十
向い合って座を占めたOと私とは、何より先に互の顔を見返して、そこにまだ昔しのままの面影が、懐かしい夢の記念のように残っているのを認めた。しかしそれはあたかも古い心が新しい気分の中にぼんやり織り込まれていると同じ事で、薄暗く一面に霞んでいた。恐ろしい「時」の威力に抵抗して、再びもとの姿に返る事は、二人にとってもう不可能であった。二人は別れてから今会うまでの間に挟まっている過去という不思議なものを顧みない訳に行かなかった。
Oは昔し林檎のように赤い頬と、人一倍大きな丸い眼と、それから女に適したほどふっくりした輪廓に包まれた顔をもっていた。今見てもやはり赤い頬と丸い眼と、同じく骨張らない輪廓の持主ではあるが、それが昔しとはどこか違っている。
私は彼に私の口髭と揉み上げを見せた。彼はまた私のために自分の頭を撫でて見せた。私のは白くなって、彼のは薄く禿げかかっているのである。
「人間も樺太まで行けば、もう行く先はなかろうな」と私が調戯うと、彼は「まあそんなものだ」と答えて、私のまだ見た事のない樺太の話をいろいろして聞かせた。しかし私は今それをみんな忘れてしまった。夏は大変好い所だという事を覚えているだけである。
私は幾年ぶりかで、彼といっしょに表へ出た。彼はフロックの上へ、とんびのような外套をぶわぶわに着ていた。そうして電車の中で釣革にぶら下りながら、隠袋から手帛に包んだものを出して私に見せた。私は「なんだ」と訊いた。彼は「栗饅頭だ」と答えた。栗饅頭は先刻彼が私の宅にいた時に出した菓子であった。彼がいつの間に、それを手帛に包んだろうかと考えた時、私はちょっと驚かされた。
「あの栗饅頭を取って来たのか」
「そうかも知れない」
彼は私の驚いた様子を馬鹿にするような調子でこう云ったなり、その手帛の包をまた隠袋に収めてしまった。
我々はその晩帝劇へ行った。私の手に入れた二枚の切符に北側から入れという注意が書いてあったのを、つい間違えて、南側へ廻ろうとした時、彼は「そっちじゃないよ」と私に注意した。私はちょっと立ち留まって考えた上、「なるほど方角は樺太の方が確なようだ」と云いながら、また指定された入口の方へ引き返した。
彼は始めから帝劇を知っていると云っていた。しかし晩餐を済ました後で、自分の席へ帰ろうとするとき、誰でもやる通り、二階と一階の扉を間違えて、私から笑われた。
折々隠袋から金縁の眼鏡を出して、手に持った摺物を読んで見る彼は、その眼鏡を除さずに遠い舞台を平気で眺めていた。
「それは老眼鏡じゃないか。よくそれで遠い所が見えるね」
「なにチャブドーだ」
私にはこのチャブドーという意味が全く解らなかった。彼はそれを大差なしという支那語だと云って説明してくれた。
その夜の帰りに電車の中で私と別れたぎり、彼はまた遠い寒い日本の領地の北の端れに行ってしまった。
私は彼を想い出すたびに、達人という彼の名を考える。するとその名がとくに彼のために天から与えられたような心持になる。そうしてその達人が雪と氷に鎖ざされた北の果に、まだ中学校長をしているのだなと思う。