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硝子戸の中(25)

时间: 2021-01-30    进入日语论坛
核心提示:二十五 私がまだ千駄木にいた頃の話だから、年数にすると、もうだいぶ古い事になる。 或日私は切通(きりどお)しの方へ散歩した
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二十五


 私がまだ千駄木にいた頃の話だから、年数にすると、もうだいぶ古い事になる。
 或日私は切通(きりどお)しの方へ散歩した帰りに、本郷四丁目の角へ出る代りに、もう一つ手前の細い通りを北へ曲った。その曲り角にはその頃あった牛屋(ぎゅうや)(そば)に、寄席(よせ)の看板がいつでも(かか)っていた。
 雨の降る日だったので、私は無論(かさ)をさしていた。それが鉄御納戸(てつおなんど)八間(はちけん)の深張で、上から()ってくる(しずく)が、自然木(じねんぼく)()を伝わって、私の手を()らし始めた。人通りの少ないこの小路(こうじ)は、すべての泥を雨で洗い流したように、足駄(あしだ)の歯に()(かか)(きた)ないものはほとんどなかった。それでも上を見れば暗く、下を見れば()びしかった。始終(しじゅう)通りつけているせいでもあろうが、私の周囲には何一つ私の眼を()くものは見えなかった。そうして私の心はよくこの天気とこの周囲に似ていた。私には私の心を腐蝕(ふしょく)するような不愉快な(かたまり)が常にあった。私は陰欝(いんうつ)な顔をしながら、ぼんやり雨の降る中を歩いていた。
 日蔭町(ひかげちょう)寄席(よせ)の前まで来た私は、突然一台の幌俥(ほろぐるま)に出合った。私と俥の間には何の(へだた)りもなかったので、私は遠くからその中に乗っている人の女だという事に気がついた。まだセルロイドの窓などのできない時分だから、車上の人は遠くからその白い顔を私に見せていたのである。
 私の眼にはその白い顔が大変美しく映った。私は雨の中を歩きながらじっとその人の姿に見惚(みと)れていた。同時にこれは芸者だろうという推察が、ほとんど事実のように、私の心に働らきかけた。すると俥が私の一間ばかり前へ来た時、突然私の見ていた美しい人が、鄭寧(ていねい)会釈(えしゃく)を私にして通り過ぎた。私は微笑に伴なうその挨拶(あいさつ)とともに、相手が、大塚楠緒(おおつかくすお)さんであった事に、始めて気がついた。
 次に会ったのはそれから幾日目(いくかめ)だったろうか、楠緒(くすお)さんが私に、「この間は失礼しました」と云ったので、私は私のありのままを話す気になった。
「実はどこの美くしい(かた)かと思って見ていました。芸者じゃないかしらとも考えたのです」
 その時楠緒さんが何と答えたか、私はたしかに覚えていないけれども、楠緒さんはちっとも顔を(あか)らめなかった。それから不愉快な表情も見せなかった。私の言葉をただそのままに受け取ったらしく思われた。
 それからずっと()って、ある日楠緒さんがわざわざ早稲田へ(たず)ねて来てくれた事がある。しかるにあいにく私は(さい)喧嘩(けんか)をしていた。私は(いや)な顔をしたまま、書斎にじっと坐っていた。楠緒さんは妻と十分ばかり話をして帰って行った。
 その日はそれですんだが、ほどなく私は西片町へ(あや)まりに出かけた。
「実は喧嘩をしていたのです。妻も定めて無愛想でしたろう。私はまた苦々(にがにが)しい顔を見せるのも失礼だと思って、わざと引込(ひっこ)んでいたのです」
 これに対する楠緒さんの挨拶(あいさつ)も、今では遠い過去になって、もう呼び出す事のできないほど、記憶の底に沈んでしまった。
 楠緒さんが死んだという報知の来たのは、たしか私が胃腸病院にいる頃であった。死去の広告中に、私の名前を使って差支(さしつかえ)ないかと電話で問い合された事などもまだ覚えている。私は病院で「ある程の菊投げ入れよ(かん)の中」という手向(たむけ)の句を楠緒さんのために()んだ。それを俳句の好きなある男が(うれ)しがって、わざわざ私に頼んで、短冊に書かせて持って行ったのも、もう昔になってしまった。

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