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硝子戸の中(35)

时间: 2021-01-30    进入日语论坛
核心提示:三十五 私は小供の時分よく日本橋の瀬戸物町(せとものちょう)にある伊勢本(いせもと)という寄席(よせ)へ講釈を聴きに行った。今
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三十五


 私は小供の時分よく日本橋の瀬戸物町(せとものちょう)にある伊勢本(いせもと)という寄席(よせ)へ講釈を聴きに行った。今の三越の向側(むこうがわ)にいつでも昼席の看板がかかっていて、その(かど)を曲ると、寄席はつい小半町行くか行かない右手にあったのである。
 この席は夜になると、色物(いろもの)だけしかかけないので、私は昼よりほかに足を踏み込んだ事がなかったけれども、席数からいうと一番多く(かよ)った所のように思われる。当時私のいた家は無論高田の馬場の下ではなかった。しかしいくら地理の便が好かったからと云って、どうしてあんなに講釈を聴きに行く時間が私にあったものか、今考えるとむしろ不思議なくらいである。
 これも今からふり返って遠い過去を眺めるせいでもあろうが、そこは寄席としてはむしろ上品な気分を客に起させるようにできていた。高座(こうざ)右側(みぎわき)には帳場格子(ちょうばごうし)のような仕切(しきり)を二方に立て廻して、その中に定連(じょうれん)の席が設けてあった。それから高座の(うしろ)縁側(えんがわ)で、その先がまた庭になっていた。庭には梅の古木が(なな)めに井桁(いげた)の上に突き出たりして、窮屈な感じのしないほどの大空が、縁から仰がれるくらいに余分の地面を取り込んでいた。その庭を東に受けて離れ座敷のような建物も見えた。
 帳場格子のうちにいる連中は、時間が余って使い切れない有福な人達なのだから、みんな相応な服装(なり)をして、時々呑気(のんき)そうに(たもと)から毛抜(けぬき)などを出して根気よく鼻毛を抜いていた。そんな長閑(のどか)な日には、庭の梅の()(うぐいす)が来て()くような気持もした。
 中入(なかいり)になると、菓子を箱入のまま茶を売る男が客の間へ配って歩くのがこの席の習慣になっていた。箱は浅い長方形のもので、まず誰でも欲しいと思う人の手の届く所に一つと云った風に都合よく置かれるのである。菓子の数は一箱に十ぐらいの割だったかと思うが、それを食べたいだけ食べて、後からその代価を箱の中に入れるのが無言の規約になっていた。私はその頃この習慣を珍らしいもののように興がって眺めていたが、今となって見ると、こうした鷹揚(おうよう)呑気(のんき)な気分は、どこの人寄場(ひとよせば)へ行っても、もう味わう事ができまいと思うと、それがまた何となく(なつか)しい。
 私はそんなおっとりと物寂(ものさ)びた空気の中で、古めかしい講釈というものをいろいろの人から聴いたのである。その中には、すととこ、のんのん、ずいずい、などという妙な言葉を使う男もいた。これは田辺南竜(たなべなんりゅう)と云って、もとはどこかの下足番であったとかいう話である。そのすととこ、のんのん、ずいずいははなはだ有名なものであったが、その意味を理解するものは一人もなかった。彼はただそれを軍勢の押し寄せる形容詞として用いていたらしいのである。
 この南竜はとっくの昔に死んでしまった。そのほかのものもたいていは死んでしまった。その()の様子をまるで知らない私には、その時分私を喜こばせてくれた人のうちで生きているものがはたして何人あるのだか全く分らなかった。
 ところがいつか美音会の忘年会のあった時、その番組を見たら、吉原の幇間(たいこもち)の茶番だの何だのが(なら)べて書いてあるうちに、私はたった一人の当時の旧友を見出した。私は新富座へ行って、その人を見た。またその声を聞いた。そうして彼の顔も咽喉(のど)も昔とちっとも変っていないのに驚ろいた。彼の講釈も全く昔の通りであった。進歩もしない代りに、退歩もしていなかった。廿世紀のこの急劇な変化を、自分と自分の周囲に恐ろしく意識しつつあった私は、彼の前に坐りながら、絶えず彼と私とを、心のうちで比較して一種の黙想に(ふけ)っていた。
 彼というのは馬琴(ばきん)の事で、昔伊勢本(いせもと)で南竜の中入前をつとめていた頃には、琴凌(きんりょう)と呼ばれた若手だったのである。

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