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草枕 二 (1)

时间: 2021-02-07    进入日语论坛
核心提示:「おい」と声を掛けたが返事がない。 軒下(のきした)から奥を覗(のぞ)くと煤(すす)けた障子(しょうじ)が立て切ってある。向う側
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「おい」と声を掛けたが返事がない。
 軒下(のきした)から奥を(のぞ)くと(すす)けた障子(しょうじ)が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋(わらじ)(さび)しそうに(ひさし)から(つる)されて、屈托気(くったくげ)にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子(だがし)の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭(ぶんきゅうせん)が散らばっている。
「おい」とまた声をかける。土間の(すみ)に片寄せてある(うす)の上に、ふくれていた(にわとり)が、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈(どべっつい)が、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜(ちゃがま)がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は()きつけてある。
 返事がないから、無断でずっと這入(はい)って、床几(しょうぎ)の上へ腰を(おろ)した。(にわとり)羽摶(はばた)きをして(うす)から飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子(しょうじ)がしめてなければ奥まで()けぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐か(いぬ)のように考えているらしい。床几の上には一升枡(いっしょうます)ほどな煙草盆(たばこぼん)が閑静に控えて、中にはとぐろを()いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長(ゆうちょう)(いぶ)っている。雨はしだいに収まる。
 しばらくすると、奥の方から足音がして、(すす)けた障子がさらりと()く。なかから一人の婆さんが出る。
 どうせ誰か出るだろうとは思っていた。(へつい)に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気(のんき)に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世(みせ)()け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
 二三年前宝生(ほうしょう)の舞台で高砂(たかさご)を見た事がある。その時これはうつくしい活人画(かつじんが)だと思った。(ほうき)(かつ)いだ爺さんが橋懸(はしがか)りを五六歩来て、そろりと後向(うしろむき)になって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど()むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」
「はい、これは、いっこう存じませんで」
「だいぶ降ったね」
「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお()れなさった。今火を()いて(かわ)かして上げましょ」
「そこをもう少し()しつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
と立ち上がりながら、しっしっと二声(ふたこえ)(にわとり)を追い()げる。ここここと()け出した夫婦は、焦茶色(こげちゃいろ)の畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ(ふん)()れた。

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