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硝子戸の中(4)

时间: 2021-01-21    进入日语论坛
核心提示:四 日ならずして、彼は二三の友達を拵(こしら)えた。その中(うち)で最も親しかったのはすぐ前の医者の宅にいる彼と同年輩ぐらい
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 日ならずして、彼は二三の友達を(こしら)えた。その(うち)で最も親しかったのはすぐ前の医者の宅にいる彼と同年輩ぐらいの悪戯者(いたずらもの)であった。これは基督教徒(キリストきょうと)相応(ふさわ)しいジョンという名前を持っていたが、その性質は異端者(いたんしゃ)のヘクトーよりも(はるか)に劣っていたようである。むやみに人に()みつく(くせ)があるので、しまいにはとうとう()(ころ)されてしまった。
 彼はこの悪友を自分の庭に引き入れて勝手な狼藉(ろうぜき)を働らいて私を困らせた。彼らはしきりに樹の根を掘って用もないのに大きな穴を()けて喜んだ。綺麗(きれい)な草花の上にわざと寝転(ねころ)んで、花も茎も容赦(ようしゃ)なく散らしたり、倒したりした。
 ジョンが殺されてから、無聊(ぶりょう)な彼は夜遊(よあそ)び昼遊びを覚えるようになった。散歩などに出かける時、私はよく交番の(そば)日向(ひなた)ぼっこをしている彼を見る事があった。それでも宅にさえいれば、よくうさん臭いものに()えついて見せた。そのうちで最も猛烈に彼の攻撃を受けたのは、本所辺から来る十歳(とお)ばかりになる角兵衛獅子(かくべえじし)の子であった。この子はいつでも「今日(こんち)は御祝い」と云って入って来る。そうして(うち)の者から、麺麭(パン)の皮と一銭銅貨を貰わないうちは帰らない事に一人できめていた。だからヘクトーがいくら吠えても逃げ出さなかった。かえってヘクトーの方が、吠えながら尻尾(しっぽ)(また)の間に(はさ)んで物置の方へ退却するのが例になっていた。要するにヘクトーは弱虫であった。そうして操行からいうと、ほとんど野良犬(のらいぬ)(えら)ぶところのないほどに堕落していた。それでも彼らに共通な人懐(ひとなつ)っこい愛情はいつまでも失わずにいた。時々顔を見合せると、彼は(かなら)ず尾を()って私に飛びついて来た。あるいは彼の背を遠慮なく私の身体(からだ)()りつけた。私は彼の泥足のために、衣服や外套(がいとう)(よご)した事が何度あるか分らない。
 去年の夏から秋へかけて病気をした私は、一カ月ばかりの(あいだ)ついにヘクトーに会う機会を得ずに過ぎた。(やまい)がようやく(おこた)って、(とこ)の外へ出られるようになってから、私は始めて茶の間の(えん)に立って彼の姿を宵闇(よいやみ)(うち)に認めた。私はすぐ彼の名を呼んだ。しかし生垣(いけがき)の根にじっとうずくまっている彼は、いくら呼んでも少しも私の(なさ)けに応じなかった。彼は首も動かさず、尾も振らず、ただ白い(かたまり)のまま垣根にこびりついてるだけであった。私は一カ月ばかり会わないうちに、彼がもう主人の声を忘れてしまったものと思って、(かす)かな哀愁(あいしゅう)を感ぜずにはいられなかった。
 まだ秋の始めなので、どこの()の雨戸も()められずに、星の光が明け放たれた家の中からよく見られる晩であった。私の立っていた茶の間の縁には、(うち)のものが二三人いた。けれども私がヘクトーの名前を呼んでも彼らはふり向きもしなかった。私がヘクトーに忘れられたごとくに、彼らもまたヘクトーの事をまるで念頭に置いていないように思われた。
 私は黙って座敷へ帰って、そこに敷いてある布団(ふとん)の上に横になった。病後の私は季節に不相当な黒八丈(くろはちじょう)(えり)のかかった銘仙(めいせん)のどてらを着ていた。私はそれを脱ぐのが面倒だから、そのまま仰向(あおむけ)に寝て、手を胸の上で組み合せたなり黙って天井(てんじょう)を見つめていた。

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