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京に着ける夕(1)

时间: 2021-01-30    进入日语论坛
核心提示: 汽車は流星の疾(はや)きに、二百里の春を貫(つらぬ)いて、行くわれを七条(しちじょう)のプラットフォームの上に振り落す。余(
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 汽車は流星の(はや)きに、二百里の春を(つらぬ)いて、行くわれを七条(しちじょう)のプラットフォームの上に振り落す。()(かかと)の堅き(たた)きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉(のど)から火の()をぱっと()いて、暗い国へ(ごう)と去った。
 たださえ京は(さび)しい所である。原に真葛(まくず)、川に加茂(かも)、山に比叡(ひえ)愛宕(あたご)鞍馬(くらま)、ことごとく昔のままの原と川と山である。昔のままの原と川と山の間にある、一条、二条、三条をつくして、九条に至っても十条に至っても、皆昔のままである。数えて百条に至り、生きて千年に至るとも京は依然として淋しかろう。この淋しい京を、春寒(はるさむ)(よい)に、とく走る汽車から会釈(えしゃく)なく振り落された余は、淋しいながら、寒いながら通らねばならぬ。南から北へ――町が尽きて、家が尽きて、()が尽きる北の(はて)まで通らねばならぬ。
「遠いよ」と主人が(うしろ)から云う。「遠いぜ」と居士(こじ)が前から云う。余は中の車に乗って(ふる)えている。東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思わなかった。昨日(きのう)までは()()身体(からだ)から火花が出て、むくむくと血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて総身(そうみ)煮浸(にじ)み出はせぬかと感じた。東京はさほどに(はげ)しい所である。この刺激の強い都を去って、突然と太古(たいこ)の京へ飛び下りた余は、あたかも三伏(さんぷく)の日に照りつけられた焼石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んだようなものだ。余はしゅっと云う音と共に、倏忽(しゅっこつ)とわれを去る熱気が、静なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。
「遠いよ」と云った人の車と、「遠いぜ」と云った人の車と、顫えている余の車は長き(かじ)を長く(つら)ねて、(せば)く細い(みち)を北へ北へと行く。静かな()を、聞かざるかと(りん)を鳴らして行く。鳴る音は狭き路を左右に(さえぎ)られて、高く空に響く。かんかららん、かんかららん、と云う。石に()えばかかん、かからんと云う。陰気な音ではない。しかし寒い響である。風は北から吹く。
 細い路を窮屈に両側から仕切る家はことごとく黒い。戸は残りなく(とざ)されている。ところどころの軒下に大きな小田原提灯(おだわらぢょうちん)が見える。赤くぜんざいとかいてある。人気(ひとけ)のない軒下にぜんざいはそもそも何を待ちつつ赤く染まっているのかしらん。春寒(はるさむ)()を深み、加茂川(かもがわ)の水さえ死ぬ頃を見計らって桓武天皇(かんむてんのう)の亡魂でも食いに来る気かも知れぬ。
 桓武天皇の御宇(ぎょう)に、ぜんざいが軒下に赤く染め抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上の疑問である。しかし赤いぜんざいと京都とはとうてい離されない。離されない以上は千年の歴史を有する京都に千年の歴史を有するぜんざいが無くてはならぬ。ぜんざいを召したまえる桓武天皇の昔はしらず、余とぜんざいと京都とは有史以前から深い因縁(いんねん)で互に結びつけられている。始めて京都に来たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規(まさおかしき)といっしょであった。麩屋町(ふやまち)柊屋(ひいらぎや)とか云う家へ着いて、子規と共に京都の(よる)を見物に出たとき、始めて余の目に映ったのは、この赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故(なにゆえ)かこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日(こんにち)に至るまでけっして動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時に受けた第一印象でまた最後の印象である。子規は死んだ。余はいまだに、ぜんざいを食った事がない。実はぜんざいの何物たるかをさえ(わきま)えぬ。汁粉(しるこ)であるか煮小豆(ゆであずき)であるか眼前(がんぜん)髣髴(ほうふつ)する材料もないのに、あの赤い下品な肉太(にくぶと)な字を見ると、京都を稲妻(いなずま)(すみや)かなる(ひらめ)きのうちに思い出す。同時に――ああ子規は死んでしまった。糸瓜(へちま)のごとく干枯(ひから)びて死んでしまった。――提灯はいまだに暗い軒下にぶらぶらしている。余は寒い首を(ちぢ)めて京都を南から北へ抜ける。
 車はかんかららんに桓武天皇の亡魂を(おどろ)かし(たてまつ)って、しきりに()ける。前なる居士(こじ)は黙って乗っている。(うしろ)なる主人も言葉をかける気色(けしき)がない。車夫はただ細長い通りをどこまでもかんかららんと北へ走る。なるほど遠い。遠いほど風に当らねばならぬ。馳けるほど(ふる)えねばならぬ。余の膝掛(ひざかけ)洋傘(ようがさ)とは余が汽車から振り落されたとき居士が拾ってしまった。洋傘は拾われても雨が降らねばいらぬ。この寒いのに膝掛を拾われては東京を出るとき二十二円五十銭を奮発した甲斐(かい)がない。
 子規と来たときはかように寒くはなかった。子規はセル、余はフランネルの制服を着て得意に人通りの多い所を歩行(ある)いた事を記憶している。その時子規はどこからか夏蜜柑(なつみかん)を買うて来て、これを一つ食えと云って余に渡した。余は夏蜜柑(なつみかん)の皮を()いて、一房(ひとふさ)ごとに裂いては()み、裂いては噛んで、あてどもなくさまようていると、いつの()にやら幅一間ぐらいの小路(しょうじ)に出た。この小路の左右に並ぶ家には門並(かどなみ)方一尺ばかりの穴を戸にあけてある。そうしてその穴の中から、もしもしと云う声がする。始めは偶然だと思うていたが行くほどに、穴のあるほどに、申し合せたように、左右の穴からもしもしと云う。知らぬ顔をして行き過ぎると穴から手を出して(とら)まえそうに(はげ)しい呼び方をする。子規を(かえり)みて何だと聞くと妓楼(ぎろう)だと答えた。余は夏蜜柑を食いながら、目分量(めぶんりょう)で一間幅の道路を中央から等分して、その等分した線の上を、綱渡りをする気分で、不偏不党(ふへんふとう)()って行った。穴から手を出して制服の尻でも捕まえられては容易ならんと思ったからである。子規は笑っていた。膝掛をとられて(ふる)えている今の余を見たら、子規はまた笑うであろう。しかし死んだものは笑いたくても、顫えているものは笑われたくても、相談にはならん。

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