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硝子戸の中(16)

时间: 2021-01-30    进入日语论坛
核心提示:十六 宅(うち)の前のだらだら坂を下りると、一間ばかりの小川に渡した橋があって、その橋向うのすぐ左側に、小さな床屋が見える
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十六


 (うち)の前のだらだら坂を下りると、一間ばかりの小川に渡した橋があって、その橋向うのすぐ左側に、小さな床屋が見える。私はたった一度そこで髪を()って貰った事がある。
 平生は白い金巾(かなきん)の幕で、硝子戸(ガラスど)の奥が、往来から見えないようにしてあるので、私はその床屋の土間に立って、鏡の前に座を占めるまで、亭主の顔をまるで知らずにいた。
 亭主は私の入ってくるのを見ると、手に持った新聞紙を(ほう)()してすぐ挨拶(あいさつ)をした。その時私はどうもどこかで会った事のある男に違ないという気がしてならなかった。それで彼が私の(うしろ)へ廻って、(はさみ)をちょきちょき鳴らし出した頃を見計らって、こっちから話を持ちかけて見た。すると私の推察通り、彼は(むか)し寺町の郵便局の(そば)に店を持って、今と同じように、散髪を渡世(とせい)としていた事が解った。
「高田の旦那(だんな)などにもだいぶ御世話になりました」
 その高田というのは私の従兄(いとこ)なのだから、私も驚いた。
「へえ高田を知ってるのかい」
「知ってるどころじゃございません。始終(しじゅう)(とく)(とく)、って贔屓(ひいき)にして下すったもんです」
 彼の言葉(づか)いはこういう職人にしてはむしろ丁寧(ていねい)な方であった。
「高田も死んだよ」と私がいうと、彼は吃驚(びっくり)した調子で「へッ」と声を()げた。
「いい旦那でしたがね、惜しい事に。いつ(ごろ)御亡(おな)くなりになりました」
「なに、つい此間(こないだ)さ。今日で二週間になるか、ならないぐらいのものだろう」
 彼はそれからこの死んだ従兄(いとこ)について、いろいろ覚えている事を私に語った末、「考えると早いもんですね旦那、つい昨日(きのう)の事としっきゃ思われないのに、もう三十年近くにもなるんですから」と云った。
「あのそら求友亭(きゅうゆうてい)の横町にいらしってね、……」と亭主はまた言葉を()ぎ足した。
「うん、あの二階のある(うち)だろう」
「ええ御二階がありましたっけ。あすこへ御移りになった時なんか、方々様(ほうぼうさま)から御祝い物なんかあって、大変御盛(ごさかん)でしたがね。それから(あと)でしたっけか、行願寺(ぎょうがんじ)寺内(じない)へ御引越なすったのは」
 この質問は私にも答えられなかった。実はあまり古い事なので、私もつい忘れてしまったのである。
「あの寺内も今じゃ大変変ったようだね。用がないので、それからつい入って見た事もないが」
「変ったの変らないのってあなた、今じゃまるで待合ばかりでさあ」
 私は肴町(さかなまち)を通るたびに、その寺内へ入る足袋屋(たびや)の角の細い小路(こうじ)の入口に、ごたごた(かか)げられた四角な軒灯の多いのを知っていた。しかしその数を勘定(かんじょう)して見るほどの道楽気も起らなかったので、つい亭主のいう事には気がつかずにいた。
「なるほどそう云えば()(そで)なんて看板が通りから見えるようだね」
「ええたくさんできましたよ。もっとも変るはずですね、考えて見ると。もうやがて三十年にもなろうと云うんですから。旦那も御承知の通り、あの時分は芸者屋ったら、寺内にたった一軒しきゃ無かったもんでさあ。東家(あずまや)ってね。ちょうどそら高田の旦那の真向(まんむこう)でしたろう、東家の御神灯(ごじんとう)のぶら下がっていたのは」

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