 そのうち穏かな心の(すみ)が、いつか薄く(ぼか)されて、そこを照らす意識の色が(かす)かになった。すると、ヴェイルに似た(もや)が軽く全面に向って万遍(まんべん)なく()びて来た。そうして総体の意識がどこもかしこも稀薄(きはく)になった。それは普通の夢のように濃いものではなかった。尋常の自覚のように混雑したものでもなかった。またその中間に(よこた)わる重い影でもなかった。魂が身体(からだ)を抜けると云ってはすでに語弊がある。霊が(こま)かい神経の末端にまで行き(わた)って、泥でできた肉体の内部を、軽く清くすると共に、官能の実覚から(はる)かに遠からしめた状態であった。余は余の周囲に何事が起りつつあるかを自覚した。同時にその自覚が窈窕(ようちょう)として地の(におい)を帯びぬ一種特別のものであると云う事を知った。(ゆか)の下に水が廻って、自然と畳が浮き出すように、余の心は(おのれ)の宿る身体と共に、蒲団(ふとん)から浮き上がった。より適当に云えば、腰と肩と頭に触れる堅い蒲団がどこかへ行ってしまったのに、心と身体は元の位置に安く(ただよ)っていた。発作前(ほっさぜん)に起るドストイェフスキーの歓喜は、瞬刻のために十年もしくは終生の命を()しても(しか)るべき性質のものとか聞いている。余のそれはさように強烈のものではなかった。むしろ恍惚(こうこつ)として(かす)かな(おもむき)を生活面の全部に軽くかつ深く(いん)し去ったのみであった。したがって余にはドストイェフスキーの受けたような憂欝性(ゆううつせい)の反動が来なかった。余は朝からしばしばこの状態に()った。午過(ひるすぎ)にもよくこの蕩漾(とうよう)(あじわ)った。そうして()めたときはいつでもその楽しい記憶を(いだ)いて幸福の記念としたくらいであった。
 ドストイェフスキーの()()境界(きょうがい)は、生理上彼の(やまい)のまさに至らんとする予言である。生を(なかば)に薄めた余の興致は、単に貧血の結果であったらしい。

仰臥人如唖。 黙然見大空。
大空雲不動。 終日杳相同。

 

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