六
私はその女に前後四五回会った。
始めて訪ねられた時私は留守であった。取次のものが紹介状を持って来るように注意したら、彼女は別にそんなものを貰う所がないといって帰って行ったそうである。
それから一日ほど経って、女は手紙で直接に私の都合を聞き合せに来た。その手紙の封筒から、私は女がつい眼と鼻の間に住んでいる事を知った。私はすぐ返事を書いて面会日を指定してやった。
女は約束の時間を違えず来た。三つ柏の紋のついた派出な色の縮緬の羽織を着ているのが、一番先に私の眼に映った。女は私の書いたものをたいてい読んでいるらしかった。それで話は多くそちらの方面へばかり延びて行った。しかし自分の著作について初見の人から賛辞ばかり受けているのは、ありがたいようではなはだこそばゆいものである。実をいうと私は辟易した。
一週間おいて女は再び来た。そうして私の作物をまた賞めてくれた。けれども私の心はむしろそういう話題を避けたがっていた。三度目に来た時、女は何かに感激したものと見えて、袂から手帛を出して、しきりに涙を拭った。そうして私に自分のこれまで経過して来た悲しい歴史を書いてくれないかと頼んだ。しかしその話を聴かない私には何という返事も与えられなかった。私は女に向って、よし書くにしたところで迷惑を感ずる人が出て来はしないかと訊いて見た。女は存外判然した口調で、実名さえ出さなければ構わないと答えた。それで私はとにかく彼女の経歴を聴くために、とくに時間を拵えた。
するとその日になって、女は私に会いたいという別の女の人を連れて来て、例の話はこの次に延ばして貰いたいと云った。私には固より彼女の違約を責める気はなかった。二人を相手に世間話をして別れた。
彼女が最後に私の書斎に坐ったのはその次の日の晩であった。彼女は自分の前に置かれた桐の手焙の灰を、真鍮の火箸で突ッつきながら、悲しい身の上話を始める前、黙っている私にこう云った。
「この間は昂奮して私の事を書いていただきたいように申し上げましたが、それは止めに致します。ただ先生に聞いていただくだけにしておきますから、どうかそのおつもりで……」
私はそれに対してこう答えた。
「あなたの許諾を得ない以上は、たといどんなに書きたい事柄が出て来てもけっして書く気遣はありませんから御安心なさい」
私が充分な保証を女に与えたので、女はそれではと云って、彼女の七八年前からの経歴を話し始めた。私は黙然として女の顔を見守っていた。しかし女は多く眼を伏せて火鉢の中ばかり眺めていた。そうして綺麗な指で、真鍮の火箸を握っては、灰の中へ突き刺した。
時々腑に落ちないところが出てくると、私は女に向って短かい質問をかけた。女は単簡にまた私の納得できるように答をした。しかしたいていは自分一人で口を利いていたので、私はむしろ木像のようにじっとしているだけであった。
やがて女の頬は熱って赤くなった。白粉をつけていないせいか、その熱った頬の色が著るしく私の眼に着いた。俯向になっているので、たくさんある黒い髪の毛も自然私の注意を惹く種になった。