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硝子戸の中(5)

时间: 2021-01-21    进入日语论坛
核心提示:五 翌朝(あくるあさ)書斎の縁に立って、初秋(はつあき)の庭の面(おもて)を見渡した時、私は偶然また彼の白い姿を苔(こけ)の上に
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 翌朝(あくるあさ)書斎の縁に立って、初秋(はつあき)の庭の(おもて)を見渡した時、私は偶然また彼の白い姿を(こけ)の上に認めた。私は昨夕(ゆうべ)の失望を()(かえ)すのが(いや)さに、わざと彼の名を呼ばなかった。けれども立ったなりじっと彼の様子を見守らずにはいられなかった。彼は立木(たちき)根方(ねがた)()えつけた石の手水鉢(ちょうずばち)の中に首を突き込んで、そこに(たま)っている雨水(あまみず)をぴちゃぴちゃ飲んでいた。
 この手水鉢はいつ誰が持って来たとも知れず、裏庭の(すみ)(ころ)がっていたのを、引越した当時植木屋に命じて今の位置に移させた六角形(ろっかくがた)のもので、その頃は(こけ)が一面に()えて、側面に刻みつけた文字(もんじ)も全く読めないようになっていた。しかし私には移す前一度判然(はっきり)とそれを読んだ記憶があった。そうしてその記憶が文字として頭に残らないで、変な感情としていまだに胸の中を往来していた。そこには寺と仏と無常の(におい)(ただよ)っていた。
 ヘクトーは元気なさそうに尻尾(しっぽ)を垂れて、私の方へ背中を向けていた。手水鉢を離れた時、私は彼の口から流れる垂涎(よだれ)を見た。
「どうかしてやらないといけない。病気だから」と云って、私は看護婦を(かえり)みた。私はその時まだ看護婦を使っていたのである。
 私は次の日も木賊(とくさ)の中に寝ている彼を一目見た。そうして同じ言葉を看護婦に繰り返した。しかしヘクトーはそれ以来姿を隠したぎり再び(うち)へ帰って来なかった。
「医者へ連れて行こうと思って、探したけれどもどこにもおりません」
 (うち)のものはこう云って私の顔を見た。私は黙っていた。しかし腹の中では彼を貰い受けた当時の事さえ思い起された。届書(とどけしょ)を出す時、種類という下へ混血児(あいのこ)と書いたり、色という字の下へ赤斑(あかまだら)と書いた滑稽(こっけい)(かす)かに胸に浮んだ。
 彼がいなくなって約一週間も()ったと思う頃、一二丁(へだた)ったある人の家から下女が使に来た。その人の庭にある池の中に犬の死骸(しがい)が浮いているから引き上げて頸輪(くびわ)を改ためて見ると、私の家の名前が()りつけてあったので、知らせに来たというのである。下女は「こちらで()めておきましょうか」と尋ねた。私はすぐ車夫(くるまや)をやって彼を引き取らせた。
 私は下女をわざわざ寄こしてくれた(うち)がどこにあるか知らなかった。ただ私の小供の時分から覚えている古い寺の(そば)だろうとばかり考えていた。それは山鹿素行(やまがそこう)の墓のある寺で、山門の手前に、旧幕時代の記念のように、古い(えのき)が一本立っているのが、私の書斎の北の縁から数多(あまた)の屋根を越してよく見えた。
 車夫は(むしろ)の中にヘクトーの死骸を(くる)んで帰って来た。私はわざとそれに近づかなかった。白木(しらき)の小さい墓標を買って()さして、それへ「秋風の聞えぬ土に()めてやりぬ」という一句を書いた。私はそれを(うち)のものに渡して、ヘクトーの眠っている土の上に建てさせた。彼の墓は猫の墓から東北(ひがしきた)に当って、ほぼ一間ばかり離れているが、私の書斎の、寒い日の照らない北側の縁に出て、硝子戸(ガラスど)のうちから、(しも)に荒された裏庭を(のぞ)くと、二つともよく見える。もう薄黒く()ちかけた猫のに比べると、ヘクトーのはまだ生々(なまなま)しく光っている。しかし間もなく二つとも同じ色に古びて、同じく人の眼につかなくなるだろう。

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