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硝子戸の中(12)

时间: 2021-01-21    进入日语论坛
核心提示:十二 私に短冊(たんざく)を書けの、詩を書けのと云って来る人がある。そうしてその短冊やら絖(ぬめ)やらをまだ承諾もしないうち
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十二


 私に短冊(たんざく)を書けの、詩を書けのと云って来る人がある。そうしてその短冊やら(ぬめ)やらをまだ承諾もしないうちに送って来る。最初のうちはせっかくの希望を無にするのも気の毒だという考から、(まず)い字とは思いながら、先方の云うなりになって書いていた。けれどもこうした好意は永続しにくいものと見えて、だんだん多くの人の依頼を無にするような傾向が強くなって来た。
 私はすべての人間を、毎日毎日恥を()くために生れてきたものだとさえ考える事もあるのだから、変な字を(ひと)に送ってやるくらいの所作(しょさ)は、あえてしようと思えば、やれないとも限らないのである。しかし自分が病気のとき、仕事の忙がしい時、またはそんな真似(まね)のしたくない時に、そういう注文が引き続いて起ってくると、実際弱らせられる。彼らの多くは全く私の知らない人で、そうして自分達の送った短冊を再び送り返すこちらの手数(てすう)さえ、まるで眼中に置いていないように見えるのだから。
 そのうちで一番私を不愉快にしたのは播州(ばんしゅう)坂越(さごし)にいる岩崎という人であった。この人は数年前よく端書(はがき)で私に俳句を書いてくれと頼んで来たから、その都度(つど)向うのいう通り書いて送った記憶のある男である。その(のち)の事であるが、彼はまた四角な薄い小包を私に送った。私はそれを開けるのさえ面倒だったから、ついそのままにして書斎へ(ほう)()しておいたら、下女が掃除(そうじ)をする時、つい書物と書物の間へ(はさ)み込んで、まず(てい)よくしまい()くした姿にしてしまった。
 この小包と前後して、名古屋から茶の缶が私宛(わたくしあて)で届いた。しかし誰が何のために送ったものかその意味は全く解らなかった。私は遠慮なくその茶を飲んでしまった。するとほどなく坂越の男から、富士登山の()を返してくれと云ってきた。彼からそんなものを貰った(おぼえ)のない私は、()ちやっておいた。しかし彼は富士登山の画を返せ返せと三度も四度も催促してやまない。私はついにこの男の精神状態を疑い出した。「大方(おおかた)気違だろう。」私は心の中でこうきめたなり向うの催促にはいっさい取り合わない事にした。
 それから二三カ月()った。たしか夏の初の頃と記憶しているが、私はあまり乱雑に取り散らされた書斎の中に(すわ)っているのがうっとうしくなったので、一人でぽつぽつそこいらを片づけ始めた。その時書物の整理をするため、好い加減に積み重ねてある字引や参考書を、一冊ずつ改めて行くと、思いがけなく坂越の男が寄こした例の小包が出て来た。私は今まで忘れていたものを、()のあたり見て驚ろいた。さっそく封を()いて中を(しら)べたら、小さく畳んだ画が一枚入っていた。それが富士登山の図だったので、私はまた吃驚(びっくり)した。
 包のなかにはこの画のほかに手紙が一通添えてあって、それに画の賛をしてくれという依頼と、御礼に茶を送るという文句が書いてあった。私はいよいよ驚ろいた。
 しかしその時の私はとうてい富士登山の図などに賛をする勇気をもっていなかった。私の気分が、そんな事とは(はる)()け離れた所にあったので、その画に調和するような俳句を考えている暇がなかったのである。けれども私は恐縮した。私は丁寧(ていねい)な手紙を書いて、自分の怠慢を謝した。それから茶の御礼を云った。最後に富士登山の図を小包にして返した。

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