二十二
この二三年来私はたいてい年に一度くらいの割で病気をする。そうして床についてから床を上げるまでに、ほぼ一月の日数を潰してしまう。
私の病気と云えば、いつもきまった胃の故障なので、いざとなると、絶食療法よりほかに手の着けようがなくなる。医者の命令ばかりか、病気の性質そのものが、私にこの絶食を余儀なくさせるのである。だから病み始めより回復期に向った時の方が、余計痩せこけてふらふらする。一カ月以上かかるのもおもにこの衰弱が祟るからのように思われる。
私の立居が自由になると、黒枠のついた摺物が、時々私の机の上に載せられる。私は運命を苦笑する人のごとく、絹帽などを被って、葬式の供に立つ、俥を駆って斎場へ駈けつける。死んだ人のうちには、御爺さんも御婆さんもあるが、時には私よりも年歯が若くって、平生からその健康を誇っていた人も交っている。
私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。
私としてこういう黙想に耽るのはむしろ当然だといわなければならない。けれども自分の位地や、身体や、才能や――すべて己れというもののおり所を忘れがちな人間の一人として、私は死なないのが当り前だと思いながら暮らしている場合が多い。読経の間ですら、焼香の際ですら、死んだ仏のあとに生き残った、この私という形骸を、ちっとも不思議と心得ずに澄ましている事が常である。
或人が私に告げて、「他の死ぬのは当り前のように見えますが、自分が死ぬという事だけはとても考えられません」と云った事がある。戦争に出た経験のある男に、「そんなに隊のものが続々斃れるのを見ていながら、自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いたら、その人は「いられますね。おおかた死ぬまでは死なないと思ってるんでしょう」と答えた。それから大学の理科に関係のある人に、飛行機の話を聴かされた時に、こんな問答をした覚えもある。
「ああして始終落ちたり死んだりしたら、後から乗るものは怖いだろうね。今度はおれの番だという気になりそうなものだが、そうでないかしら」
「ところがそうでないと見えます」
「なぜ」
「なぜって、まるで反対の心理状態に支配されるようになるらしいのです。やッぱりあいつは墜落して死んだが、おれは大丈夫だという気になると見えますね」
私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。それもそのはずである。死ぬまでは誰しも生きているのだから。
不思議な事に私の寝ている間には、黒枠の通知がほとんど来ない。去年の秋にも病気が癒った後で、三四人の葬儀に列したのである。その三四人の中に社の佐藤君も這入っていた。私は佐藤君がある宴会の席で、社から貰った銀盃を持って来て、私に酒を勧めてくれた事を思い出した。その時彼の踊った変な踊もまだ覚えている。この元気な崛強な人の葬式に行った私は、彼が死んで私が生残っているのを、別段の不思議とも思わずにいる時の方が多い。しかし折々考えると、自分の生きている方が不自然のような心持にもなる。そうして運命がわざと私を愚弄するのではないかしらと疑いたくなる。