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教育と文芸(3)

时间: 2021-01-30    进入日语论坛
核心提示: さて一方文学を攷察(こうさつ)して見まするにこれを大別(たいべつ)してローマンチシズム、ナチュラリズムの二種類とすることが
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 さて一方文学を攷察(こうさつ)して見まするにこれを大別(たいべつ)してローマンチシズム、ナチュラリズムの二種類とすることが出来る、前者は適当の訳字がないために私が作って浪漫主義として置きましたが、後者のナチュラリズムは自然派と称しております。この両者を前に申述べた教育と対照いたしますと、ローマンチシズムと、昔の徳育即ち概念に囚れたる教育と、特徴を(おなじゅ)うし、ナチュラリズムと現今の事実を主とする教育と、相(かよ)うのであります。以前文芸は道徳を超絶(ちょうぜつ)するという議論があり、またこれを論じた大家もあったのでありますけれども、これは(おおい)なる間違で、なるほど道徳と文芸は接触しない点もあるけれども、大部分は相連(あいつらな)っている。ただ僅かに倫理と芸術と両立せないで、どちらかを捨てねばならぬ場合がないではありません。例えば私がこの机を推している、何時(いつ)しかこの机と共に落ちたとします。この落ちたという事実に対して、諸君は必ず笑われるに違いない。しかし倫理的に申したならば、人が落ちたというに笑うはずがない、気の毒だという同情があって(しか)るべきである、殊に私のような招かれて来た者に対する礼儀としても笑うのは倫理的でない事は(あきらか)である。けれども笑うという事と、気の毒だと思う事と、どちらか捨てねばならぬ場合に、滑稽趣味の上にこれを観賞するは、一種の芸術的の見方であります。けれども私が、脳振盪(のうしんとう)を起して倒れたとすれば、諸君の(わらい)は必ず倫理的の同情に変ずるに違いありますまい。こういう風に或程度まで芸術と倫理と相離るる部分はあるけれども、最後または根柢には倫理的認容がなければならぬのであります。従って小説戯曲の材料は七分まで、徳義的批判に訴えて取捨選択(しゅしゃせんたく)せられるのであります。恋を描くにローマン主義の場合では途中で、単に顔を合せたばかりで()ぐに恋情が成立ち、このために盲目になったり、跛足になったりして、煩悶懊悩(はんもんおうのう)するというようなことになる。しかしこんな事実は、実際あり得ない事である。其処(そこ)が感激派の小説で、(ある)情緒を誇大して、即ち抽象的理想を具体化したようなものを作り上げたのであります、事実からは遠いけれど感激は多いのであります。
 ローマンチックの道徳は何となしに対象物をして大きく偉く感じさせる。ナチュラリズムの道徳は、自己の欠点を暴露させる正直な可愛らしい所がある。
 ローマンチシズムの芸術は情緒的エモーショナルで人をして偉く大きく思わせるし、ナチュラリズムの芸術は理智的で、正直に実際を思わしめる。即ち文学上から見てローマンチシズムは(いつわり)を伝えるがまた人の精神に偉大とか崇高(すうこう)とかの現象を認めしめるから、人の精神を未来に結合さする。ナチュラリズムは、材料の取扱い方が正直で、また現在の事実を発揮さすることに(つと)むるから、人の精神を現在に結合さする、例えば人間を始めから不完全な物と見て人の欠点を評したるものである。ローマンチシズムは、(おのれ)以上の偉大なるものを材料として取扱うから、感激的であるけれども、その材料が読む者聞く者には全く、没交渉(ぼつこうしょう)で印象にヨソヨソしい所がある、これに引き換えてナチュラリズムは、如何に汚い下らないものでも、自分というものがその鏡に写って何だか親しくしみじみと感得(かんとく)せしめる。()く能く考えて見ると人というものは、平時においては軽微の程度におけるローマンチシズムの主張者で、或者を批評したり要求するに自己の力以上のものを以てしている。
 一体人間の心は自分以上のものを、渇仰(かつごう)する根本的の要求を持っている、今日よりは明日に一部の望みを有するのである。自分より(えら)いもの自分より高いものを望む如く、現在よりも将来に光明(こうみょう)を発見せんとするものである。以上述べた如くローマンチシズムの思想即ち一の理想主義の流れは、永久に変ることなく、深く人心(じんしん)の奥底に(なが)き生命を有しているものであります。従ってローマン主義の文学は永久に生存の権利を有しております。人心のこの響きに触れている限り、ローマン主義の思想は永久に伝わるものであります。これに反してナチュラリズムの道徳は前述の如く、寛容的精神に富んでいる。事実を事実としてありのままを描いたものが、真のナチュラリズムの文学である。自己解剖、自己批判、の傾向が段々と人心の間に広まりつつあり、精神が極めて平民的に、換言すれば平凡的になって来たのであります。人間の人間らしい所の写実をするのが自然主義の特徴で、ローマン主義の人間以上自己以上、殆んど望んで得べからざるほどの人物理想を描いたのに対して極めて通常のものをそのまま、そのままという所に重きを置いて世態(せたい)をありのままに欠点も、弱点も、表裏(ひょうり)ともに、一元にあらぬ二元以上にわたって実際を描き出すのであります。従ってカーライルの英雄崇拝的傾向の欲求が永久に存在する事は前述の通りであるが今はこれに多少の変化を()たしたという訳であります。
 さてかく自然主義の道徳文学のために、自己改良の念が浅く向上渇仰の動機が薄くなるということは必ずあるに相違ない。これは(たしか)に欠点であります。

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