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硝子戸の中(22)

时间: 2021-01-30    进入日语论坛
核心提示:二十二 この二三年来私はたいてい年に一度くらいの割で病気をする。そうして床(とこ)についてから床を上げるまでに、ほぼ一月(
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二十二


 この二三年来私はたいてい年に一度くらいの割で病気をする。そうして(とこ)についてから床を上げるまでに、ほぼ一月(ひとつき)日数(ひかず)(つぶ)してしまう。
 私の病気と云えば、いつもきまった胃の故障なので、いざとなると、絶食療法よりほかに手の着けようがなくなる。医者の命令ばかりか、病気の性質そのものが、私にこの絶食を余儀なくさせるのである。だから病み始めより回復期に向った時の方が、余計()せこけてふらふらする。一カ月以上かかるのもおもにこの衰弱が(たた)るからのように思われる。
 私の立居(たちい)が自由になると、黒枠(くろわく)のついた摺物(すりもの)が、時々私の机の上に載せられる。私は運命を苦笑する人のごとく、絹帽(シルクハット)などを(かぶ)って、葬式の供に立つ、(くるま)()って斎場(さいじょう)()けつける。死んだ人のうちには、御爺さんも御婆さんもあるが、時には私よりも年歯(とし)が若くって、平生からその健康を誇っていた人も(まじ)っている。
 私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。
 私としてこういう黙想に(ふけ)るのはむしろ当然だといわなければならない。けれども自分の位地(いち)や、身体(からだ)や、才能や――すべて(おの)れというもののおり所を忘れがちな人間の一人(いちにん)として、私は死なないのが当り前だと思いながら暮らしている場合が多い。読経(どきょう)の間ですら、焼香の際ですら、死んだ仏のあとに生き残った、この私という形骸(けいがい)を、ちっとも不思議と心得ずに澄ましている事が常である。
 或人が私に告げて、「(ひと)の死ぬのは当り前のように見えますが、自分が死ぬという事だけはとても考えられません」と云った事がある。戦争に出た経験のある男に、「そんなに隊のものが続々(たお)れるのを見ていながら、自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いたら、その人は「いられますね。おおかた死ぬまでは死なないと思ってるんでしょう」と答えた。それから大学の理科に関係のある人に、飛行機の話を()かされた時に、こんな問答をした覚えもある。
「ああして始終(しじゅう)落ちたり死んだりしたら、後から乗るものは(こわ)いだろうね。今度はおれの番だという気になりそうなものだが、そうでないかしら」
「ところがそうでないと見えます」
「なぜ」
「なぜって、まるで反対の心理状態に支配されるようになるらしいのです。やッぱりあいつは墜落して死んだが、おれは大丈夫だという気になると見えますね」
 私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。それもそのはずである。死ぬまでは誰しも生きているのだから。
 不思議な事に私の寝ている間には、黒枠(くろわく)の通知がほとんど来ない。去年の秋にも病気が(なお)った(あと)で、三四人の葬儀に列したのである。その三四人の中に社の佐藤君も這入(はい)っていた。私は佐藤君がある宴会の席で、社から貰った銀盃(ぎんぱい)を持って来て、私に酒を(すす)めてくれた事を思い出した。その時彼の踊った変な踊もまだ覚えている。この元気な崛強(くっきょう)な人の葬式(とむらい)に行った私は、彼が死んで私が生残っているのを、別段の不思議とも思わずにいる時の方が多い。しかし折々考えると、自分の生きている方が不自然のような心持にもなる。そうして運命がわざと私を愚弄(ぐろう)するのではないかしらと疑いたくなる。

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