まぼろしは戸棚の前でとまる。戸棚があく。白い腕が袖をすべって暗闇のなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに閉たる。余が眠りはしだいに濃やかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。
いつまで人と馬の相中に寝ていたかわれは知らぬ。耳元にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下は隅から隅まで明るい。うららかな春日が丸窓の竹格子を黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議と云うものの潜む余地はなさそうだ。神秘は十万億土へ帰って、三途の川の向側へ渡ったのだろう。
浴衣のまま、風呂場へ下りて、五分ばかり偶然と湯壺のなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。第一昨夕はどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜を界にこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。
身体を拭くさえ退儀だから、いい加減にして、濡れたまま上って、風呂場の戸を内から開けると、また驚かされた。
「御早う。昨夕はよく寝られましたか」
戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ出合頭の挨拶だから、さそくの返事も出る遑さえないうちに、
「さ、御召しなさい」
と後ろへ廻って、ふわりと余の背中へ柔かい着物をかけた。ようやくの事「これはありがとう……」だけ出して、向き直る、途端に女は二三歩退いた。
昔から小説家は必ず主人公の容貌を極力描写することに相場がきまってる。古今東西の言語で、佳人の品評に使用せられたるものを列挙したならば、大蔵経とその量を争うかも知れぬ。この辟易すべき多量の形容詞中から、余と三歩の隔りに立つ、体を斜めに捩って、後目に余が驚愕と狼狽を心地よげに眺めている女を、もっとも適当に叙すべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の今日に至るまで未だかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、希臘の彫刻の理想は、端粛の二字に帰するそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲か雷霆か、見わけのつかぬところに余韻が縹緲と存するから含蓄の趣を百世の後に伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然たる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁には、泥帯水の陋を遺憾なく示して、本来円満の相に戻る訳には行かぬ。この故に動と名のつくものは必ず卑しい。運慶の仁王も、北斎の漫画も全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら画工の運命を支配する大問題である。古来美人の形容も大抵この二大範疇のいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。
ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静である。眼は五分のすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨の瓜実形で、豊かに落ちつきを見せているに引き易えて、額は狭苦しくも、こせついて、いわゆる富士額の俗臭を帯びている。のみならず眉は両方から逼って、中間に数滴の薄荷を点じたるごとく、ぴくぴく焦慮ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画にしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆一癖あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。
元来は静であるべき大地の一角に陥欠が起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性に背くと悟って、力めて往昔の姿にもどろうとしたのを、平衡を失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日は、やけだから無理でも動いて見せると云わぬばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。
それだから軽侮の裏に、何となく人に縋りたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に慎み深い分別がほのめいている。才に任せ、気を負えば百人の男子を物の数とも思わぬ勢の下から温和しい情けが吾知らず湧いて出る。どうしても表情に一致がない。悟りと迷が一軒の家に喧嘩をしながらも同居している体だ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合な女に違ない。
「ありがとう」と繰り返しながら、ちょっと会釈した。
「ほほほほ御部屋は掃除がしてあります。往って御覧なさい。いずれ後ほど」
と云うや否や、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽気に馳けて行った。頭は銀杏返に結っている。白い襟がたぼの下から見える。帯の黒繻子は片側だけだろう。