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硝子戸の中(34)

时间: 2021-01-30    进入日语论坛
核心提示:三十四 私が大学にいる頃教えたある文学士が来て、「先生はこの間高等工業で講演をなすったそうですね」というから、「ああやっ
(单词翻译:双击或拖选)

三十四


 私が大学にいる頃教えたある文学士が来て、「先生はこの間高等工業で講演をなすったそうですね」というから、「ああやった」と答えると、その男が「何でも解らなかったようですよ」と教えてくれた。
 それまで自分の云った事について、その方面の掛念(けねん)をまるでもっていなかった私は、彼の言葉を聞くとひとしく、意外の感に打たれた。
「君はどうしてそんな事を知ってるの」
 この疑問に対する彼の説明は簡単であった。親戚だか知人だか知らないが、何しろ彼に関係のある或(うち)の青年が、その学校に通っていて、当日私の講演を聴いた結果を、何だか解らないという言葉で彼に告げたのである。
「いったいどんな事を講演なすったのですか」
 私は席上で、彼のためにまたその講演の(こうがい)()(かえ)した。
「別にむずかしいとも思えない事だろう君。どうしてそれが解らないかしら」
「解らないでしょう。どうせ解りゃしません」
 私には断乎(だんこ)たるこの返事がいかにも不思議に聞こえた。しかしそれよりもなお強く私の胸を打ったのは、()せばよかったという後悔の念であった。自白すると、私はこの学校から何度となく講演を依頼されて、何度となく断ったのである。だからそれを最後に引き受けた時の私の腹には、どうかしてそこに集まる聴衆に、相当の利益を与えたいという希望があった。その希望が、「どうせ解りゃしません」という簡単な彼の一言(いちごん)で、みごとに粉砕(ふんさい)されてしまって見ると、私はわざわざ浅草まで行く必要がなかったのだと、自分を考えない訳に行かなかった。
 これはもう一二年前の古い話であるが去年の秋またある学校で、どうしても講演をやらなければ義理が悪い事になって、ついにそこへ行った時、私はふと私を後悔させた前年を思い出した。それに私の論じたその時の題目が、若い聴衆の誤解を招きやすい内容を含んでいたので、私は演壇を下りる間際(まぎわ)にこう云った。――
「多分誤解はないつもりですが、もし私の今御話したうちに、判然(はっきり)しないところがあるなら、どうぞ私宅まで来て下さい。できるだけあなたがたに御納得(ごなっとく)の行くように説明して上げるつもりですから」
 私のこの言葉が、どんな風に反響をもたらすだろうかという予期は、当時の私にはほとんど無かったように思う。しかしそれから四五日()って、三人の青年が私の書斎に這入(はい)って来たのは事実である。そのうちの二人は電話で私の都合を聞き合せた。一人は鄭寧(ていねい)な手紙を書いて、面会の時間を(こしら)えてくれと注文して来た。
 私は(こころ)よくそれらの青年に接した。そうして彼らの来意を(たし)かめた。一人の方は私の予想通り、私の講演についての筋道の質問であったが、残る二人の方は、案外にも彼らの友人がその家庭に対して()るべき方針についての疑義を私に()こうとした。したがってこれは私の講演を、どう実社会に応用して好いかという彼らの目前に(せま)った問題を持って来たのである。
 私はこれら三人のために、私の云うべき事を云い、説明すべき事を説明したつもりである。それが彼らにどれほどの利益を与えたか、結果からいうとこの私にも分らない。しかしそれだけにしたところで私には満足なのである。「あなたの講演は解らなかったそうです」と云われた時よりも(はるか)に満足なのである。

〔この稿が新聞に出た二三日あとで、私は高等工業の学生から四五通の手紙を受取った。その人々はみんな私の講演を聴いたものばかりで、いずれも私がここで述べた失望を打ち消すような事実を、反証として書いて来てくれたのである。だからその手紙はみな好意に()ちていた。なぜ一学生の云った事を、聴衆全体の意見として速断するかなどという詰問的のものは一つもなかった。それで私はここに一言を附加して、私の不明を謝し、(あわ)せて私の誤解を正してくれた人々の親切をありがたく思う(むね)を公けにするのである。〕

 

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